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フォルクスワーゲン・シロッコ(1981年型) 30年16万7000km

10年10万kmストーリー 第3回

ヤナセは僕の先生だった


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 夏に袖ケ浦フォレストレースウェイで行われたフォルクスワーゲンの「GTIミーティング」というイベントに行ったら、一台の初代シロッコの前で多くの人々が足を止めていた。
 初代シロッコを街で見掛けることは、もうほとんどなくなった。それは、ドイツでも日本でも変わらない。現役時代でもそれほど数が多かったわけではないから、今となってはなおさらだろう。
 そのシロッコは、特別賞を授かって表彰された。僕が審査員だったとしても意義はない。初代ゴルフも何台か参加していたが、珍しさとコンディションの良好さから、シロッコは際立っていたからだ。
 持ち主の内藤 修さん(61歳)に見せてもらうと、愛に満ちた言葉が次から次に出てくる。表彰式後すぐに、浜松市内の自宅まで運転して帰るというから連絡先を交換して再会を約束してもらった。
 数週間後、浜松に向かった。待ち合わせ場所には、妻の里恵子さんも一緒に来てくれた。袖ケ浦のイベントの時も一緒に参加していたので、仲の良い夫妻だ。
 袖ケ浦のサーキットで見た時と変わらず、真っ赤なボディは今日もピカピカだ。
 シロッコを停めて、内外を見せてもらった。交換したばかりのナルディのステアリングホイールが真新しい。スピードメーターの右側の三連小径メーターはツェンダー社製だ。
 他にも、何がオリジナルで何がオリジナルではないのか。何を交換して何を交換していないのか。とても詳しく説明してもらった。
 メーターを交換したが、これまでに内藤さんが30年間で走って来たのは16万7000km。内藤さんが3人目の持ち主で、1986年に譲り受けた。以来30年間、内藤さんが大切に乗り続けている。
「1976年に輸入されてきたシロッコが名古屋ヤナセのショールームに飾られていて、ガラスウインド越しによく眺めていたのを、昨日のことのように憶えていますよ。350万円以上もするのに、クーラーさえ付いていなかったんです」

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 シロッコの登場が鮮やかだったことは中学生だった僕もよく憶えている。空冷リアエンジンのビートルとその派生車種ばかりだったフォルクスワーゲンが一気に新世代に生まれ変わった3台のうちの1台だった。
 パサート、ゴルフと続き、シロッコは飛び切りカッコ良かった。ジョルジェット・ジウジアーロの折り紙細工スタイルがすでに始まっていて、簡潔な線と面の中に微かな緊張感が漂い、それが見事に美へと昇華されている。
 シロッコは水冷エンジンを積んで前輪駆動化された新生フォルクスワーゲン3台のうちの1台であると同時に、新進気鋭のデザイナー、ジウジアーロの真骨頂がうかがえるクーペスタイルも魅力の源となっていた。内藤さんが憧れたのも良くわかる。
 さらに、内藤さんにはシロッコを好きになる下地のようなものがあった。すでに、ゴルフに乗っていたのである。
 戦前型のダットサンDB型に乗っていたほどのクルマ好きだった父親がいち早く初代ゴルフをヤナセから購入して乗っていた。それもガソリンエンジンのGLE一台だけではなく、ディーゼルエンジンを搭載した2ドアのDもあった。
 開業医だった父親はヤナセの上顧客で、ビートルも1964年型を岐阜ヤナセの第一号車を購入していた。ボルボをヤナセが輸入販売していた頃に、アマゾンも買った。複数台数を所有していたのはゴルフだけではなく、スバル・レオーネや軽自動車のレックスなども複数あった。それぞれを父や二人の姉たちが乗っていた。
 内藤さんもクルマ好きに育ち、医科大学に進むと自動車部に所属。レオーネをラリー仕様に改造したり、学生団体が主催するジムカーナやラリーに出場したりした。
「ゴルフはレオーネと走りの次元が違っていました。曲がる、止まるがスムーズで、良く走りました。1.5リッターエンジンに3速ATが組み合わされていただけなのに、高速コーナーでも良く走りました」

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 クルマの走りっぷりは、必ずしもスペック通りではないこともゴルフに教わった。
「ゴルフのドライブシャフトが不等長なのに対して、レオーネは等長。理論的にはゴルフに加速時のトルクステアが出て乗りにくいはずはずなのに、そんなことはありませんでした。ゴルフに乗って、飾りのないものの中にいいものがあることを見付けられるようになりました」
 何不自由なく医大生ライフを謳歌していたが、クルマに熱中し過ぎたツケが回ってきた。「1学年ずつ裏表やって」ようやく医大を卒業して受けた医師の国家試験に不合格となってしまったのだ。怒った父親から勘当を申し渡された。幸いに下宿代は親が払い続けてくれたが、生活費を稼がねばならない。シロッコどころではなくなってしまったのだ。
 シロッコには因縁があった。内藤さんが30年間乗り続けているシロッコの最初の持ち主は知人の医師の娘だった。
 その女性の嫁ぎ先が日本車しか認めなかったために、シロッコは別の知人の医師が譲り受けることになった。
「私はプー太郎でカネがなかったので、買うことができず残念でした」
 しかし、ありがたいことに二番目の持ち主が関西の大学病院に勤務していた2年間は、内藤さんが預かって乗っていた。
「私がクルマの指南役でしたから」
 父親からの勘当が解かれることはなかった。運転代行、建設現場の足場組み、トラックドライバー、中古車店勤務など、さまざなアルバイトを経験した。
「いろんな人に会って、いろんなことをやりました」
 30代半ばで奮起して、もう一度国家試験を受けることに決めた。
「“もう一回やってみろよ”と友人たちや家族が励ましてくれて、2年間こもって受験勉強をやり直しました」
 その甲斐あって、37歳で医師免許を取得することができた。シロッコを手に入れたのは、それ以前のことだ。あえて詳しくは訊ねなかったけれども、内藤さんにとってのこのシロッコとは、人生の回り道をしている時にも必ず心のどこかで意識している存在ではなかったのではないだろうか。そう思えてならない。

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 1997年、16万7000km走行時に大規模なレストアを行なった。ボディの全塗装、フロントシートとウエザーストリップ、サスペンションなどの交換、エンジンヘッド面の研磨などだけでなく、なんとトランスミッションを3速ATから5速MTに載せ替え、ヤナセの大垣営業所を通じて改造申請を行った。全部で300万円弱を要した。
 2013年には、フロントサスペンションのロワーアーム一式とタイロッドなどを交換した。
 ここのところ整備を依頼しているのは岐阜ヤナセだ。
「今まで、ヤナセの人たちからはクルマについてだけでなく様々なことを教わりました。僕にとって、ヤナセは生きた先生ですよ」
 クルマを壊さない乗り方や塗装面になるべくダメージを与えない洗車のやり方なども教わって、それは今でも励行している。
 普段使いにはアウディRS4に乗り、里恵子さんはA3に乗っている。勤務先によっては通勤距離が長くなることもあって、これまで
乗っていたアウディS8や同V8、メルセデスベンツE280などはいずれも20万km前後走った。
「趣味はクルマです」
 家で寛いでいる時には自動車雑誌を読んでいるか、インターネットの中古車サイトを見ているかのどちらかだと里恵子さんが教えてくれた。嘆くでもなく、喜ぶでもなく、淡々としている。
「週末の洗車も一緒なんですよ」
 3台まとめて洗車場に連れて行くのにも、里恵子さんに同行してもらって手伝ってもらっている。
「シロッコでどこかに出掛ける時は、必ず一緒ですね」
 袖ケ浦の他にも、2008年にフォルクスワーゲンが同じようにユーザー向けに主催した富士スピードウェイでの「フォルクスワーゲン・フェスタ」という大規模なイベントにも一緒に参加している。
 イベントなどの集まりでなくても、天気が良ければ浜松から御殿場まで、年に一、二度ドライブがてらハムを買いに来たりするのも一緒だという。本当に仲が良い。ヤナセのショールームのガラス越しにシロッコを見ていた時に、40年後の自分をどう想像していたのだろうか。一台のクルマに長く乗り続けているといろいろなことが起こる。

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