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36年目のお祓い

 あなたは、はたして自分が何歳まで運転できるのかと考えたことがあるだろうか?

 答えは簡単には得られないだろう。身心ともに健康であるならば何歳まで運転したって構わない。しかし、思い通りに健康を維持できるかどうかわからないのが人生の残酷なところだ。

 日本も高齢化社会を迎えている。元気な老人が多い半面、高齢ドライバーによる自動車事故はなくならない。自覚がないだけで、実は危険な運転を行っている場合だってある。高速道路で逆走事故を引き起こしているのは、ほとんどが高齢ドライバーだ。
「昨年、還暦を迎えた時にあと何年間このクルマを運転できるのだろうと考えました」
 1976年型のいすゞ117クーペに乗り続けている弁護士・田澤俊義さん(61歳)は、一昨年、117クーペの内装をフルレストアした。レストアと言っても新車時の姿を再現するのではなく、オリジナル以上のものに仕上げられている。

 写真をご覧になっていただければわかるだろうが、たいへんな凝りようだ。ベージュ色の最高級のナッパレザーが張られているのはシートやドア内張り、そして天井に留まらず、なんとトランクルームに置かれているスペアタイヤを覆うタイヤカバーやジャッキカバーなどまでも誂えられているのである。

 後席に座ってみると、運転席と助手席のシートベルトのキャッチャーと末端部分やリテンショナーまできれいにナッパレザーで包まれ、縫い上げられているのが見える。
 センターコンソールやダッシュボード、グラブボックス、シフトレバーなどは黒いナッパレザーが張られ、オリジナルには存在していなかったカーナビもきれいに収められている。
 キャビンとトランクルームの床には、ロールスロイスが使うことで有名なウィルトン織のカーペットが敷き詰められている。シートベルトまで色を合わせるために黒からベージュに交換してある。
 オリジナルの117クーペではとてもこのような贅沢な仕立てにはなっていない。すべて、田澤さんが東京のiS.MEというカーインテリアショップと相談しながら誂えた。
 詳しくはiS.MEのホームページにも掲載されているが、この店は独自のインテリアを製作することを得意としている。田澤さんが117クーペを入庫させている時にも、新車のメルセデスベンツCLAのインテリアをすべて取り除き、独自のものを誂えさせている人がいたというから驚く。往年のコーチビルダーの仕事と変わらない。他にもメーターパネルやカーオーディオ、透明の紫外線カットフィルムなどを新調してある。
「乗れるうちにちゃんと楽しむために、少しは贅沢をしても許されるのではないかと考えてレストアしました」
 代金はBMW320iのベーシックグレードが買えるぐらい高額だったが、田澤さんはとても満足している。僕も、初めてこの117クーペを見た時にはその仕上がりの上質さとオリジナリティの高さに脱帽してしまったほどだ。
 田澤さんはレストアの様子を経過ごとに撮影し、キャプションを付けて整理している。それだけでなく、過去に行ったエンジンのオーバーホール作業の様子なども同じように記録し、A4サイズ用紙に出力してある。情報の整理整頓が行き届いているのは弁護士らしい。それらはカラーコピーが作られて、事務所の待合室に「ご自由にお持ち下さい」と配慮が行き届いている。
 待合室や応接室のキャビネットには何台ものミニチュアカーが置かれているけれども、多いのはやはりいすゞ117クーペ。他には、同じいすゞのピアッツァ、マセラティ・カムシンやアストンマーチン・ラピードやジャガーSタイプなどイタリアやイギリスのモダンクラシックなどがある。

 この法律事務所は他に2名の弁護士が所属している。損害賠償全般について手掛けることが多く、特に交通事故については県内屈指の取り扱い実績がある。
 23歳で運転免許証を取得し、スバルR2とトヨタ・カローラを乗り継ぎ、25歳の時に117クーペを購入。36年間も乗り続けている。
「他に好きなクルマがありませんから」
 一途なのである。

 117クーペと出会うまで、クルマには興味がなかった。しかし、大学3年生の時に東京・本郷のキャンパスに停まっていた緑色の117クーペに一目惚れしてしまった。
「特にサーベルラインと呼ばれるクロームメッキされたキャビンの縁取りがA、B、Cの各ピラーとつながっているところが独特で、好きです。”将来、自分のクルマを持つ時はコレしかない”と一目惚れでしたね」
 卒業し、損害保険会社に勤めていた時に3年3万7000km落ちの中古車を160万円で買った。117クーペというクルマは安くなく、1979年当時でも新車で200万円以上もしていて、20歳代のサラリーマンがポンと買えるものではなかった。
「休日に会社の同僚と楽しんでいたテニスやディンギー(小型ヨット)に乗っていくために買いました」
 自動車雑誌の中古車店の広告を見較べ、3台目を買った。
 1980年代は日本のサラリーマンにとっては良い時代だった。もともと他業種の会社よりも高かった損害保険会社の給料は好景気に後押しされて黙っていても上がり続けていたし、日本的な終身雇用と年功序列の制度はまだしっかりと機能していたから、55歳の定年まで解雇や倒産の心配などせずに安心して勤めことができた。年金制度も充実していたから、定年まで無事に勤め上げれば、生活の心配などせずにノンビリと余生を送ることができていた。つまり、大卒後に損害保険会社に入社した時点で安泰した将来が約束されたようなものなのである。
 しかし、田澤青年は数年で辞めてしまった。弁護士になることを決意したからだ。
「仕事で弁護士に接する機会が多く、その姿を見て自分なりに社会に貢献できるのではないかと考えたからです」
 弁護士になるためには難しい司法試験を突破しなければならない。合格率2パーセントという超難関だ。試験勉強に専念するわけだから、クルマに乗ってテニスやヨットに乗りに出掛けていく暇などはない。117クーペを売るべく中古車店に持って行った。
「15万円でしか引き取れないと言われましてね。そんなに安いのかと悲しくなってしまって、手放しませんでした」
 自宅近くで駐車場が見付からず、あっても高額だった。知人のところで預かってもらったが、3年間屋根のないところに駐めておいたために、ガソリンタンクをサビさせ、そのサビがフューエルパイプを目詰まりさせてしまった。

 無事に司法試験に合格し、再び117クーペにも乗れることになった。3年間の青空駐車で傷んでしまったボディを再塗装した。しかし、元のパルテノンアイボリーとは程遠いレモンイエローに仕上がってしまった上に、2、3年後にはボディ全体にヒビ割れまで生じてきた。塗装業者の完全な失敗だった。

 田澤さんは、仕方なくいすゞの提携工場に再度の塗装を依頼した。レモンイエローの塗装をすべて引き剥がし、塗り直してもらったら、オリジナルのパルテノンアイボリーに仕上がった。それが、現在のものである。エンジンもオーバーホールを施し、少しずつ本調子を取り戻していった。

 その後、冒頭に記した内装のフルレストアに取り掛かり、現在にいたっている。
 事務所のホームページのプロフィール欄に、「国産旧車に乗り続けています。ドライブと美術館巡りが趣味です」と書き込み、117クーペの唐獅子のエンブレムの画像を貼り付けてある。
「1年間に30館以上の美術館を訪問しています」
 美術作品を鑑賞することと117クーペを運転することの両方を同時に楽しんでいる。一昨年には、遠く山口県で開催された日本弁護士連合会の大会に出席するために117クーペで出掛け、往復の旅程に美術館見学を組み込んだ。
 埼玉県の大宮をひとりで出発し、約500km離れた滋賀県の彦根で一泊。翌日、さらに約500km西へ進んだ山口県山口市での日弁連大会に出席後、隣県島根県津和野町の古い町並みを堪能し、南下して広島県三次で一泊。翌日は再び島根県に戻って、足立美術館で見事な日本庭園と130点におよぶ横山大観の日本画コレクションを堪能した。
「平櫛田中の彫刻も充実していて、足立美術館は素晴らしかったですね」
 翌日、神戸のスピードショップF2を訪れた後、奈良の興福寺そばで一泊。東大寺を見学し、滋賀の信楽にあるMIHO美術館を訪れて、大宮へ戻った。4泊5日のグランドツーリングである。

 10年前から、田澤さんは117クーペの愛好クラブ「Isuzu 117 Coupe Owner's Club」に参加して、熱心に活動している。ツーリングやコンクールデレガンス、各種イベントなどを執り行ってメンバー間の親睦を深めると同時に、レストアに関する情報交換なども行っている。

 今はもう乗用車の生産から撤退してしまったいすゞの元エンジニアを囲む会を催し、117クーペ開発当時の秘話などを聞いたりもした。
 また、今年創立40周年を迎える伝統あるクラブだけあって、10年前の創立30年の時には117クーペをデザインしたイタリアのジョルジェット・ジウジアーロからメッセージが届けられたほどだ。そうしたクラブの活動の詳細はホームページにアップされている。
「クラブに加入して、とても良かったです。他のメンバーから学ぶことも多いですし、長く乗り続けていくために必要な知識や情報を得ることができます」
 内装をレストアしたiS.MEや、センターコンソールを改造してカーナビを収められるようにしてもらった修理工場「別所自動車」を紹介されたのもクラブのメンバーからだった。
「117クーペでの美術館巡りも、クラブのメンバーから刺激を受けて始めたようなものです。
以前は気力と体力が衰えていて、東京から箱根(片道約100km)まで日帰りで往復することも難儀でした」

 事務所の近くに氷川神社という、歴史ある神社がある。この神社に限らないが、日本の神社はさまざまな祈祷を受け付けている。子供の安産祈願だったり、生まれて来た子供の無病息災だったり、家内安全や商売繁盛まで何でもある。珍しいところでは、クルマの交通安全も祈祷してくれ、氷川神社は受け付けている。

 田澤さんと僕は専用駐車場に117クーペを停め、受付で5000円を支払って神社内の祈祷殿で、まず神主から祈祷を受けた。他には、小さな赤ん坊を抱いた家族が多い。独特の節を付けて名前と祝詞が読み上げられられる。
 終わると、神主とともに駐車場に移動。117クーペの横に立って、棒の先に細長い紙をたくさん結い付けた大幣という神具を左右に大きく振りながら唱えられる祈祷を、田澤さんは神妙な面持ちで首を垂れながら受けた。

 神社からは、家に置いておく札、身に付けるお守り、クルマに貼るエンブレムも授けられた。エンブレムはステッカーと違って薄いプラスチック板なので、果たして117クーペに貼れるかどうかわからない。このエンブレムはとても目立つから、117クーペのデザインと相入れるかどうかをよく見極めなければならないだろう。僕ならば、グラブボックスの中とかに貼る。

 いずれにせよ、神様のお祓いを受けた分はこれからも安心して安全運転を続けられそうだ。そうでなくても117クーペはドライブシャフトからの小さな異音以外は完璧なコンディションだし、田澤さんだって若々しい。僕も祈祷してもらおうかな。

文・金子浩久、text/KANEKO Hirohisa
写真・田丸瑞穂、photo/TAMARU Mizuho(Studio Vertical)
Special thanks for TopGear Hong Kong 

(このテキストノートはイギリス『TopGear』誌の香港版と台湾版と中国版に寄稿し、それぞれの中国語に翻訳された記事の日本語オリジナル原稿と画像です)

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