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ノワール小説「黄色い家」にみる「夢」「金」の呪い的側面

大みそかから元旦は一日中読書に明け暮れて
いたが、まさかこの様な「ノワール小説」
に出会えるとは思いもしなかった。

心理師の過去の感想,レビュー記事は以下の
通りである。


本日紹介するのは川上未映子作の
「黄色い家」である。

1日立った今でも余韻が残っている程
印象的な作品だ。まず、以下があらすじだ。

2020年春、惣菜店に勤める花は、ニュース記事に
黄美子の名前を見つける。
60歳になった彼女は、若い女性の監禁・
傷害の罪に問われていた。
長らく忘却していた20年前の記憶――黄美子と、
少女たち2人と疑似家族のように暮らした日々。

まっとうに稼ぐすべを持たない花たちは、
必死に働くがその金は無情にも奪われ、
よりリスキーな〝シノギ〞に手を出す。
歪んだ共同生活は、ある女性の死をきっかけに瓦解へ向かい……。
善と悪の境界に肉薄する、今世紀最大の問題作!

Amazon商品ページより引用


主人公である「伊藤花」は自分自身の居場所
を、そして疑似家族を守るために奮闘するのだが
様々な問題が生じ追い詰められ
大切だった人までも傷つけてしまい
極限状態に陥る。


「花」の世界は徐々に
「他者は私を常に攻撃している」かの様な
錯覚や妄想の世界に捉われ
妄想が現実世界を侵食し悪態をつき
怒りに変化し、「幸せな家庭」と
「お金」への過剰な執着が絶望へと
切り替わる、、、、


自分の手持ちのお金を確認し
万能感に浸る。その繰り返しのなかで
負の循環は刻々と舗装されていく。




それは頭の中のただの妄想に過ぎない。
しかし、その厄介な妄想は普遍的なもの
であり、主人公だけでなく私たちも
厄介な妄想により日常生活で
苦しめられた経験はないだろうか?



主人公「花」が徐々に追い詰められていく
心理描写は圧巻というほかない。本当に追い詰め
られた人間の行動原理は意味不明なのだが
しかし「藁をもすがる思い」で危険なもの
に手を出したり、占いやスピリチュアルに
傾倒してしまう事は誰にでもあるのではないか。


と言うのは私自身も前職を退職したい
思いが強まりアルバイトに変更して
少ない収入で国家試験の勉強に
勤しんでいた時、ラッキーカラー
や星座占いなどを試し少しでも現状の
打破を試みようとしたものだ。追い込まれるほど
「魔法の杖」を求め何らかの奇跡に縋りたくなるのだ。



主人公の場合は、追い込まれすぎて
「ある狂気的な行動」をとるのだが
でもどこか切実で純粋でそうしなければならない
程追い込まれていて、その様なシーンが
つるべ打ちの様に描写され相当胸が苦しく
なる事は必然だろう。


さて、この物語は「ヤングケアラー」の物語でもある。
ヤングケアラーの定義は以下の通りだ。

ヤングケアラーとは家族にケアを要する人がいる場合に
大人が担うようなケア責任を引き受け
家事や家族の世話、介護、感情面のサポートなどを行っている
18歳未満の子どものこと

一般社団法人日本ケアラー連盟

主人公を取り巻く人物は,境界知能の疑いがある
年上の「黄美子」とほぼ同学年の少女二人の
4人暮らしであるが、どの人物も経済的余裕が
なく、かつ現状で生き残るすべを模索して
具体的な行動に移行して、リーダーシップを発揮
人物は「花」だけだった。



だからこそ「自分が何とかしなければならない」
という責任と重圧に晒される。
20歳にもなる女の子にとってどれほど
プレシャーになったかは想像に難くない。


頭の中の妄想が膨らみに膨らみ
最終的に家父長制となっていく描写も見物である。



私は「花」の心理描写を目に焼き付ける中で
実は企業の中間管理職的なポジションの人は
皆この様な、責任と重圧と孤独によって
「白か黒かの妄想状態」に陥り攻撃的にならざる
得ない状況なのではないかと連想した。

※妄想の中には事実も入り乱れている。


これは、企業だけではなく家族問題でも
この様な事が頻繁に起きているのではないかと
考えてしう。以下が被害妄想に捉われた花の
心理描写である。

「実際誰も口にしていない言葉が3人からひっきりなし
 に聞こえてくるようで私は追い詰められた。
 何とかしなければならない。
 私が何とかしなければ。私は一日中その考えに捉われていた」

P427


そうして、地獄の様な生活へと直行していくのであった。


終盤の主人公「花」のセリフが印象的だったので
抜粋させて頂く。

世間の人々は口々に私を非難して責めるのは分かっていた。
誰だって皆お金が必要でだからこそ汗水たらして働いているのだと。
でも私は半笑いで言ってやりたかった。
私も汗水たらして働いていますよ。
誰の汗水がいい汗水で、誰の汗水が悪い汗水か
決める事ができるあなたは一体どこで
その汗水をかいているんですか?
多分とても素敵な場所なんだろうね、
良かったら今度生き方を教えて下さいよ、と

P448

犯罪に手を染め、善悪が入り乱れ悪態をつきながら
なんとかお金と生活を守ろうとする花
の精神状態が徐々に擦り切れていく
精神的限界が垣間見えないだろうか?


社会的に許されない働き方であったとしても
「花」の背景を知っている読者は上記のセリフが
どれだけ悲しみと悔しさに満ちているか
想像するだけで胸が苦しくなる。


犯罪や貧困やヤングケアラー
の問題の背景には必ず個々の物語が存在し
その物語性を伝えられる手段が「文学」という
ジャンルではなかろうか。
卓越された「文学」であればある
程リアリティを感じざる得ない。
本書はその事を感じさせる傑作だと思う。


物語はフィクションであるものの
就労移行支援で就職支援を行っている
私としては利用者様が「花」の様な
心理状態になっている人がいてもおかしくないし
実際その様な方がいらっしゃるのも事実である。


本書はヤングケアラーと貧困の社会的告訴
も含むが、今の政府の圧政に苦しまされている
私たちの身の回りに存在する身近な問題として
捉えられる作品である。


お金が私たちにもたらす安心感は絶大だか
そこに支配されてはならない。
その様にも考えさせられた。

※20歳の「花」に強いるのは酷かもしれないが・・

臨床のフリコラージュから考える「夢」「理想」のもつ呪いの側面

ここからは解説本も参考に解説する。

主人公の花は「みんなで幸せに暮らすんだ」
というユートピアを夢見ています。
これはいわばオウム的な物語です。
救済が夢見られそれに合わせて現実の側を
変形させようとして「花」は犯罪に手を染めていきます。

            ~中略~

現実が惨めな分、万能的な世界を夢見る必要がある。
結局その物語を空想するほどに彼女の心は蝕まれていきます。
「なんで私はこんなに頑張っているのに、お前らは何もやらないんだ」
と孤独になっていくんですね。

臨床のフリコラージュ,p138東畑より引用

理想的な物語いわゆる「夢」は呪い的な
側面を担っていると改めて実感した。

「夢」を思い描く事は自由であるがその夢や理想
は地に足ついた現実的なものかを検討しな
ければならない。

さもなければ、「非合理的な夢」や「理想」に
私たちは殺されてしまうからだ。


「幸せな家庭を志ざす」
そのことは構わないが「願い(~こしたことがない」
ではなく「執着(~あるべき)」であるのであれば
非現実的な要求、故に私たちは苦しむであろう。


この物語の救済は「黄色い家」の崩壊である。
いわば理想が打ち砕かれてようやく「花」たちは
解放されるのである。

幻想の崩壊によって現実と触れ合う事が
可能となり過去と省みる事ができるのである。



渦中にいる時私たちは自分自身を省みる事が
できない
。一度「理想」を諦め距離を置く
事で初めて腑に落とした現実的な営みが
可能になる。


一方でこの作品は社会的告発の側面もある。
その人の弱さだけが原因なのか?
自己責任論で片付けてしまって本当に
良いのか?


とても考えさせられる本書でもある。
資本主義社会に生きる私たちにとって
お金の問題は切実であり
お金の問題にどれだけ苦しめられてきた
のであろうか?



私たちを取り巻く社会がもっと優しく
合って欲しいと切実に願うばかりである。



とにかくだ・・・・

読んでくれ!!!(笑)


P,S
ちなみに作者は40代後半だそうだが信じられるだろうか?

う・・う・・お美しい・・

yafooニュースより引用

※講座もやってますの興味があればご連絡ください!!


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