恋愛とか付き合うこととかセックスに関して(2020/08更新)

かねどーです。表題のあたりについてぼんやり考えたことをまとめました。多分適宜更新したり、変わっていくような話です。

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(2020/08更新)
結婚に伴い、思想には特に変わるところがないのですが、運用の所がより明確になってきたので、別の記事を書きました。自分語りであり、人によっては取扱説明書のようなものでもある記事です。よければご覧ください。
https://note.com/kanedo_/n/ne8aab56d5d27
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30年間いろいろな人の話を聞いている限り、「愛」とか「恋」と呼ばれている感情に関して、僕と多くの人の間には3つほどの差異がありそうだと思っています。

1つめに、僕は特に異性について(必ずしも異性ではないのですが)、友情と恋愛感情の区別がいまひとつ付いていません。時や相手により強度は違えど質は近い感情を抱いており、特定の1人や2人に対して質の違う感情を抱いたことがほぼないです。これらをまとめて「好意」とでも呼びましょう。

2つめに、僕は好意のある相手であればほぼ誰とでも、セックスがしたいと感じています。その場合のセックスにそれほど特別な意味はなくて、たとえば一緒に食事に行ったり、カラオケに行くことと並列の何かだと感じます。セックスをする前とした後で、僕からの関係性には特に何も変化がないことがほとんどです

3つめに、僕は嫉妬心とか独占欲と呼ばれる感情が希薄です。好きな人が遊んでくれなければ寂しいですが、その理由が他の人でも仕事でも猫でも同じように寂しいので、多くの人が抱くらしい「他の男と会うなんて」のような感情に共感できません。(過去の)恋人が他の人とセックスしている所を間近で見たことは何度もありますが、そこで抱いたのは「楽しそうでいいなぁ」というプラスの感情でした。

以上のような差異に加えて、僕にとって好意のある相手と遊んだりセックスをするのは生きていく上で本当に大切なことで、やめると生きる元気を根こそぎ奪われるような何かのようです(やめたことがないので想像ですが…)。そして1番目と2番目の差異によって、僕が遊んだりセックスをしたいと感じる相手は、数週間ほどの期間を切り取れば必ず複数人います。

またこれは本題と少しずれますが、僕は趣味:セックスと真顔で言える程度にはセックスが好きです。誰が相手でも楽しくなかった経験など人生で片手の指程しかないですし、いつも「どうしたらもっと良いものになるか。楽しくなるか」といつも考えて過ごしています。

僕は上記のような性質を持っている一方で、誰かと一緒に生きていくこと、つまりずっと一緒に住んだり、子供を育てたりというようなこともある程度望んでいます。この場合に取れる選択肢は、「A.誰かと生きることは諦める」「B.我慢して誰かと生きる」「C.嘘をついて誰かと生きる」「D.自分の性質を摩擦なく受け入れてくれる人と生きる」の4つほどあるかと思います。僕の場合BとCは絶対にしたくないので、Dを目指して見つからなければAもやむなし、という結論を5年ほど前に出し、以降ずっとその方針に従って生きています。今のところこの方針はうまくいっており、うまくいっている限りは今後も変えるつもりはありません。

Dを選ぶときに、3つの論点にぶつかります。「付き合う人とそうでない人は、どのように異なる扱いをするべきか?」「付き合う人はどのように選ぶか?」「付き合う人数は何人にするか?」というものです。このあたりの話もしようと思います。

1つめについて、僕にとって恋人とそうでない関係の差分は、コミットメントの有無です。恋人が僕に何かを求めたり僕の何かを嫌だといったら、その内容を受け入れるかは別として、きっと話を聞きます。恋人が何か困っていれば、良い方向に向かうように頑張ってみたりもします。それが例えば「やっぱり他の人と会ったりセックスするのが嫌だと感じてきた」というような話であっても、怒ることも無視することもなく真剣に聞きます。これは「恋人に対して必ずそうするぞ」という決定と意思の問題であって、感情の問題とは峻別しています(当然、感情との間にあまりにも乖離ができたら、関係を考え直すべきと思いますが)。対照的に恋人以外の人については、何かを妥協することがほぼありません。そもそも僕は誰かに何かをしろとかするなと言われるのが大嫌いな性分なので、恋人に対してだけ意識的に例外を作っているような感覚です(自分で聞くと決めたことについては、言われても苛立ちがありません)。ただしこれは恋人以外の人間を軽んじたいという話ではないので、僕が自然体でいてもお互いにストレスのない人とは親しくしたいと思っています。

2つめについては、このルールを決めてからのサンプルが少ないのですが、「好意があり、僕が他の人と遊んだりセックスすることそれ自体には不満を感じず、かつ僕がその知性や美意識、判断を強く信頼している、意思の強い人」の中から選んでいるようです。これは僕が長い間生活を共にすることができる人の条件だと感じる事項です。その時上位1位の人と付き合うとかではなく、ピンと来た人と相談して付き合い、何かの理由で解消しなければずっとその人に対して僕の思うコミットをしています。また他の人とセックスすること自体に不満がないことは必須ですが、その過程で僕が相手のことを軽んじたり無下に扱ったら怒られるのは当たり前なので、他の人と接していてもそこは気を遣います。

3つめについて僕は「コミットする人数は1人までにする」と決めました。僕は器用な方ではなく、複数人を同時に本気で見ることはできないし、細かい利害調整もできないので、それが限界という判断です(過去に複数人と付き合ったりもしてみた経験則でもあります)。今後も増やすことはおそらくないでしょう。

以上のようなことを考えながら、僕は過去の恋人であるとか今の恋人と付き合ったりコミットしたり、好意を持っている誰かとデートをしたりセックスをしたりしています。一時期はポリアモリーを名乗ったこともありますが、同じセクシャリティを名乗る人と必ずしも思想や感覚が一致しないことや、似た仲間で集まる必要性を感じないことから、いつからか名乗ることをやめました。

無味乾燥な文体で書いているので誤解されるかもしれませんが、僕は過去の恋人や今の恋人のことが好きで大事ですし、好意もない相手とセックスは基本的にしません(少なくとも、2人で会う予定を立てるような場合はそうです)。その感情であるとか大事に仕方は、きっとどこかの誰かが眉をひそめるようなものなのだと思います。

そういった無関係な他人の視線であるとか自分と仲良くなれなそうな人の感情は無視して、僕の思う誠意を限られた範囲に尽くしながらも、他の誰かもむやみに侵害しないように生活を作っていこうというのが、僕の自分と周りの人たちに対する決め事です。

そんな感じで引き続きやっていこうと思うので、こんな奴もいるんだなぁって感じで眺めたり絡んだり無視したりしてもらえれば幸いです。よろしくお願いします。




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いろいろ書きます Twitter@kanedo_
コメント (1)
はじめまして。かなり近いスタンスで共感しました。僕は今、ポリアモリーから発展して、ボノボリアンというカテゴリーをつくってます。
https://note.mu/tokotonstudio/n/n985faa745d0e
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