見出し画像

漫画「ふしぎの国のバード」を読んで。

うろこ雲がゆっくり流れていくのを、じっと眺めていると・・・

真っ青な空に白い入道雲が、もっくもくと大きく膨らんていた、少し前のことを思い出します。

そしてまた、もう少しすると、あの空から細かくて白い雪がはらはらと降ってくるのかな、なんて・・・

時の流れを感じつつ、常にやさしい自然たちに包まれていることを実感します。


明治維新後、イギリスの冒険家イザベラ・バードが横浜に到着したのは、1878年(明治11年)5月20日の月曜日でした。春から夏にかけての時期。当時だったら、船の上から富士山が見えたかもしれませんね。

しかし見るもの聞くものすべてが、不思議に見えたでしょう。

こんな魅力的な漫画を薦めてくれたのは、日本にいる娘でした。(関連記事)


この原本は、1880年(明治13年)に "Unbeaten Tracks in Japan"(直訳「日本における人跡未踏の道」)である「日本奥地紀行」です。

私はそれから奥地や蝦夷を1200マイルに渡って旅をしたが、まったく安全でしかも心配もなかった。世界中で日本ほど婦人が危険にも無作法な目にもあわず、まったく安全に旅行できる国はないと信じている。(Wikipedia「イザベラ・バート」から)

同時期に読まれたちくわ会長さんの、民俗学者である宮本常一さんが書かれた「イザベラ・バードの旅(日本奥地紀行を読む)」も、いつか絶対に読みたいものです。


ここでは漫画の中で、気に入った部分を引用してみますね。

今、この国で、ひとつの文明が滅びようとしている。あらゆる考え方、あらゆる生活、あらゆる文化が姿を消すだろう。江戸という呼び名と共に。
滅びは誰にも止められない。しかし記録に残すことはできる。困難なことだが、誰かがやらなければならない。(①P80~81)

江戸から明治への、時代の変わり目。

現在、人工知能などの「新興の技術革新」による、第4次産業革命(インダストリー4.0)やシンギュラリティー(※)など世界的な時代の変わり目でもあるので、ある意味150年前とも重なりますよね。

あらゆる出会いが、あらゆる出来事が、私に必要なものが何なのかを教えてくれています。(⑤P150)

東京という名になった江戸を出発し、春日部では大量のノミや蚊に襲われ、日光では少女の成人式「髪上祝(かみあげいわい)」に参加したり、通りで真剣に討論してるなと思うと、それぞれ自分の「子ども自慢」で盛り上がったり・・・

自然あふれる会津道では、細くやつれてシラミやダニにたかれて病を患う貧苦にまみれた人々に、主人公は天然の塗り薬の調合の仕方を、教えたりしました。

戊辰戦争後、各地は大変貧しかったんですね。それもほんの、150年前のことなんです。

火事で自分の町が廃墟になっても、泣き叫ぶものもなく、誰もが平然と笑っている。こんな不思議は光景は、見たことがありません。滅んだら滅んだですべてをきっぱり受け入れるのが当然のような・・・これは火事に限ったことではなく、文明の深淵のような価値観の話だと思うのです。(⑤P30~31)
夫を亡くしたある女性が、悲しみに暮れているはずなのに・・・不幸を顔に出すと相手にも悲しい感情が移るから、お客にはとりわけ辛い時ほど笑って話すのが、この国の礼儀作法なのです。(⑤P136~137)


「江戸しぐさ」といわれるものが、どういうものだったのか、理性ではピンとこなくても・・・

日本人として、たぶん縄文の時代から脈々と流れる「民族性」というものは、今でも私の中にもあって、それは世界から見たら「計り知れないもの」なんだということを、感じさせてもらいました。

旅の後半、イザベラ・バードは山形県の内陸部を「エデンの園」とし、その風景を「東洋のアルカディア」と評したといいます。


あれからというもの、すっかり日本が恋しくなってしまいました・・・


最後までお付き合い下さって、ありがとうございました。


※シンギュラリティーとは・・・人工知能(AI)が人類の知能を超える転換点(技術的特異点)。また、それがもたらす世界の変化のことをいう。

拙い文章を読んで頂いて、ありがとうございました。 できればいつか、各国・各地域の地理を中心とした歴史をわかりやすく「絵本」に表現したい!と思ってます。皆さんのご支援は、絵本のステキな1ページとなるでしょう。ありがとうございます♡