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「天上天下唯我独尊」の言葉に見る仏教誕生の背景

 皆さん、こんにちは。去る4月8日はお釈迦様のご生誕を祝う花まつりでした。花まつりには仏伝(お釈迦様の生涯を描いた伝記)にあるお釈迦様ご生誕のご様子を再現した花飾りなどを行うのですが、何よりも目を引くのは生まれたばかりのお釈迦様(誕生仏)が右手で天を指し、左手で地を指している姿です。

生まれて間もない赤子がこのようなポーズを取るだけでも驚きですが、それだけに留まらず、次のような言葉を発せられたというのです。

「天上天下唯我独尊」と。

さすがに赤ん坊のお釈迦様がこのように仰られたとは考えにくく、実際に初期の仏伝にはこの言葉は見えません。(※1)したがって、後代になって増広されたものと見られるのですが、だからと言って無視はできません。そこには必ず意図があるはずです。それを知るために、お釈迦様が生まれる以前のインドを見てみましょう。

お釈迦様が生まれる以前のインド

 インドの地図を見て分かるように北側にはヒマラヤ山脈があり、蓋のような役割をしています。そのため、ここを通っての人の往来は厳しいものになり、インドが他の地域と交流するには北西側(現在のパキスタン)を通じて行われました。そして、大体今から三千年四千年前にそこから現在のヨーロッパ系の人々の祖先にあたるアーリア人が流入してきます。

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流入してきたアーリア人と土着のインド人とが交わる中で、独特な世界観が出来上がっていきました。これをバラモン教といい、一宗教というよりもインドに住む人々の世界観そのものといえます。

非常にざっくりした説明になりますが、バラモン教ではこの世は梵天と呼ばれる最高神を始めとしたさまざまな神様によって差配されていると考え、その神々と交信できるのはバラモンと呼ばれた僧侶のみであるとされました。例え王族であっても願いを叶えるにはバラモンを通さないといけなかったのです。

そうなると、王族よりもバラモンが偉くなり、バラモン、クシャトリア、ヴァイシャ、シュードラの四姓と呼ばれる厳格な身分制度が出来上がります。これをインドでは「ヴァルナ」といいますが、ポルトガル語ではカーストといい、そちらの方が人口に膾炙していますので、その名称を用いることにします。

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このカーストは血筋によって固定されていますので、親の身分がバラモンなら子もバラモンですし、親がシュードラなら子もシュードラです。そして、異なるカースト間での結婚は認められません。また、インドの公用語であるサンスクリット語も高貴な言葉としてカーストの低い人々が習うことは近世ですら認められていませんでした。このように富や知識など全てがバラモンに集約されるシステムが構築されていったのです。
 

反バラモン勢力の台頭

 それでも今から二千五百年ほど前になると、インドでも商業が発達し、沢山の人々が集まる都市が生まれ、それに伴って王族がメキメキと力をつけてきました。力をつけた王族たちは、バラモンを頂点とする既存の体系に疑問を持つようになり、お釈迦様はそのような時代の中で王族の子として生まれたのです。

都市部には、これまでのバラモン教とは異なる「反バラモン」ともいうべき様々な思想が現れてきました。仏教経典には、「六師外道」と呼ばれる仏教以外で反バラモン思想を持った宗教者の名が見えますが、そのような流れの中にお釈迦様の仏教が立ち現れてきたのです。そのため、仏教には血筋を重んじるバラモン教を否定するような教えがたくさんあります。その象徴とも言える言葉が次のものです。

「生れによって賤しい人となるのではない。生れによってバラモンとなるのではない。行為によって賤しい人ともなり、行為によってバラモンともなる。」【出典:ブッダのことば(スッタニパータ)中村元訳】

ここで、お釈迦様ははっきりとバラモンとは血筋ではなく、立派な行いをする人を言うのだと従前のバラモン教を否定しています。バラモン教と同じ言葉を用いても中身は全く違う、換骨奪胎をしているのです。

カーストの否定

 このようなカーストの否定はサンガと呼ばれる出家組織内での上下関係にも反映されます。サンガでの上下関係はカーストではなく、入門した順番で決まったのです。この上下関係も単に座る場所とか食事の給仕を受ける順番などというものに過ぎないのですが、お釈迦様は決して出家する前のカーストを教団には持ち込ませませんでした。

それでも、サンガには自身がバラモン階級出身であったことを鼻にかける弟子が居たようで、ある時彼らはそれまで様々な土地の言葉で語られていたお釈迦様の教えをインドの公用語であるサンスクリット語に統一してはどうかと提案をします。一見すると、もっともなことを言っているようですが、サンスクリット語という言語は近年まで上位カーストの者しか習うことを許されてなかったものですから、結局は自分たちがバラモン階級出身であることを鼻にかけていたのです。当然、お釈迦さまは激怒して、自分の教えをサンスクリット語にしてはならない、それぞれの土地の言葉で語れと指示されます。(一説にはサンスクリットではなく、韻律とも言われます)
 

天上天下唯我独尊の意味

 以上のように、お釈迦様は徹底して生まれを自慢にしたり、血筋がものを言うような考え方を批判しました。これらにはバラモン教が背景にあったことは間違いありません。それを踏まえて最初の天上天下唯我独尊という言葉を見てみると、次のようなことがわかります。天上とはバラモン教が想定した梵天を始めとする天の神々のことで、バラモン教のことを言っています。天下とは字の通り、人間の生きる娑婆世界でこの時代に現れた仏教以外の様々な思想です。そして、それらの中で唯我独尊なわけですから、お釈迦様は私の教え(仏教)こそが最上だと主張しているのです。

最後に

 仏教は日本ではなくインド発の宗教であり、何の脈絡もなくあらわれたわけでもありません。私たち日本人の価値観や世界観で理解しようとすると無理が生じて、お釈迦様の教えや言葉を読み間違えることになります。また、インドの他思想との連関や仏教が興った当時の社会状況を踏まえておくことは仏教を理解する上で非常に大切なことです。

※1 『ジャータカ』に収録されるニダーナカタ―には、誕生したお釈迦様は自身を取り囲む梵天らを見渡した上で、「私は世界の第一人者である」と宣言する場面があり、これが「天上天下唯我独尊」の原型と考えられます。また、パーリ『律蔵』の大品にはお釈迦様の成道後に出会ったアージーヴィカ教徒のウパカに対して、お釈迦様は自身が、「人天世間におきて比倫なき」存在であると宣言する場面がありますが、これがお釈迦様誕生直後の言葉「天上~」に移行したとも考えられます。

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臨済宗妙心寺派長寿寺住職。仏教に興味がある方や初心の方に向けて「仏教のいろは」を発信していきます。