もっともっと「誹風柳多留」四篇② 文字を使い文学を愛す江戸庶民
「誹風柳多留」第4編の紹介はここまで。4編は②でおしまい。
江戸庶民の生活と考えを伝える古川柳。今回が川柳の最後ではない。江戸時代の川柳作品はまだまだある。
268 金時が行きそうな所 らしやう門(羅生門) 思ひ出けり思ひ出けり
平安時代、源頼光(―らいこう、本当はよりみつ)の四天王の一人、渡辺綱(―つな)が羅生門に出る鬼を退治した。しかし、鬼退治にふさわしいのは同じ四天王の金時だ。坂田金時は金太郎。足柄山の山姥(鬼)に育てられたという話(物語)が江戸時代には広がっていた。山姥と金太郎を描いた浮世絵もたくさん描かれている。江戸庶民にとって、「鬼」と言えば酒呑童子を退治した源頼光と四天王であり、中でも金太郎だった。
631 おやぶんは水浅黄迄着た男 はたらきにけりはたらきにけり
親分は薄い浅黄色の服まで着たことがある。浅黄色は薄い黄色だが、ここでは浅葱色のこと。浅葱色は、薄い青緑色のことをいう。同じ「あさぎいろ」でも漢字が違う。そのくせ今のように漢字をきっちり区別して使っていたわけではなく、「浅葱色」でも「浅黄色」と書いたりもした。
薄青色は、当時の囚人服の色。
637 座頭の坊 やっぱり ぬいた方へにげ ほころびにけりほころびにけり
武士が急に刀を抜いたので、周りの人間が逃げ出したが、盲目の座頭はその武士の方へ逃げた。「やっぱりなあ」と盲人をからかっている差別的な句だが、盲人があたりまえに社会にいた。あたりまえに仕事をしていた。「差別」の一言では終わらない。按摩だけでなく金融業をしている座頭も多かった。周りであたりまえに生活していた。今は白杖を持った人を、どれだけ日常で目にするだろうか。
294 不心中 五十三次 ぱっとしれ よわひことかなよわひことかな
心中をしたが死にきれず、男女両方助かったら(不心中)、日本橋に三日間さらされる。見世物にされる。それが罰だ。
日本橋は東海道の出発点だから、旅人や飛脚によって東海道中に一気に知れ渡る。
610 四日目は乞食で通る日本ばし はづかしゐことはづかしゐこと
心中未遂と僧侶の女犯の罪(坊主なのに女性と肉体関係を持つ)は三日間、日本橋にさらされる。その後、乞食に身分を落とされたりする。それが四日目だから、乞食になったというのだ。ただし、浄土真宗は妻帯が認められていた。
お題が「恥ずかしいこと」。昔の日本人は、恥ずかしいことが罰にもなった。「○○だから、こうなるんじゃないかな~」という予想(うがち)を川柳は好んだ。
295 女の詩 歌よりどふか にくらしい おもしろい事おもしろい事
詩は漢詩。歌は和歌。漢詩は当然漢字(真名)で、和歌は仮名で書く。男は漢字で、女は仮名という考えがあった。だから、漢字(漢詩)の読める女性は「にくらしい」というのだ。男尊女卑。
紫式部や清少納言の平安時代から、仮名を使って日本の文学は発展した。江戸庶民も寺子屋で仮名を習っていた。庶民は男女ともに仮名。仮名がわかるから、本もよく読まれた。
305 わがすかぬ男のふみは母に見せ かさなりにけりかさなりにけり
我が(自分の)好かぬ男からの文(ラブレター)は母親に見せる。「我が好かぬ男の文は母に見せ」。本当に大切な人からの文は見せないけどね。
315 仲人の夫婦 わらいが上手なり おもしろい事おもしろい事
仲人は、やっぱり愛想笑いがうまい。そうでなければ仲人もつとまらない。
336 こし元の けしやう(化粧) にきびに手間が取れ ためて置きけりためて置きけり
若い腰元の化粧に時間がかかる。ニキビのせいだ。江戸の時代も若者はニキビに悩んでいた。
394 かかさまが しかると 娘 初ては いひ かくれこそすれかくれこそすれ
「隠れて」会う相手に、「母様に叱られます。やめてください」と、初めの頃(初手)は言っていたウブな娘。慣れてくるとどうなるか。「初手は」と書いて、その後を想像してみよ、というのだ。
445 去り状を取る内 年が三つふけ もらひこそすれもらひこそすれ
去り状は離縁状。夫はすぐに三行半(=離縁状)を書いて渡せたが、妻からはできなかった。妻が離縁したければどうするか。各地にあった縁切り寺(駆け込み寺)へ駆け込み、三年すると離縁が出来た。女性の場合は離婚に三年かかる。三歳老けたというのだ。それでも離婚ができる仕組みにはなっていた。
653 くどかれて娘は猫に ものをいひ どうぞどうぞとどうぞどうぞと
そんなかわいい時代もあったなあ。照れくさくて、相手ではなく、猫に話しかけている。若い娘ならいいけど。人前で犬や猫に話しかけている年配の人は、ちょっとやばい、かな。
わあ、差別的に最終回を終える。
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