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【文学エッセイ】古都の影 京都の桜―「細雪」谷崎潤一郎

(※このエッセイは2009年11月に書いたものです)

「細雪」を読むのは二回目で、以前は関西に住んでいなかったからぴんとこなかった地名も、今読み返してみると、訪れたことがある場所が次々出てくるし、やわらかな関西弁は耳に馴染んで、イントネーションも思い浮かぶから、文字から声が聞こえてくる。

 谷崎がこの作品を書き始めたのは、一九四二年だそうで、その頃から、もう六十七年も経っているのに、時を越えて、わたしの知っている現在の土地に、姉妹たちが現れてどたばたやっているような気持になった。

 「細雪」は、三十四歳独身で当時としてはかなり行き遅れている三女、雪子の結婚相手を探して、次女の幸子が奮闘する話だ。何だそれ、と思うかもしれないけれど、そうとしか説明できない。特に何が書かれているというわけでもない。面白かったという印象はあるけれど、どんな話か、と訊かれたら悩んでしまう。

 だけど、意識的にエピソードを拾いながら読み返してみたら、案外この話は、事件に満ちていた。

 作品の中では五年の歳月が流れていて、その間に登場人物それぞれにドラマティックな出来事が起こっている。長年住んでいた愛着のある大阪を引き上げて東京に移ってしまう長女。次女、幸子の流産。阪神大水害で末っ子の妙子は命からがら板倉に助けられ、板倉と身分違いの恋をし、のちに板倉は中耳炎をこじらせて苦しんだ末に死んでしまう。また、そのあと妙子は大腸カタルにかかって死にかけるし、元気になったら、今度はまたしても身分違いの相手と子供を作ってしまうが、その子供は死産に終わる。その間に三女の雪子は五回見合いをしている。また、彼らの家の隣にはドイツ人の一家が住んでいるし、ロシア人の家族と知り合いになったりもする。

 何も起こらなかったどころではない。次はどうなるのだろうとはらはらして、退屈する暇がまったくない。なのに、読み終わってしばらくすると、特に何も変わったことは起こっていないという印象になってしまう。不思議な小説だと思う。 五年という歳月。自分の場合はどうだっただろうか。結婚もしたし、研究もしていたし、進路に悩んだし、大学院を修了した。一人の友人が自殺をし、別の友人は病気で亡くなった。二人の祖父も亡くなった。でも、五年間で何か変わったことがあったかと尋ねられると、別になかった、と答えてしまいそうになる。「細雪」と同じだ。

 五年間、何もなかったわけではない、と改めて気がついたのは、引越しのために、片づけをしているときだった。 今月、ようやく条件にあった貸家が見つかって、五年住んだ家を引っ越すことになった。それで、ずっと手付かずだった押入れや本棚やクローゼットの中を整理することになった。 旅行に行ったときの思い出のパンフレットや、人からもらった手紙、写真、書類が、ぞろぞろ出てくる。見返せばなつかしいけれども、膨大な思い出に囲まれて、こんなこともあったか、あんなこともあったか、と記憶をたぐっているうちに、途方に暮れて、ぐったりしてしまい、貴重な時間がどんどん過ぎていく。

 思い出の痕跡たちは、口々にわたしに訴えかけてくる。個々の雑多な過去たちは、恥に塗れていて、うっとおしく、同時に、なつかしく、いとおしいような気もして、いろんな思いが溢れてしまい、いいものなのか悪いものなのかも分類できない。手に負えない。思い出に絡みつかれて、足を引っ張られているような思いがする。こんなもの全部捨ててしまえればいいのに。でも、捨てたら予想もできないような恐ろしいことが起こるような気がして、しかも予想がつかないものだから対策のしようがなくて、ますますどうすればいいのか分からない。片付かない。

 普段は忘れていたけれど、こんなふうに思い出してみれば、毎日の一瞬一瞬は、悩んだり感動したりして、とてつもなく大きな出来事だった。なのに、日々をこなしていくうちに、それらは、だんだん、何でもない出来事に変わっていった。日常が、わたしをごうごうと押し流していく。尖った鋭い出来事も日常に洗われているうちに、角が取れ、丸く小さくなっていく。

 日常とは何だろう。

 日常とは、しなくちゃいけないことをこなし続ける日々のことだろうか。だから、普段は思い出を抱えていると身動きが取りづらくなるから、脇に置く。そのうちに、日常は思い出を押し流し、角を丸くし、小さく滑らかにしてしまうのだ。 五年間、特に何もなかったと答えるリアルさが、「細雪」の中にはある。多くの小説は、時の流れに抗って踏みとどまり、なんでもない日常から何でもなくない何かを書き出そうとしているのに、この小説は、日常という大きなもの、そのものを書いている。

 と、同時に、何もなかったわけじゃないと、時の流れに抵抗する主人公たちの様子も描かれている。

花は蘆屋の家の附近にもあるし、阪急電車の窓からでもいくらも眺められるので、京都に限ったことではないのだけれども、鯛でも明石鯛でなければ旨がらない幸子は、花も京都の花でなければ見たような気がしないのであった。

 しかも、決めているのは京都に行くということだけじゃない、コースまで毎年同じなのだ。

土曜日の午後から出かけて、南禅寺の瓢亭で早めに夜食をしたため、これも毎年欠かしたことのない都踊を見物してから帰りに祇園の夜桜を見、その晩は麩屋町の旅館に泊って、明くる日嵯峨から嵐山へ行き、中の島の掛茶屋あたりで持って来た弁当の折を開き、午後には市中に戻って来て、平安神宮の神苑の花を見る。(中略)彼女たちがいつも平安神宮行きを最後の日に残しておくのは、この神苑の花が洛中における最も美しい、最も見事な花であるからで、圓山公園の枝垂桜がすでに老い、年々に色褪せて行く今日では、まことにここの花を措いて京洛の春を代表するものはないと云ってよい。

 今は十一月。桜は咲いてないし、紅葉のシーズンにも少し早いけれど、せっかくなので谷崎が描写した庭がどれほどのものかと、わたしは恒例の現地取材に出かけていった。 これほど有名な庭なのに、入場料がいるわ、人が多いわ、ということで敬遠して、わたしはまだ一度も訪れたことがなかった。
 平安神宮の門をくぐると、白い石が敷き詰めてある広大な境内がある。庭は、その神宮の外周をぐるりと取り囲んでいる。
 
あの、神門をはいって大極殿を正面に見、西の廻廊から神苑に第一歩を踏み入れた所にある数株の紅枝垂、―――海外にまでその美を謳われているという名木の桜が、今年はどんな風であろうか、もうおそくはないであろうかと気を揉みながら、毎年廻廊の門をくぐるまではあやしく胸をときめかすのであるが、今年も同じような思いで門をくぐった彼女たちは、たちまち夕空にひろがっている紅の雲を仰ぎ見ると、皆が一様に、
「あー」
と、感歎の声を放った。

 確かに門を抜けた途端に、枝垂れ桜の枝が何本もあって、これらが一斉に咲いたら、本当に素晴らしいだろう、と想像する。「あー」なんて、間抜けな声も出るのも分かる。いつまでもここに立ち止まっていたいと思うかもしれない。
 姉妹たちは幸子の夫の貞之助に写真を撮ってもらいながら、広い庭園をそぞろ歩いていく。わたしも本を片手に、文章と看板を見比べながら、桜が咲いているつもりで庭を歩いていく。

 白虎池の菖蒲の生えた汀を行くところ、蒼流池の臥龍橋の石の上を、水面に影を落して渡るところ、栖鳳池の西側の小松山から通路へ枝をひろげている一際見事な花の下に並んだところ、

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シーズンではない平日の夕暮れ時、ほかに歩いてる観光客は数名しかいない。桜は咲いていないが、広大な敷地にゆったりと広がる池は、鏡のように秋空を映していて、神苑という呼び名にふさわしい荘厳な景色だった。

 桜を愛でて、さらにこんな素晴らしい庭を堪能できるのなら、何度も来たくなるくらい思い出に残る花見になるだろう。ただし、人で混雑していなければ。 あとから詳しい人に訊いてみれば、桜の季節には、この庭園の入場券を買うために、入口から長蛇の列になるのだという。春の京都は本当に人が多い。だから、わたしは花見といえば、家の近所の鴨川と医学部の構内を平日の昼間に歩きながら眺めるだけで済ましていた。それなのに、わざわざ芦屋から毎年やってくる姉妹たちは、京都というベタな場所を選び、同じコースをなぞるだけではなく、さらに動作まで同じことをくり返す。

彼女たちは、前の年にはどこでどんなことをしたかをよく覚えていて、ごくつまらない些細なことでも、その場所へ来ると思い出してはその通りにした。たとえば栖鳳池の東の茶屋で茶を飲んだり、楼閣の橋の欄干から緋鯉に麩を投げてやったりなど。 

 一年に一度、決められた手順を守って再生される「特別なくり返し」。そんな非日常的なくり返しをすることによって、すり減らされ忘れていた記憶がよみがえるのかもしれない。その行為は、流れていく大きな大河のような日常に、楔を打っていくような作業かもしれない。

 彼女たちは、自分の生まれ育った土地を愛し、慣れ親しんだ生活をいつくしみ、家を大切にして生きている。関西から離れるというだけで、さめざめと泣く三女雪子や、家の格式を重視して雪子の見合い相手に難癖つける長女夫妻や、定番のものを愛し、俗っぽい楽しみに興じる幸子たち。初めて読んだとき、わたしは彼らに共感することが出来なかったのに、今読めば、何だか、うらやましいような頼もしいような気持がするのだった。

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 ところで、「細雪」の中で、わたしが最も好きな場面は、家の中に蜂が入ってきて、三姉妹と子供たちがみんなで逃げ惑う一幕だ。

或る日三人が六畳の間に臥ころびながら、いつものように掃き出し窓から流れて来る冷たい風を受けていると、庭から大きな蜂が一匹舞い込んで来て、最初に幸子の頭の上でぶんぶん云いながら輪を描き始めた。
「中姉ちゃん、蜂やで」
と、妙子が云うと、幸子が慌てて起き上ったが、蜂は雪子の頭の上から妙子の頭の上へ、―――そしてまた幸子の頭の方へと、次々に三人の頭上を舞い舞いするので、裸も同然の身なりをしている三人は、部屋の中をあっちへ逃げこっちへ逃げして歩き廻った。
(中略)
「何やねん、あの騒ぎは」
と、ひょっこり板倉が勝手口からはいって来て、台所と廊下の境界の暖簾の間から首を出した。
(中略)
そう云っている板倉の鼻先を、五人が一とかたまりになって駆け足の練習でもしているように握り拳を両脇に附けながら走って通った。
「今日は。―――えらいこッてすなあ」
「蜂や、蜂や、板倉さん、早よ掴まえて、―――」
 幸子が金切り声を挙げながらも休まずに駆けて行った。

 このあと、あっさり蜂を追い出した板倉は、「阿呆らしい、蜂の方が驚いてまっせ」と彼女たちを笑い飛ばす。

 このたわいもない出来事の描写の面白さが「細雪」の醍醐味だと思うので、わたしはいつも、「細雪」がどんな小説か訊かれたら、このシーンを紹介することにしている。

 面白さは日常のささいな出来事の中に溢れている。細雪は、そのささいな事をいきいきと描いているのに、同時に、大きな日常も描いている。

 敵わないなあ、なんて、思う。でも、何だか、敵わないと思うことが嬉しい。小説というものはここまで面白くなれる。そして、これから先、この途方もなく面白いものに、小説家として一生かかわっていく。
 分厚い「細雪」の本を表紙を眺めながら、一人、にやにやする。

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「細雪」谷崎潤一郎
昭和二十三年に完成した書下ろし長編作品。大阪の旧名家の四姉妹が主人公。おっとりして旧式な長女、快活な美人で妹贔屓の次女、清楚で頑なな三女、奔放で才能溢れる末っ子。会話はすべて関西弁で、何気ない日常が微笑ましい描写でいきいきと描かれている。

執筆日:2009年11月20日 初出:「京の発言」第14号

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