【短編小説】みーこそっくり (1/2)

 圭介はいつも、ラフ画を完成させるまでは、担当する作家のことを知らないままでいることにしていた。編集者の片岡にも、依頼のときに、作家の情報を教えないでほしいと頼んでいる。名前も年齢も性別も、これまでの作品も知りたくない。先入観をもたずに文章に向き合いたい。
 作者のプロフィールや評判を気にしながら絵本を読む子どもは、おそらくほとんどいないだろう。できるだけ読者と同じ気持ちで読みたかった。表紙を見て、最初の一ページを開いて、物語と出会うその瞬間を想像しながら、絵を描きたかった。
 が、知らないままでいるのは今日までだ。ラフ画が完成したからだ。
 圭介は大きく深呼吸をした。片岡が作家を連れてやってくる約束の時間まであと五分もない。今日は、ここで圭介の描いたラフを初めて見てもらうのだ。
 圭介はソファーから立ち上がると、部屋の中をうろうろと歩き回った。妻のゆかりのCDコレクションの中から一枚選んで再生してみたが、ちょっと気取りすぎているかと思い直し、停止させた。クッションの位置を直し、また元に戻す。
 初めて絵を見てもらうときのそわそわした気持ち。これは何度経験しても慣れることはない。作家にとって、作品は大切な宝物だ。子どものような存在かもしれない。でも、かといって、遠慮して描いては絵本に命が吹きこまれない。こちらはこちらで、全力で愛を注ぐ。その注ぎ方を気に入ってもらえるかどうか、これはもう作品の出来がどうこうというより相性の問題かもしれない。
 チャイムが鳴る。緊張して玄関のドアを開けた圭介だったが、片岡の隣にいる小柄なショートヘアの女性を見て、思わず口から愛称が飛び出た。
「みーこ……」
 女性は驚いて圭介を見た。もっと驚いているのは、隣にいる片岡だ。
「ふたりは知り合いだったんだ」
「いいえ、初対面です」
 女性は言った。
「それにわたし、みーこではありません」
「ですよね。粟田まちさんですものね」
 片岡は、圭介をにらむと、まちに向かって神妙に言った。
「こいつとは中学生のときからのつきあいなんです。悪いやつじゃないことは私が保証しますから、怒るのは事情を聞いてからにしてくれますか?」
 まちはうなずいた。気分を害している風でもなかった。ただ、じっと圭介を見ている。
「圭介、説明しろ」
 あきれたように片岡が言った。圭介も神妙な顔を作った。
「そっくりだったんだ」
「どこの女と?」
「女というか、猫だよ。僕の描いたミカエルと」
「ミカエルとわたしがそっくり?」
 自分の物語の主人公の名前を聞いて、まちの目が輝いた。
「そう。つまり、描いてる間、ミカエルのことを、みーこって勝手に呼んでいて……。作者はどんな人だろうって楽しみにしてたけど、あまりにミカエルそっくりなものだから、思わず口から出てしまったというか……」
「何ですか、それ。早く、絵を見せてください」
 圭介はもう一度神妙にうなずくと、リビングにふたりを通した。そして、ラフ画と試しに色をつけてみた見本を渡してから、少し離れたカウンターキッチンに立った。ミルにコーヒー豆をセットする。なるべくふたりの様子を見ないように、手元に集中する。まるで判決を待つ被告人のような気持ちだ。圭介としては満足のいく出来だったが、ふたりがどう思うかはわからない。絵の出来だけでなくテイストの好みもある。イメージが全然違うということももちろんあり得る。
 カップを三つ載せたお盆を持って、リビングに戻った圭介を見るやいなや、片岡は大きな声で笑いだした。
「やるなあ、お前。本当に、まちさんにそっくりじゃないか」
 片岡は言った。
「似てますか? 自分ではわからないんですけど」
 まちは片岡に真面目に問う。玄関で見たときよりもリラックスしている様子だった。
 その場の空気が悪くなっていないことにほっとしながら、圭介はローテーブルにコーヒーを置いた。椅子を持ってきてソファーの前に座る。
 片岡はカップに口をつけたが、まちは絵を見つめ続けている。圭介と片岡はコーヒーを飲みながら、まちが口を開くのを待った。あまりにも長い時間黙っているので、何か不満があって言いづらいのかもしれないと思い至った圭介は、
「どうでしょうか」
 と、遠慮がちにきいてみた。まちはぴくんと体を震わせて、驚いたように圭介を見た。まるで、そこにいるのに初めて気づいたみたいだった。
「すごくいいです」
「……ありがとうございます」
 圭介はほっとしてため息をついた。
「うん、いいね」
 と、片岡も言った。
 作者と編集者にいいと言ってもらえたら、圭介の仕事は終わったようなものだった。物語の世界を表せていて、読者に伝わる絵になっていると、専門家の彼らがそれぞれ保証したのだから、あとは心をこめて仕上げていけばいい。
「どうしてわたしの頭の中がわかるんですか? 魔法使いみたい」
 手品を見せられた子どものような顔で、まちが圭介を見る。ますますみーこみたいで圭介の顔はほころぶ。
「全部、文章に書いてありましたから。僕はそれを読んで描いただけですよ」
 魔法使いはあなたの方ですよと言ってみようかと圭介は思ったが、片岡に聞かれるのが恥ずかしくて、やめておいた。
「片岡さん、ありがとうございます。素敵なイラストレーターさんを紹介してくださって」
「合うと思ったんです。まちさんの世界観に」
 作家は、今度は圭介に向き直った。
「わたし、ケースケさんの描いた作品を片岡さんに見せてもらって、絶対この人がいいと思ったんです。でも、ケースケさんは、気に入った作品じゃないと描かないって聞いていたので、気に入ってもらえるか心配で心配で。描いてくれるって決まったときは、本当嬉しくて」
 なんだかずいぶん大物のアーティストみたいだ。圭介は慌てて訂正する。
「そんな大したことじゃないんですよ。ただ、僕、普段は会社員をしていて、土日しか作業できないんで、あまり数を描けないんです。だからどうしても、作品も選ばなくちゃいけなくて……」
 いくつか細かいところや設定の確認をし、色について話し合う。
 ミカエルは、ちょっと気の弱い、でも好奇心旺盛な黒猫の女の子だ。男の天使の名がついているのは、名付け親のおばあさんがミカエルのことをオスだと思っていたせいだ。ミカエルには動物の友達がたくさんいて、仲間のピンチには勇気を出して行動する。
 まちの物語は圭介の頭の中に次々と絵を浮かばせる。ちょっと出過ぎたことかもしれないと思いながら、圭介はこんな提案をしてみた。
(つづく

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