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小説だからできること

 フィクションの物語を伝える方法は小説だけではありません。映画やテレビドラマのような映像作品、漫画、演劇、落語など多岐にわたります。その中で小説が他のジャンルよりも優れているのは「心の動き」を詳細に伝えることができる点にあるとわたしは考えています。
 人の心の動きは複雑です。喜びの中に絶望が潜んでいたり、表面では怒りながらも心の中では泣いていたりすることもあるでしょう。たとえば、驚き、絶望し、そのあとに混乱して怒りが湧いて、最後にむなしくなる……そんな人物の心の移り変わりが一瞬のうちに湧き起こることだってあり得ます。もし、これを映画俳優に順番に演じてもらったとしたら百面相のようになってしまうかもしれません。シーンに合うように普通に演じてもらった場合、想像力の豊かな人は複雑な心情の移り変わりを察することができるかもしれませんが、そうでない人は、一種類の感情しか読み取れないかもしれません。しかし、小説は詳細に誰にでも伝わる形で書くことが可能です。

 ここで文章例を見てみましょう。夏目漱石の『こころ』という小説の一節です。「私」は親友のKと同じ女性「お嬢さん」を好きになってしまいます。「私」はKを出し抜いてお嬢さんの母親である「奥さん」にお嬢さんと結婚する了承を取り付けます。その二日後、Kは自分の部屋で自殺をしました。原因はわかりません。遺書には「私」のせいだとは書いていないのです。Kがお嬢さんを好きだというのは、「私」の憶測で、お嬢さんにも奥さんにも伝わっていません。だからこそ、「私」はひとり苦悩します。次に引用する場面は、Kの葬式が行われたあとのシーンです。

 お嬢さんは泣いていました。奥さんも眼を赤くしていました。事件が起こってからそれまで泣く事を忘れていた私は、その時ようやく悲しい気分に誘われる事ができたのです。私の胸はその悲しさのために、どのくらい寛(くつろ)いだかしれません。苦痛と恐怖でぐいと握り締められた私の心に、一滴の潤(うるおい)を与えてくれたものは、その時の悲しさでした。
(『こころ』夏目漱石)

 悲しい気分に誘われたことによって、「私」の心はくつろぎ、潤い、救われた。この奇妙な心の動きを映像で正確に表すことは難しいのではないか、とわたしは思います。音楽ならもしかしたら表せるかもしれません。

 物語を通して読まないとこのシーンの描写の本当の味わいを知ることはできませんので、ぜひ、読んだことがある人も書き手の目線で、読み返してみてください。

 このように、心の動きを詳細に書けることが小説の強みです。心の動きや感情は、目で直接見ることはできません。なんとなくもやもやと感じることはできますが、そこに適切な言葉が与えられるまでは、正体不明ですっきりしない塊です。

 そこにペンをもって切り込むのが小説家だとわたしは思っています。ハイビジョンカメラで、人が踏み入れたことのない場所の貴重な映像を撮ってくる撮影班のように、小説家は登場人物の心のなかに踏み入って、もやもやとした塊を観察し、カメラの代わりに言葉でそれをとらえます。普段、普通の人があまりしないことをするからこそ、そこに読む楽しさが生まれます。

 実は感情を言葉にするというのは、難しいものです。わたしたちは大人になるまで大量の文章を書いてきましたが、感情を言葉で表すことはほとんどしてきていません。感情の語彙が驚くほど乏しいのです。一方で、行動を書くことは得意です。登場人物に声を荒らげさせたり、窓の外を眺めさせたり、微笑ませたり、声を震わせたりは、お茶の子さいさい。でも、そのとき登場人物がどんなことを考えているのか、何を感じているのかを、じっくり想像することをさぼってはいないでしょうか。

 怒りの声をあげている人物の心のなかには孤独と絶望がうずまいているかもしれません。なんとなく間がもたないから人物に窓の外を眺めさせたものの、まったく意味のない描写かもしれません。声が震えるのは恐怖からではなく、失望からくる憎しみの現れかもしれません。

 登場人物の心の動きをじっくりと想像することは、とても時間がかかる作業です。セリフのひとつひとつ、一挙一動ごとに想像をしていたら、一文を書くだけで日が暮れてしまうかもしれません(実際に日が暮れます)。しかし、それをさぼって、想像力を使わずに書いた文章から生まれる人物は、どこかで見たようなテンプレートの人物になってしまいがちです。また、見た目だけを書くのであれば、俳優が演じる映像作品を見たほうがずっと面白いでしょう。

 自分が生み出した人物たちの心情を丁寧に想像していくことで、唯一無二の個性が生まれます。また、頭で決めつけるのでなく、想像を介してセリフや行動を生み出していくことで、現実にいそうな人物ができあがります。

 小説を書き始めの人にありがちなのが、行動とセリフだけの文章になってしまうことです。それでは小説の魅力は発揮できません。心のなかも詳細に説明できる小説のメリットを十分に生かしてほしいとわたしは考えています。

 ちなみに、情景描写にもさまざまな心情や情報を投影して書くことができるのが小説の面白さです。行動とセリフだけの文章や、設定の説明だけが延々と書かれているものは、フルハイビジョンの映画を、モノラル音声だけで聞いているようなもの。小説のポテンシャルを活かし切れていなくてもったいないのです。文章描写についてはあとの章で説明していきます。


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