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努力していないから嫉妬する権利がない、ということに気がついた

活躍している小説家や本屋に並ぶベストセラーと銘打たれた本を見ると、嫉妬で苦しくて逃げ出したくなる。つらくて情けなくてみっともなくて、そんな自分が嫌になる。

どうにかならないものかと思って、ダメもとで裏紙に自分の気持ちを書きだしていたら、タイトルの結論にたどり着いた。わたしは小説を書く努力をしていないから嫉妬する権利がない、と。

努力をしていない、と言い切るのは難しい。そんなことない、がんばっていると「お気持ち」が抵抗する。だからわたしは定性的ではなく定量的、つまり数値化できる部分で自分を客観的に評価することにして、

努力=どれだけ時間を使っているか

と、定義した。そうしたら、小説家として腕を磨くために費やしている時間がほとんどない、という動かせない事実と向き合うことになった。専業小説家の人は、寝る時間以外のすべての時間を小説に費やしている。兼業だったとしても他の仕事以外の時間は小説に全て注ぎ込んでいるはずだ。それなのにわたしは、ときどき思い出したように小説を読んで(月に1冊も読んでいない)、4か月に1度来る連載の短編の締切で小説を書いて、年に1冊くらいのペースで舞い込む小説仕事で2、3カ月、小説と向き合うくらいしかしていない。小説家として腕を磨くために費やしている時間がゼロの月も、かなりある。

嫉妬する権利なんてない。努力ですべてがかなうとは思わないけれど、努力をせずに嫉妬をすると、嫉妬をポジティブなエネルギーに換えることができない気がする。そして、努力をすると嫉妬する気持ちはなくなる気がする。

もしかして、活躍している小説家やベストセラー本を見てモヤモヤする何だか嫌な負の感情は、嫉妬ではないのかもしれない。自分に対するネガティブな気持ち。何やってるの、情けないな。ちゃんと小説書きなよ。言い訳せずに、と思ってしまうのが苦しくて、八つ当たりのように相手を恨んでいるのかもしれない。

わたしが小説を書くことは世に必要とされていない、と思うことがある。でもこれも、努力してから言え、である。努力してるよ!って、ずるいわたしが言い返したら、すかさず「いつどこで?何時何分?何時間何分?」って聞き返したい。

しかし、現状、ライターの仕事で、寝る時間と休む時間以外はすべて埋まっている。そうしないと、お仕事が終わらない。すべての時間を費やさざるを得ないのは、量が多いからではなくて、自分にとって少し難易度の高いものしか引き受けないから、勉強したり、試行錯誤したり、悩んだりという時間が必要になる。とても時間を費やしている。つまり、わたし、すごい、努力している。ライターとして腕を磨く努力をめっちゃしている。努力が忙しすぎて、自分にとっての課題がクリアできるのが楽しすぎて、ライター業に関しては、誰かに嫉妬したりする気持ちがまったく起こらない。

努力したら嫉妬も消える仮説は、結構正しいのではないか。

嫉妬の気持ちが起きて苦しくなったら、それが消えるまで、自分の腕を磨く努力をしようと思う。努力は気持ちではなく時間で測る。

とはいえ、今すぐライターの仕事を減らそうとは思わない。わたしが参加することで、今までになかったものを生み出せそうな気がしている。もうひととおりやりつくしたなと思ったら、すっぱりやめて、小説に本格的に取り組むのかもしれない。いや、もしかしたら、その頃には小説家ではなく、ライターがアイデンティティになっているのかもしれない。小説はもうあきらめているかもしれない。うーん、でもそれもさみしいな。未来は分からないけれど、1分でも2分でも、少しずつ、小説家の腕を磨く努力も続けていこうと思う。

photo: sayoco

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