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2匹目の猫

記憶は脳の中に保存されている。外から関連する刺激が入ると、記憶を保存している神経細胞のネットワークが活性化して、その記憶が想起される。関連する刺激が入らなかったら、その記憶は思い出されることがない。脳の中に眠っていて日の目を見ない。

小説を読むと、いつも忘れていた記憶や感情が蘇る。普段の生活では得られない刺激を与えてくれるからなのかもしれない。『文学2022』から江國香織「川のある街」を読んでそう思った。子どもが主人公の短編で、読んでいくうちに次々と、思い出すこともなかった自分の子ども時代がよみがえってくる。そんなふうによみがえったことが面白くて、そんなふうに小説を楽しんでいいのかわからないけれど、でも読んでいる時間がとても楽しかった。

今日は保護した猫「おもち」を2階へご招待した。両かかともひじも尻尾も怪我をしていたので、何かあったらあぶないので1階だけで療養してもらってたんだけど(まったく外に出たがらない)、すっかり治ったから、そろそろいいかなと思って。ちょっとした冒険。

デスクで仕事をしている膝の上にものってきて、くつろいでいた。重たさ、あたたかさを感じて、ふっと、前に飼っていた猫とこうして過ごしたことをありありと思い出した。猫がいることが当たり前だったあのときと、見送ってからまた出会った猫との日々は、明らかに違う。当たり前ではないことを知っていて、いつか先に行ってしまうことも知っているから。

朝からずっと本の原稿を書き続けている。何万字も書きながら(本1冊書くには10万字くらい必要)、本を書くって何だろうって考えている。5分で読める短い文章の方が喜ばれるんじゃないか、なんて思いながら。

何で本を作るんだろう。作りたいから作る、とシンプルに言えないほど、本を作るのは、とても、しんどい。でも、本を作ることは、生きることと似ている。1冊1冊、わたしの命をつむいで閉じ込めていく。でも、そんなことをしておいて、本体のわたしの命は、やせ細るどころか、より豊かになっていく。

楽なことばかりしていたら、やせ細ってしまうのだろうな。精神とか人間性とかの話ね。ジムに行ってちょろちょろっと運動するくらいでは、少しもやせないのである。

おもち近影

〈本日の小説活動〉
江國香織さんの短編「川のある街」を読んだ。


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