第25話 缶ビールとユーチューバー|2020年12月

 幸彦はコタツのテーブルに並べたものを念入りに点検した。ノートパソコン、ポテトチップス、いなり寿司、唐揚げ、チーズ、ソーセージ、ケチャップ、箸、ウェットティッシュ。


(よし、完璧)


 冷蔵庫から缶ビールを四本取り出し、腕に抱えてコタツに入る。足先からじんわりと暖かさに包まれる。コタツというものは、一度入ったら最後、出る気を根こそぎ奪って一体化してしまう。だから、入る前には、必要なものをすべて手の届くところにそろえておく。缶ビールも本当は飲む前に一本ずつ冷蔵庫から取り出す方がいいに決まっているが、コタツから出たくない気持ちは冷たいビールの魅力よりも勝るのだ。
 パソコンを立ち上げ、動画会議のサイトにつなぐ。まだ、甲本結季は来ていない。
 スマホをいじりながらしばらく待ってみたが、全然来ない。缶ビールが気になってきた。ぬるくなってしまわないだろうか。
 今日はふたりでオンライン飲み会だった。一応、乾杯をしたほうがいいのだろうが、画面越しなら角度に気をつければ、先に開けてもわからないのではないか、と幸彦は考えた。何なら、結季が来たら新しい缶を開ければいい。


 プシュッという小気味のいい音が部屋に響く。グビグビと喉に流しこむと苦みと炭酸の刺激で体が目覚めていく。ビールがおいしいと思うようになったのは。社会人になってからだ。大学生のときはおいしいとは思わなかった。でも、仕事が終わったあとの飲み会や打ち上げで飲むうちに、ビールを飲むという行為が、仕事の達成感や解放感と結びついて、快感を覚える体質になってしまった。パブロフの犬のようなものかもしれない。
 待ち合わせの時間を十分過ぎているが、メールで連絡を取るのはためらわれた。今日は、結季は来ないかもしれない。昨夜のメールを思い出す。


『仕事やめてきた』


 と、突然、結季から送られてきたのだ。あまりにも唐突で、幸彦の想定外な言葉だった。別に結季が今の仕事を絶対やめないと宣言していたわけではない。それなのに、幸彦は今までと同じ状態がこれから先も続いていくと根拠なく思いこんでいた。だから焦った。
 なぜやめたのか、と幸彦は問い返したと思う。結季の答えは「会社の人とお昼を一緒に食べるのが嫌になったから」だった。そんなことで仕事をやめるなんて、幸彦にはわけがわからなかった。だから女は、という差別的な気持ちも湧いた。今まで何も相談がなかったことにもショックを受けていた。動揺と混乱の中、幸彦が返した言葉は「それって社会人としてどうなの?」だった。
 既読にはなったが、返信はなかった。幸彦は慌ててもうひとつメールを送った。


『じゃあ、結婚する?』


 今度は既読にすらならなかった。
 幸彦はため息をついた。今はもう既読になっているかもしれないけれど、昨夜のメールを見返す勇気がなかった。


 手持ち無沙汰になって、テレビをつける。とたんに音楽や話し声が1DKの部屋に満ちる。にぎやかな他人のおしゃべりに脳が占領されて、何も考えられなくなる。こんなふうに逃げ続けている場合ではないという気はするが、ビールはそんな罪悪感も一緒に腹の中に流しこんでくれる。


『今年の年末は人ごみを避けて、できるだけ家で過ごしましょう』


『忘年会や新年会は少人数で。会食はマスクをしたまま行いましょう』


 今年の春ごろから急に世間を騒がせ始めた感染症は、あっという間に日本中に広まり、社会現象になった。ウイルスを広げないために、人と会わない生活が推奨されて、生活様式が変化した。こんなときじゃなかったら、結季に会いにいけたのに、と幸彦は思う。直接じっくり話して仲直りすることもできるかもしれない。表情で伝わることもあるかもしれない。


 そこまで考えてみて、幸彦は自分に嫌気が差して寝ころんだ。ウイルスが蔓延していなかったときも、結季とじっくり話したことはないではないか。デートをしたり、ご飯を食べたりして、かろうじてつながっていただけだ。こんなふうにコミュニケーションの時間が分断され、騒いでごまかすことができなくなると、幸彦は自分が空っぽであることを思い知らされる。結季ももしかしたら、それがわかって幸彦に愛想を尽かしたのではないだろうか。
 そのとき、スマホに着信があった。慌てて飛び起きてテレビを切る。結季からかと思った。だけど、違った。叔母の果穂からの着信だった。


――ゆきちゃん、ユーチューバーって、できる?


(……は?)


 幸彦の頭は一瞬、真っ白になった。何を言っているのかわからない。果穂の言う「ユーチューバー」とは、個人で動画をつくって、テレビ番組のようにネット配信する人たちのことだ。


(できるって? 俺に、それになれと? なぜだ?)


「……まあ、やれと言われたらできなくもないかもしれない」


「やった! 動画は撮ってみたんだけど、どうしていいかわからなくて」


(もう撮った? 俺が撮るんじゃなくて?)


 幸彦は混乱したが、いつも唐突に変なことを言ってくる果穂の扱いには慣れていた。いくつか質問して、幸彦は何とか果穂のやりたいことを聞き出した。
 要するに、ユーチューバーになるのは果穂で、動画のアップロードのやり方がわからないのだ。リフレクソロジーを教える動画をアップしたいらしい。


「とりあえず、動画送って」


――宅配便で送ればいい?


「えっ、宅配便? 動画をメディアか何かに入れてるってこと?」


――メディアって? マスコミのこと? そんな大きく取り上げられるようなものじゃないよ。わたし、無名だし。


 ダメだ。何だか全然通じない。幸彦は焦る。


「えーっと、動画どこに保存されてるの?」


――スマホの中だけど。あ、スマホを宅配便で送ればいい?


「送らなくていい。絶対送らないで」


 幸彦は頭を抱えた。クラウドにアップしてとか、ファイル便で送れとか、そういう話をするレベルではない。試しにスマホからメールで送ってもらったが、送る過程でサイズが縮小されたらしく、ネットにアップできるような画質にはならなかった。


「室田さんは?」


 果穂の夫の室田なら、カメラマンだから大きなデータを送信する方法は知っているだろう。


――剛くんはユーチューバーとか嫌いだし。


「それなのに、アップして怒られない?」


――どうせ見ないからわからないよ。


 幸彦は途方に暮れた。動画通信なら手元を映してもらいながら説明できるかもしれないが、まず通信するのが難しそうだ。
 とりあえず通話を切って、簡単な解説が書いてあるサイトを見つけて果穂に送った。とりあえず、実地訓練をしてもらうしかない。随時、フォローはする。


『ありがとう! がんばる!』


 文字だけのメールを見て、幸彦はため息をついた。ネットもパソコンも苦手なのに、いきなりユーチューバーデビューだなんて、無謀すぎる。あきれたけれど、果穂らしい。


 果穂からメールで送られた動画を再生してみる。小さいけれどスマホで見る分には特に支障はない。画面が斜めになっている。音声はよく聞こえる。しゃべり慣れてなくてユーチューバーのイメージからは程遠いけれど、でも逆に新鮮でうけるかもしれない。
 初回だから自己紹介をしている。赤ん坊を保育園や親に預けながら、リフレクソロジーを再開していたけれど、ウイルスの流行のせいで休業状態にあるというようなことを話していた。


『そうやって仕事ができなくなって、わかったことがあったの。わたしは誰かにリフレをすることで、自分が元気になってたんだって。だから、いまもう、元気なくて死んじゃう。限界かも。だからユーチューブ、やってみました』


 スマホの向こうで果穂が笑った。


『だから、この動画を見てくれた人は、人助けをしたーって思ってください。リフレで誰かの役に立てたら、わたし、生き返るから』


 ようやく、自分でできるハンドマッサージの解説が始まる。ちょっと長すぎるから、半分の時間で切って二回にわけてアップしたほうがいいよ、と幸彦は果穂にメールを送った。送った後で、果穂に動画編集ができるのか不安になって、簡単に動画編集ができるスマホアプリのリンクとその説明も一緒に送った。


 リフレの話をしている果穂は、とても楽しそうだった。それを見ていた幸彦は唐突に、結季との昨夜の会話を思い出した。結季はなぜ今の仕事をやめたのだろう。仕事をやめるなんて、いい加減な気持ちでできるはずはない。それなのに、なぜ俺は、理由を深く聞かずに非難したのだろうか。好きな人の選択を信じなかったのだろうか。自分は結季の何を好きなのだろう。


 自己嫌悪で押しつぶされそうだった。コタツに覆いかぶさるように座って、ビールを流しこむ。三本目が空になる。お酒に強くない幸彦はすでにかなり酔っぱらっている。


(さみしいな……)


 なぜか涙が出てきた。さみしくて泣くなんて、子どもみたいだ。単に、ストレスが溜まっているのかもしれない。なんでもないふりをして、何も考えずに感情を押し殺して、平気な顔で毎日をやりすごしていたツケが溜まっていたのかもしれない。酔っているせいで感情が制御できない。次々涙があふれてくる。


『ごめんごめん! 時間、間違えてた! もう、メールしてくれたらよかったのに!』


 突然、結季が部屋に現れた……ように感じた。顔を上げると、パソコンのモニターの向こうに結季の慌てた顔があった。いつも通りの、親しみのこもった表情で幸彦に笑いかけている。幸彦はなんだかほっとして、また涙があふれた。


『え、え、え! 泣かなくてもいいじゃない! ごめん! ごめんって!』


 言いたいことも謝りたいこともいっぱいあるのに、涙が止まらなくて声にならない。仕方ないので、幸彦は泣きながらチャット機能を使って文字を送る。


――大丈夫。全部ウイルスが悪い。


『そうだよね。全部やつらのせいだよね。あいつらがいなかったら、こんなオンライン飲み会なんてしなくていいし。直接会う約束だったら、さすがにわたしも時間間違えないと思うんだよね』


 結季がなんだかよくわからないフォローをしたので、幸彦は笑った。笑いながら泣いた。そして、たまにはこんな日があってもいいか、と思った。

(つづく)

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京都在住の小説家です。医学博士(京都大学)です。理系ライターもやっています。 お仕事や活動履歴などはHPにあります。 https://kanchikuizumi.amebaownd.com/