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【掌編小説】コリンの理論

 ハカセというのはコリンにつけられたあだ名だった。いつも何かを観察して、難しい本を読んでいるコリンにぴったりのあだ名だったので、すぐに学校中に広まった。今では、コリンのことを本当の名前で呼ぶのは、リートただひとりだった。
 リートは特にコリンと仲が良かったわけではない。ただ、ハカセと呼ぶとコリンが決まり悪そうな顔をするので、呼ぶのをやめたのだ。クラスメイトたちは、逆だった。普段どんなにからかっても動じないコリンが、ハカセと呼んだときだけ動揺するのが面白くて、用がなくてもハカセ、ハカセと呼びかけていた。


 ある夜のこと、散歩をしていたリートは、海の側の丘の上にぽつんと座っているコリンを見つけた。見間違えようがない。小さなランタンの光で照らされた真面目な顔と分厚い眼鏡。リートは少し考えてから、コリンの方へ足を向けた。
 丘の上にたどり着くと、コリンは遠くから見たときと同じ姿勢で座っていた。膝にはノートが広げてあって、コリンはそこにたくさんの数式を書き続けていた。リートは散歩のおともに鳴らしていたラジオを切ると、邪魔をしないように黙って隣に腰を下ろした。
「何をしているの?」
 しばらくたってリートが聞くと、コリンはノートから目を離さずに言った。
「星を観察しているんだ」
「星?」
 コリンが手を止めて顔を上げた。つられて、リートも空を見上げた。そこには、無数の小さな光がキラキラと瞬いていた。
「星ってこんなにあったっけ?」
「あったよ。ずっとずっと昔から」
 ノートに走らせる鉛筆の音が響く。その音を聞きながら星を見上げていると、リートはここが特別な世界に思えてくる。コリンと一緒にいるのは嫌いじゃないなとリートは思った。コリンの近くにいると、見慣れた世界に不思議な力が働いてまるで違うものに見えてくる。
「ありがとう」
 つぶやくようにコリンが言った。リートは一瞬それが自分に向けられた言葉だと気づかなかった。
「リートだけが、僕をハカセと呼ばないでくれる」
 やっぱりコリンは気にしていたのだと思うと、リートはおせっかいなことを言いたくなった。
「みんな、コリンが嫌がるからわざと言うんだよ。気にしなければいいのに。いつもの君のように、からかわれても平然としていればいいんだよ。らしくないよ」
「できないよ」
「どうして?」
「博士っていうのは僕みたいな子供じゃなくて、もっともっとすごい人に与えられる称号なんだ。僕にはまだ、ハカセという呼び名はふさわしくない」
「……そっか」
 リートは黙った。まだ、とコリンは言った。まっすぐな迷いのない目で。そんな風に言えるコリンがちょっとまぶしくてうらやましかった。
「リート、君にだけ言うけれど、僕はとてもすごいことを発見したんだ」
「どんなすごいこと?」
「説明するよりその目で見たほうが早い。見たいかい?」
「見たい!」
 リートは即答した。
「どこで見れるの? それはどんな……」
 リートが言いかけると、コリンが、しいっと人差し指を口に当てるジェスチャーをした。そして、その指でまっすぐに夜空を指した。
「もうすぐ来る」
 次の瞬間だった。夜空が爆発したかのように明るくなった。そして次々と星が流れ始めた。小さな星々が光の尾を伸ばし、競うように夜空を駆けていく。
 リートは息をするのも忘れて、その光景に魅入られていた。あまりにも圧倒されて、ちょっと怖くなった。自分が消えてなくなりそうだった。 
「終わったよ」
 コリンの声でリートは我に帰った。気がつくと、夜空の星は静止していた。そして静かにまたたいていた。
「急いで移動しなきゃ」
「どこへ?」
「願いをかけられた流れ星が落ちる浜辺」
 コリンが駆けだした。リートも後を追って走り出す。夜風がほおに心地よかった。やっぱりコリンといると、世界が違って見える。もっといろんな世界をコリンと一緒に見たい、とリートは思った。
(今度は僕の好きなものを一緒に見よう。お父さんの書斎を案内したら喜ぶかもしれない)
 リートの頭の中は、コリンと遊ぶアイデアでいっぱいになっていた。

 着いたのは波の音がほとんどしない静かな浜辺だった。砂の上に様々な大きさの星が落ちて光を発している。炎や太陽とは違う、冷たくて青みを帯びた美しい光だった。ときどき、しゃらら……と耳に心地よい音が聞こえる。
「あの音は何?」
「星が崩れていく音だ。込められた願いが叶うと、星は砕けて砂になるんだ。この浜辺の砂は、叶った願いでできている」
「……すごい」
 リートはため息をついた。
「これ、コリンが見つけたの?」
「そうだよ。流れ星を観察していたら、願いをかけたときにわずかに軌道がずれることに気がついたんだ。その時の角度と速度からこの場所を割り出した」
「へええ」
 リートはもう一度ため息をついた。なんだか難しくてわからないけれど、コリンがすごいということだけは伝わってきた。もっとたくさん話を聞きたい。できることなら、やり方を教えてもらって一緒にいろんなものを見てみたい。
「おかしいな。ない。どこにもない。僕の星が」
 コリンが悲痛な声をあげた。
「これだけたくさんあったら見つからないよ」
「いや、見つかるはずなんだ。自分の星は近づいたら音色が変わるからすぐわかる。何度も実験して確かめたのに」
 コリンがあまりに動揺しているので、リートは驚いて、何とかコリンをなだめようとした。
「もういいよ、コリン。充分すごいものを見せてもらったもの」
「いや、ダメだ。願いをかけた星を見つけて、君に見せたかったのに。どうしてないんだろう。僕の理論が間違っているんだろうか」
 コリンは今にも泣きそうだった。リートはコリンの手をぎゅっと握った。
「落ち着いて。僕も一緒に探すから。星に特徴はある?  どんな願いをこめたんだ?」
 コリンはうつむいて黙った。それから、小さな声でこう言った。
「……リートと友達になれますように」
 リートの胸の中は星が落ちてきたようにパッと明るくなった。
「そういうことなら、謎は解けたよ。ちょっと待って」
 リートははしゃいだ声を上げて、ポケットから、ラジオを取り出した。それから耳をすませながら、周波数を合わせると、コリンに差し出した。
 ラジオから天文ニュースが流れてくる。
「本日19時、南の空に流星群が現れました。流星群の出現は15秒ほどで終了しましたが、その5分後、雪のように細かい光が夜空に降り注ぐ現象が観察されました」
 コリンの願いは、星がこの浜辺にたどり着く前にかなったのだ。だから、いくら探してもここにはなかったのだ。
「研究データに加える?」
 と、リートはきいた。
「特殊ケースだからどうかな。あと、3回は確かめないと」
 コリンはいつもの冷静な口調で答えたが、星灯りに照らされた彼のほおは赤く赤く染まっていた。

〈了〉
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初出:朗読ユニット火星トランプ公演 vol.3~フシギガタリ~ 2018/6/2~3

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