見下されたと感じる気持ちについて考えたこと

誰かから見下されたと感じる気持ちの正体はなんだろうとずっと考えていた。
わたしは誰かを見下す人になりたくないし、そうなっていないつもりだったし、誰かを見下す心がなくなれば、自分も誰かから見下されたと感じたり気になったりしなくなるのではないか、と思っていた。
だけど、わたしはときどき、仲良くしている人から、あなたから見下されているように感じたと、言われる。心当たりはないけれど、深層心理で見下していて、それがにじみ出ているのだろうか。どう直したらいいのかわからなくて、ずっと考え続けている。

そんなことを、考えていたら、仕事関係で問い合わせた返信メールがあって、それを読んだわたしはひどく落ち込んでしまった。自分になんの価値もないような気持ちになった。そしてまさにいま「見下されている」と感じていることに気がついた。
これはおかしい、と思った。客観的状況から言って、相手がわたしを見下す理由がない。もう一度メールを読んだ。とても丁寧な心のこもったメールなのだけども、わたしの問い合わせの希望には添えないという内容だった。

よく考えたらわたしは昔から、見下されたという思いにとらわれて、よく怒っていた。そんなところからは解脱したような顔をしていたけれど、全然解脱していなかった。まだ渦中にいる。

「受け入れられたい自分」が、受け入れられたいようには受け入れられなかったとき、相手が自分を不当に低く見積もったと感じる心。それが見下されたという思いの正体なのではないだろうか。

正体がわかれば心を解きほぐすことができる。本当に不当だったのか。本当に低く見積もられたのか。タイミングが合わなかったのかもしれないし、相性の問題かもしれないし、必要がなかっただけかもしれないし、それこそが妥当な評価なのにそれを受け入れたくなくて相手のせいにしているだけかもしれない。

妥当な評価なら見下されたわけではないし、間違った不当な評価なら、見下されたかどうかなんて気にする必要がない。間違った評価をする人と仕事をしても人生の時間の無駄なので見切って、妥当な評価をしてくれる人と仕事をすればいい。そんなふうに思えたらきっと「見下された」なんて思いを抱くことがなくなるだろうか。

見下されたと思われる理由も同じで、たぶんそれは、わたしが相手を、相手の期待するようには評価できていないからだ。それはきっと正当に評価できていないのだろう。もっともっとよく見なくてはいけない。丁寧に。

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