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バズりたくない

photo: sayoco

小さいころ、引っ込み思案で泣き虫で言いたいことも言えない子どもだった。それなのになぜか「目立ちたい」とか「大勢にちやほやされたい」と思っていた。

これは親から何度も聞かされたエピソードだけど、わたしは毎日幼稚園で泣いていたらしい。しかも、ちょっと男の子に軽く押されたとか、その程度で。わたしもちゃんと覚えている。何かを言われたりされたりしたときに、上手く言い返せなくて、言い返せないことが悔しくて黙ってしくしく泣いていた。こいつは将来大丈夫か、と親じゃなくても心配になる。そんなわたしが、ある日、「目立ちたい」と言い出したので、親は驚愕したのだそうだ。

うん、言った。というか、確かにそう思っていた。小さい頃の夢は「歌手」だった。音痴なのに。その夢は「グルメレポーター」になり(目立つし、おいしいもの食べられる)、「アナウンサー」になり、「弁護士」になり(「七人の女弁護士」というドラマに影響された)、「小説家」という目立てそうな夢に落ち着いて定着した。目立てば何でもいいのかい! モデルとか女優とかアイドルとか言い出さないあたりは、わきまえていたのだと思う。

つまり毎日泣いてたのは、気が弱くておとなしかったからではなく、目立ちたいのに目立てない、ふがいない自分に鬱屈を抱えていたからなのか。なんというめんどくさい幼児だ・・・!

三つ子の魂、百までといいますが、この「目立ちたい」欲をこじらせ続け、小説家デビューして受賞インタビューされてカメラのフラッシュ焚かれて・・・みたいな妄想を抱くようになり、デビューしたけど受賞インタビューもパーティーもなく、SNSで小さく自己顕示欲を満たす日々が続き、ああもうベストセラーになって売れっ子作家にならなきゃ目立てないみたいな気持ちでいたのですが、コロナ禍で心境の変化がありました。もう、目立ちたくない。三つ子の魂、四十までだった。

もうわたしあまり目立ちたくない。現代風に言うと、バズりたくない。本人に聞こえるはずのない野次が容易に届いてしまう時代になって、野次どころか直接攻撃してくる人も出てきて、届かなくていいところに誤解されて届いて、普通に生きていたら経験することもない罵詈雑言に晒される時代になった。有名人たちのツイッターにぶらさがっているひどいレスの数々や、Yahoo!ニュースに群がる偏見に満ちたコメントの数々を見ているうちに、目立つことが怖くなった。

気にしなければいいのだろうけど、それでマイナスをゼロにすることはできても、目立つことで何かいいことあるのか疑問に思うようになった。

1つ前のnoteで、わたしの能力の特徴は「現状を分析して最適解を導き実現させる力」と書いた。わたしが人生の小説家部門において何だか迷子なのは、解くべき課題がないからだと思った。何か課題があればやる気が出る。そうだ!小説で億を稼ごう!って思って一瞬やる気が出た。お金持ちになっても使い道がないけど、でもそのくらい売れっ子作家になって、さらに今やってる理系ライターの仕事も続けたら、科学の面白さをもっといろんな人に伝えられるのではないか。そんな人は他にいないのではないかと思ったらわくわくした。

ちなみにいきなり億とか言い出して変な宗教にでも入ったのかと心配された人のために説明すると、『小説家になって億を稼ごう』松岡圭佑・著(新潮新書)を読了した影響です。感想はこちら

しかしですよ、そういえばですよ、億を稼ぐ小説家の松岡さんも作品も、わたしは知らなかったのです・・・(すみません)。いつも読む小説のジャンルと違っていたから。ということは、たとえ億を稼ぐ小説家になれても、科学の面白さをたくさんの人に届けるという夢には直結していないじゃないか…! テレビ出演したりバズったりしないと一般の人への認知度や影響力はそこまでない!じゃあそれがしたいかと思ったら、「バズりたくない」という気持ちが出てきたのでした。ようやくタイトル回収。

目立つことは、わたしの中で、もはや心地よいことではなくなった。全然目立ってないし、バズってないし、すごく規模が小さいけど、子どものときよりは存在が多くの人の目に触れるようになり、誤解されたり、嫉妬されたり、中傷されたり、恨まれたりするようになった。そういうことがあるたびに、わたしの幸福度は落ちていった。

街のパン屋さんのように、近所の人に少しずつ信頼と共感を得てあたたかいつながりを保って商売を続けていくイメージで、「書く仕事」をやっていきたい。隣町の人には知られていなくても、十分生きていけるくらいに「書く仕事」は豊富にある。

じゃあ、「目立ちたい」がなくなったわたしは、どういうモチベーションで小説を書くのか考えてみた。これが今日書きたかった本題なんだけど。

わたしは小説というものを面白いなと思っている。他のものにはない可能性があると思っている。惚れ込んでいる。ライフワークとして取り組んでいきたい。もっと良い小説を書けるようになりたいし、いろいろなことを試してみたい。そのためには、読んでくれる人がいた方がいいし、良い編集者に出会えたら成長できるから、ただ自分で書くだけでなく、商業作品として出版したい。

今読んでる本『書く仕事がしたい』はパワフルでチャーミングなライター佐藤友美さんの著作なんだけど、とても勇気づけられる。その中で「いつまでに、どんな書き手になりたいですか?」という問いがあった。それで、ここまで書いたことを考えた。

年に1冊は小説を刊行できる書き手になりたい、今年から。急にハードル低くなったけど、でもなんかこれでしっくりきた。今年は何とかいけるのではないかと思う…何とか…。来年に向けて、そして来年以降もできるか、現状分析と課題解決能力を使って、考える。今のわたしがどうやったらそれを実現できるのか。実現し続けられるのか。

あ、わたしはバズりたくないけど、作品はバズっていいのですよ。わたしが漫画原作・本文執筆を担当して昨年12月に刊行した『ぼくらの感染症サバイバル』絶賛発売中です。先行き不透明で不安な世の中だけど、歴史を知ることは一つの武器になる。去年はこれを頑張ったので、ぜひ読んでみてください。(ライター仕事なので著者名は入ってなくて奥付にクレジットが入っています)。

『ぼくらの感染症サバイバル』書影

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