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文章の上達を目指すなら改行を減らしてみよう

『エッセイの書き方の教科書のようなもの』の連載を始める前に。

大学の授業で提出されたエッセイ作品を添削していると、一文ごとに改行している文章によく出会います。そして、たいていの場合、二、三文ごとに空白行が挿し挟まっています。

こんなふうに。

改行してふんわりさせるのがエッセイだと思っている方もいるかも。

ほらね。

まあ、別にいいんですけどね。

文章の形も好みも載せる場所の要求も読む人もいろいろだから、改行を多用した文を頭から否定する気はないのですが、少なくともこれだけはいわせてほしいのです。改行を多用していると文章力はなかなか身につきません。なぜなら、改行をすると読む人の気持ちは物理的に切り替わった気になりますし、空行を挟むと、物理的に「間」ができた気になります。文章の技術を駆使しなくても、なんとなくいい雰囲気に仕上がった気になるのです。

「気になる」としつこく書いているのは、見た目に頼るのではなく文芸の技を使って文字で同じ効果を演出したほうが、読者に与える効果は高くなり、より深く届くと、わたしは信じているからです。

(ただし、このnoteのような横書きのウェブでつるつる読む媒体に載せる場合は、読みやすさを優先して一行空きにして、縦書きの紙の本よりも文の密度を薄めます)

文芸というものは、映像や音楽を使って行われる演出効果を文字だけでやる芸術だとわたしは考えています。読者の気持ちの切り替えも、間も、文字で作り出すことができるのです。どうやってやるのか、それをもがきながら見つけ出すのが文芸の面白さで、読む方にもその面白さは伝わります。そういう工夫をやらなければ、文芸作品というものは、絵や映像や音楽の簡略版に成り下がってしまいます。でもそうではないはずです。絵や音楽がなくても、同じくらいに心を動かすことができる、そんな文芸を目指したいのです。

改行を多用した文章はとても気持ちよく書くことができます。たとえるなら、ガイドメロディーに合わせて歌うカラオケです。カラオケでいくらそれっぽく歌えたとしても、生演奏でマイクで歌えるとは限りません。生演奏で、しかも人を惹きつける歌声を披露するには歌唱力と訓練によって身につけた「技」が必要でしょう。

カラオケを楽しく歌うのももちろんすごく良いことです。でも、それだけでは飽き足らず、もっと上達したいと思うのなら、ガイドメロディーを消す、すなわち改行の多用をやめて、文を全部くっつけてみましょう。そうすると、途端に、今まで気持ちよく書けていたはずの自分の文章が、ぶつ切りでまるで繋がってなくてギクシャクしていることに気づくと思います。足りない要素や、不自然な論理展開がたくさんあって、どうにかする必要があることがわかります。そういう文章の不備に、改行を多用すると気づかないのです。

さて、気づいたらそれらをひとつひとつ解決していってください。接続詞を入れたり、文の順番を入れ替えたり、描写の密度を変えたり、語り手の視点を注意深くコントロールしたり。使う単語と提示する順番を厳選して読者のイメージを操作することもできます。

さらに向上心がある人は「……」の多用も減らしたほうが文芸的筋肉は発達します。小説の場合、たとえ無言のシーンでも心のなかを書いたり、その人物や周りの情景を描写することで、「……」と物理的に間を取る以上の豊かな効果を発揮することができます。

せっかく学ぶのですから、生演奏で堂々と歌って、人々を魅了する歌声を出したくないですか? 

ちなみにわたしはカラオケで歌うことすら下手くそなので、歌が上手い人に憧れます。憧れるだけじゃダメですよね。何事も練習ですね。

ではこれから、エッセイの書き方の教科書ようなもの、連載していきますのでよろしくお願いします。

東京で講座もします。申し込み受付中です。

エッセイ講座 日々の想いを作品に残す

夏に大阪で同じものをやるので関西の人たちは待っててくださいね。

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