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プロット立てたほうがいいのか問題

誰が何をして(なぜそんなことをして)どうなるか、という物語の設計図を書いたものをプロットといいます。小説を書き始めの人によく、プロットを作ったほうがいいですか? と聞かれますが、わたしはいつもこんなふうに答えます。


家を一度も作ったことのない人が家の設計図を作れますか?と。もっと身近な例でいうと、料理したことがない人が一度も作ったことのない料理のレシピを書けますか?


何度も完成させる経験を積んでいけば、100枚の小説ならこんなふうに展開してこうすればちょうどよい、とか、泣かせる恋愛小説にするにはこの要素とこの要素があって、こんなふうに展開すればいい、などと設計図がある程度浮かぶようになります。それでも書き始めたらたいてい変わってきます。ましてや、書き上げた経験がない人のプロットなんてあまり役には立たないのです。

もちろん、プロットを作ってもいいのですが、小説を書き上げる経験が少ないうちは、自分で立てたプロットをあまり信頼しない方がよいでしょう。書いているうちに矛盾が生じたら、プロットにこだわらずどんどん変えていきます。膨らんでしまったらプロットは無視します。

初心者におすすめの方法は、プロットを立てず、思いついたエピソードをとにかく順序もゴールも見えないまま、どんどん書いていくことです。このとき、何度もしつこく繰り返しますが、人工的にストーリーを決めていくのではなく、想像力を使って育てていきます。登場人物がなぜこんな行動をしたのか想像すると、新たなエピソードが浮かびます。登場人物の過去や性格などを想像しているうちに、またエピソードが増えることもあります。そんなふうに増やしていきます。

収拾がつかないくらいでいいのです。これが物語の材料になります。映画にたとえたら、編集前の素材です。

そして書き尽くしたら、書きたいことをもとに適切な材料をピックアップします。3分の2くらいは捨てることになるかもしれません。それどころか、1つの要素だけ拾い上げたら、あとは全部没かもしれません。でもそれでいいのです。いや、そうしないと人に何かを伝える作品にならないのです。たとえば美術館の企画展は作家やテーマに沿って取捨選択して並べてあるからこそ、見る人にストーリーやメッセージが伝わります。所蔵作品を全部並べたらどうなるでしょう。それは、ただの倉庫です。

何度も書いて経験を積んでいけば、最初から必要な材料だけを作って、効率よく小説を書くことができるでしょう。昔の文豪が口述筆記で小説をつむいでいくことができたのは、書き出して取捨選択するというプロセスを、書かなくても頭の中でやってしまっているのだと思います。初心者が真似してはいけません。初心者が頭のなかで考えたことをそのまま小説にしたら、薄い薄い話になります。

書くことは考えることです。書くことで少しずつ物語が見えてきます。物語の全容を自分が知るために書いていくのです。見知らぬ街を探検するように、とにかくあっちにもこっちにも行ってみるのです。そうして、探検し尽くしたら、今まで行ってきた場所や思い出を並べて、伝えるために取捨選択し、並べ替えていくのです。

ここで初めてプロットを立てることをおすすめします。あなたの前には下調べした街の情報がバラバラに山積みになっています。そこからあなたが良いと思う場所をピックアップして、今度は読者を連れていくために案内コースを作っていくのです。その計画表がプロットです。こことここは絶対訪れなくちゃ、こっちに回るためにはここを通らないといけないな、などと考えていきます。


実際に書き始めたら思わぬ出会いがあったり予定どおりに行かなかったりもしますが、事前にこのような準備があるとより深く物語を知ることができます。

プロットを立てる力を磨くには、書く人の視点でフィクションの物語をたくさん読んだり見たりすることが一番です。しつこいですが。

わたしは映画や演劇を見るときは、常にちらちら時計を見ています。何か展開が変わったときや、面白いと思ったときに、開始から何分経っていて終了まで何分あるかを確かめます。ちょっと嫌な客ですね。

小説を読むときも同じです。新しい人物が出てきたときや、展開が変わったときに、全体のどのくらいの位置で起きたかをチェックします。


限られた時間やページ数のなかで、どこで何を展開させ、その結果、受け手である自分がどんなふうに感じたのか。これを分析すると、プロットを立てるときの参考になります。こうなると、純粋な観客・読者にはなれませんが、これはこれで濃い作品の味わい方だと思います。


面白いと思えるものに出会ったら、またはつまらないと感じるものに出会ったら、ぜひ今度は書き手として分析して自分の糧にしてください。


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