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「やりたい」をひとまかせにしない暮らしをしたい

noteでフォローしている村田さんの記事を読んで、そういえばわたしも最近、ブログの更新頻度を上げようと決意したことを思い出した。思い出したということは忘れていたということなのだけど。
記事もリンク先も面白いのでどうぞ。

で、なんでブログの更新頻度を上げようと思ったかというと、まず、現状が手いっぱいで何かを減らさねばならない→じゃあ、やりたくないことを減らそう→やりたくないことって何だろう…と考えた結果、「宣伝すること」という答えが出てしまったからだ。「…からだ。」って、まだブログの話と結びつかないけれど。
イベントを行うときや作品をリリースした時に、来て・買ってと言いまわるのがとても心がしんどい。相手に迷惑かけてるんじゃないかと思う。しかし人が集まらなかったり売れなかったりすると共催している人や出版社に申し訳ない。そんなこと考えているとそもそもイベントや作品を出すこと自体がしんどくなってしまう。かといって、わたしのために買ってもらったり来てもらったりするのは違って、やはり来たい人・欲しい人に届かないと、わたしは迷惑を生産しているだけになってしまう。

で、ブログなんです。ブログを更新するのはやりたいことだし、自分の経験からも、ブログを読んで好きになって作品を読んだりイベントに行ってみたくなったりすることってよくあるなあと思って、宣伝を書くより、面白いブログを書いた方が、誰にとってもハッピーじゃないかと考えたのでした。

ブログを書くことは誰に頼まれたわけでもない。でもやりたいからやる。
でも、他の仕事だって、どれも面白くて、やりたくないことはやっていない。だから、ブログと仕事との違いは「お金になるかならないか」だと思っていた。けれど、そうじゃなかった。

記事の中で糸井さんが「請け負い仕事」という言葉を出しているのを見たときに、あ、と思ったのです。わたしの仕事のほとんどは請け負い仕事で、それは「やりたい」の始まりがわたしではない。クライアントさんに「やりたい」があって、それを実現するためにわたしは頼まれているだけだ。わたしはクライアントさんの「やりたい」を実現させたいと思って仕事をする。誰かの「やりたい」を形にするお手伝いをすることはとても楽しいし、勉強になるし、自分の枠が広がる感じがする。

でも、1つだけ、大きな違いがあることに気がついた。「やりたい」に対して責任がないことだ。

「やりたい」こと自体が間違っているかもしれない、誰も喜ばないかもしれない、狙い通りにいかないかもしれない、やる必要がないかもしれない、人に迷惑をかけているだけかもしれない…請け負い仕事は、そんなふうに悩む必要がない。仕事だけじゃない。遊びのイベントも、頼まれてやる場合は、「やりたい」は自分の責任ではない。とても楽をできる。

「自分発のやりたい」ことをもっと増やしていきたい。楽をしつづけて生きていっては、創作者としては、ダメなんじゃないかと思う。何かがやせ細る気がする。責任を背負って「自分発のやりたい」をやっていかないと、年齢とともに熟成していかない気がする。

「やりたいことしかやっていないから何も減らせない」と考えていた。でも、自分発のやりたいことか、他者発のやりたいことなのか、という観点で見てみると、一緒くたになっていたあれやこれやが、ばーっと左右に分かれて分類されていく。自分発のやりたいことは将来のわたしを育てる芽で、他者発のやりたいことは技術を磨いたり資金を稼いだり視野を広げたりするために必要な、現在のわたしを育てる果実のなる木。

どちらも大事。今は自分発のやりたいことが少し足りていない。日々の仕事に追われていると疲れて「自分発のやりたい」が生まれてこなくなる。自分発のやりたいが、ちょうどよく芽生えてくる、そんな暮らしができる方法を探っていきたいと思った。

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