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孤独から抜け出す方法は、自分の状態を正しく説明できるようになることである。

狭井さんのnoteを見て、ひさしぶりにここに書きたくなった。血のにじむような想いでフリーランスをやっているのに、気楽でいいよな、自分もなろうかななんて簡単に言うやつがいて…という話(詳細はリンク先)。

そういえばわたしも、昔、小説家をしてるというと「僕もなろうかな」とか気楽に言ってくる人が多くて、いちいち腹を立てていたときがあった、と思い出した。

小説なんて一文字も書いたことがない。それなのに、小説家の前で自分もなると言う。つまり鍛錬しなくても今すぐなれる程度の仕事だと思っているわけで、そりゃ腹たっても当然なのである。ぷんぷん。

なれるものならなってみろ!と思うが、一文字も書いていない人は挫折も難しさも知りようがないので無敵である。怒りのもって行き場がない。デビューしてばかりのわたしは、しょっちゅう、ふんがー!って怒っていた。

でも最近は、怒ることがなくなった。一文字も書かずに、小説家になりたいと言ってくる人や、馬鹿にする人や、小説家目指してがんばってねと言われること(なってるのに!)は未だにしょっちゅうあって、昔ならふんがー!って怒りたくなるようなことはむしろ増えたけど、それが全く気にならなくなった。

でもそれは、わたしが大人になったからではない。
わかってくれる人が増えたからだ。
小説を書きたい人に講座をしたり、大学で教えたりしているうちに、小説を書くことの難しさや大変さを共有してくれる人が増えたからだ。

わかってくれない人が1000人いても、わかってくれる人が10人いたら、孤独から抜け出せるのではないだろうか。もっと少なくてもいいかもしれない。たったひとりでもいいのかもしれない。深く本当にわかってくれる人がいたら。

それがわたしの場合は、読者でもなく、編集者でもなく、友人でもなく、作家仲間でもなく、わたしの講座を聞きにきてくれて、わたしがどんなふうにして書いているかを一生懸命聞いて理解してくれた人たちだった。

それまで一番孤独をなぐさめてくれる相手は、小説家仲間だった。小説家の苦労話が書かれているエッセイを読んだり、作家の講演会に行ったりもよくしていた。でも、それでは完全には慰められなかった。なぜなら書き手はひとりひとり、書き方が違って、ひとりひとり違う孤独を抱えている。ある程度は共有できるけれど、本当にはわかりあえない。

小説の書き方を教えるということは、自分がどんなふうに小説を書いているかをわかりやすく言葉にして伝えるということだ。伝わらないと講座にならないので、イラストや比喩やミニワークを駆使して一生懸命に伝える。講座が終わって、伝わったという手応えがあったとき、わたしはとても幸福な気分になる。

今まではその幸福感が何を意味しているのかわからなかった。でも、今わかった。あの気持ちは孤独が癒された幸福感だった。

孤独じゃなくなったわたしは、小説家になろうかなと言われても、少しもカチンとすることなく各出版社の新人賞の応募規定と締切を教えてあげるし、馬鹿にされてもにこにこ受け流すことができる。

でもまだライター仕事や漫画原作のほうは、孤独まっただ中。こちらはまだ経験が浅いから、自分がどんなふうに書いてどんな苦労をしているか人にうまく説明できない。誰かに語れるくらい経験を積んで、誰かにわかってもらおうと頭を絞って工夫して伝える努力をしたら、きっと孤独から脱出できるのだろうなと思った。

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