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楽しいと思えることを見つけたのなら、もうそれで生きていけるじゃないか

今年もたくさん仕事をいただき、たくさん働きました。…と、まとめている場合ではなく、まだまだ持ち越している締切がたくさんあるのだけど、今は約束したより進行が遅れている長編小説をせっせと書いている。

小説を書くのはとても楽しい。いや、どの文章仕事も楽しいのだけど、長編小説ほど難しくてしんどくて時間がかかって一行書くのに本一冊読まないといけないような仕事は、わたしには今のところ他にはないから、より楽しさを感じるのかもしれない。しんどいんだけど、そんなふうに時間を注ぐこと自体が楽しい。生きているという感じがする。「遊んでいる」のかもしれない。全力で。

生活をするにはお金が必要だけど、それ以上のお金は何に使えばいいのかわからない。そうなると、働くモチベーションをどうやって保ったらいいのかわからなくなった。贅沢を言ってるし、じゃあ俺に私にくれよと言われるだろうけど、なんかね、それもまたできなくて、わたしケチだから、お金の使い方を知らないから、まずなんとかして自分に使いたい。

コロナウイルスがおさまったら海外旅行する? とか、贅沢なもの食べる? とか、クロスバイクじゃなくてロードバイク買っちゃう? とか考えて、でもそんなことしたら書く時間減るなあ…って思うとわくわくしない。でも、最近小説書きながらしみじみ幸せで、ようやく何に使えばいいのかわかった。

小説を書くための時間を買いたい。海外旅行にいくくらいの予算で1か月くらい買えるんじゃないか。仕事を入れない月を作って、小説だけ書きたい。どんなバカンスより最高だと思う。想像するだけでわくわくする。

前の日記でも書いたけど、小説を書くことを仕事から趣味のカテゴリーに自分の中で移動させた。それってなんか、ものすごくかっこ悪い、とわたしは思っていて、葛藤があった。小説書くのが仕事ですって言いたかった。小説書いて食べてますって(それを達成するにはまだまだ難しい)。

かっこ悪いというのは、人の目を気にしているからで、人の目ではなく自分の基準で生きるための覚悟を決めるために、ずっと縋り付いていた「小説家として人に認められること」を一旦捨ててみた。

わたしは自分を小説家だと思ってるし、本も出してるし、お仕事ももらってるし、名乗っても誰も文句言わないはずだけど、ときどき、いや結構な頻度で、他の人に対して、本当はあなたわたしのこと小説家って認めてないんでしょう?…って卑屈な気持ちになるんですよ。自分が自分を認めてないから人に対してそう思ってしまうのだけど。

仕事なら費用対効果を考える。いくつか仕事があれば、自分の能力を使って、より効率的にお金を稼げることや、社会の役に立つことを優先させて力を注ぐ。そういう基準で考えると、小説は、今のわたしの実力では、ほかの仕事に負けてしまう。効率で言えばコンビニでバイトした方がいいし、社会の役に立つことはほとんど今のわたしにはできていない。求められていない。

ずっと仕事枠にいて飼い殺しみたいな扱いでベンチにいた小説を、思い切って趣味枠に移動させた。趣味ならエースだし、費用対効果も考えない。好きだからやるだけだ。一生やるし、誰に頼まれなくてもやる。

趣味は自己顕示欲の道具にはならない。小説を書くという行為に、自己顕示欲を満たすという目的や、生活費を稼ぐという役割を、もう載せない。必要がなくなった。自由になった。

これからは、小説を書くことに何の言い訳もできない。誰にも依頼されなくても認められなくても書いていかなくてはならない。小説家になりたいから書くのではなく、小説を書きたいから小説を書く。そうやって書き続けて、誰かがわたしの小説を読んで小説家だと思ってくれれば、わたしはその人にとってだけ、小説家になれるのだと思う。

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