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登場人物の心を書く

登場人物の心をどうやって書いているのか。こんなふうに誰かに説明しようと試みるまで、わたしはあまり考えたことがありませんでした。恐らく多くの書き手が、特に意識をせずに書いていると思いますし、そんなことをわざわざ人から教わる必要はないと思うかもしれません。

でも読み飛ばすのは少し待ってください。わたしはある日、自分のなkから自然に生まれる人物だけで物語を面白くすることはできないと気づいたのです。意識をせずに書いていると、自分と似たような人物ばかり生まれていきます。全員が主人公の味方になってしまって、何のドラマも起こりません。何作書いても同じ話になってしまいます。主人公が自分と似てしまうのは仕方がないとして、主人公を取り巻く人々は違うタイプの人間を配置しないと物語が深まりません。どうやったら、自分とはまったく違う人間の心を書くことができるのだろうか、そう考えてわたしなりにまとめたことが、この章のお話です。

まずは、自分の心を書くことができるようになるのが先です。一挙一動ごとに、どんな気持ちか想像して言語化できるようになってください。「気持ち」を観察し心に対する解像度を上げてください。そのうえで、登場人物の境遇や年齢や立場や性別や趣味嗜好をふまえて、自分の気持ちとの違いを意識してみるのです。

前の章で出した例「お肌がつやつやで目がぱっちりで美人でスタイルのいい若い女性が目の前にいる」で考えてみましょう。まずは、わたし自身、そんなときにどういう気持ちになるか考えてみます。

さあ、復習です。描写をするときはまず、目の前にこんな女性がいることをありありと思い浮かべ、どんな気持ちになるか、自分の心を観察します。

うーん、そうですね。最初に湧くのはこんな人がいるのかと驚く気持ちです。そして、やっぱり嫉妬します。世の中、不公平だなと思って寂しい気持ちになります。隣に並びたくないなと思ったりして、そんな卑屈な自分に対して情けない嫌な気持ちになりそうです。容姿で人を判断したくないと日頃から思っているのに、やっぱり判断している自分の浅はかさにもがっかりします。美人だけど何か欠点があるんじゃないかという疑いの気持ちも湧いてあら捜ししたくなる卑しい気持ちも出てきました。

一方で対抗心は起こりません。圧倒的な負けを認めて、ただ遠吠えをするばかりです。

(しかし、何も悪いことはしていないのに同性にこんな負の感情を湧かせてしまうなんて、美人って大変です……)

さて、いろいろ出てきましたが、小説を書くうえで「面白い」のは、人にはあまりいえない負の感情です。まずは自分の心を見つめてさまざまな感情に気づきましょう。前の章で書いたように、きれいな人を見て「きれいだな」と思うだけで終わりだと人物の内面を描写することができません。また、自分の気持ちを通さず、勝手に「この人はこんな感じだろう」と決めつけてしまうと、血の通わない作り物の人物ができあがってしまいます。


自分の気持ちを書くことができるようになれば、登場人物と自分の違いを意識して調整するだけです。容姿や他人の視線に関して、登場人物がどう考えているのか。登場人物自身は人からどのように評価されがちなのか。嫉妬心は大きいのか、あまりないのか。負けず嫌いなのか、そうでないのか。好奇心が強いのか、そうでないのか。ポジティブな性格なのかネガティブな性格なのか。そんな登場人物の設定をふまえて初めて、登場人物の気持ちを書くことができます。


たとえば過ぎたことはくよくよ悩まない割り切った合理的な性格で、かつポジティブ、きれいになることに興味がある女性ならどうでしょうか。最初は「わ、負けた」とショックを受けますが、すぐに、どうやったらそんなふうにきれいになるか、好奇心が湧き、その秘訣を知ったら自分ももっと成長できるかもと嬉しいわくわくした気持ちになって相手を観察したり仲良くなりたがったりするかもしれません。

容姿にまったく興味がない女性なら、多くの人がきれいだと思う顔なんだろうなあということは理解しながらも、ほかの人とは違う気持ちが湧いてくるでしょう。たとえば、相手の容姿で一喜一憂する人々を眺めながら不思議な気持ちになったり、自分には理解できないので疎外感を覚えたり、ばかばかしいなあというあきれる気持ちになったりするでしょう。この場合、この女性が、なぜ容姿にまったく興味がないのか気になりますね。なぜ、この人はこんなふうに思うのだろう、過去に何があったのだろう。そんなふうに想いを馳せて想像していくと、登場人物が育ってきます。これについては次の章で説明します。

作者はすべての人物の気持ちを経験することはできません。自分が経験していないことも、自分と全く違う人生を歩んでいる人の気持ちも書かなくてはいけません。そんな無理な仕事を成し遂げるための唯一の武器が想像力です。そして、核となるのが自分の気持ちと経験です。まったくの無から、もしくは人が作った作品から、血の通った自分らしい人物の心を描くことはできません。これはわたしの持論ですが、まずは自分の体と心を通してから人物の気持ちを想像していかないと、どこかで見たような血の通っていない人物になってしまい、嘘くさい安っぽい作品になってしまうのです。

簡単にまとめると、登場人物の気持ちを書くには、自分の気持ちや経験の上に、その人物ならではの特徴をまとって想像することが必要です。

死の淵をさまよう大病をわずらう人物を書きたければ、インフルエンザで3日間寝込んで苦しんだときの気持ちを思い出し、これが何年も続くならどんな気持ちになるかと想像します。


90歳の人物の気持ちを書きたければ、今の自分の気持ちをまず想像し、それに90歳ならではの特徴(肉体の衰え、近しい人の死をたくさん経験している、死までのリミットが見えている、豊富な経験、達観した見方)などをまとい、その気持ちがどう変わるかを想像します。


弁護士の気持ちを書きたければ、まずは弁護士がどのような仕事をしているのか調べる必要がありますが、プロフェッショナルとして仕事をしていることや、私生活ではひとりの人間であることなどの共通点がありますので、自分ならどう感じるかを想像し、それから、弁護士ならどう感じるかを想像します。

状況や性格や考え方が違えば、同じシチュエーションを経験しても湧き出る気持ちは違います。意地悪な上司も、どのような心理や考え方でそのような行動をとるのかを考えて分析してみると、小説の材料になります。主人公にとって「障害」となる人物を書くために、どのような特徴があると嫌な人になるのか貴重な取材になります。

自分の気持ちをもとに登場人物の気持ちを想像すると、その人にしか書けない人物が生まれます。あっと驚く設定も必要ありません。自分の気持ちを引き出すことができたら、もうそれだけで十分個性はつまっているのです。

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