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自分自身に対する尊敬を取り戻す

 ミヒャエル・エンデの小説『モモ』の中に、こんな一文がある。

この日から、ジジはじぶんじしんにたいする尊敬をすっかりなくしてしまいました。

『モモ』は児童文学なのだけど、大人になってから読むとハッとする表現にたくさん出会う。本を開くときどきで目に飛びこむ文章が変わる。よい本は心の状態を映し出し、そのときに一番欲しい言葉を与えてくれる。

(退屈している小学生~中学生の子どもさんがいたら、おすすめです。名作って敷居が高い気がするけど女の子が主人公のわくわくする冒険物語です)

「自分自身に対する尊敬」なんて、ちょっと考えたことがなかった。仕事相手やパートナーや友人たちや親兄弟に対して、尊敬の念をもって相手を尊重して生きていきたいと思っている。それなのに、自分自身にあてはめたことがどうしてなかったのか。

たとえば、健康的な引き締まった体を手に入れたいと思いながら、誘惑に負けて甘いものを食べてしまったり、運動を全然続けられない自分に、「ああ、やっぱりね」と思う日々。そこに自分に対する信頼は少しもない。どうせできないでしょ、と思っている。これだけじゃない。わたしがわたしを見る目には、あなたのことだから、どうせそうなるでしょうよ、という微かな軽蔑が含まれている。そんな状態で見られていて、がんばろうという気持ちが湧くわけがない。わたしを見るわたしの「期待」どおり、ダメな自分に墜ちてしまいたくなるし、そうなっていることもたくさんある。

仕事は違う。仕事相手に恵まれていて、あなたならできるはず、という視線に見守られてるから、思いもよらぬ力を発揮できたりする。

でも自分との約束は守れない。

それは、どうせあなたはダメなんだからと言い続けて、失敗したら、ほらやっぱりダメだったと勝ち誇る自分がいるからだ。これが親子だったら毒親というやつだ。

『モモ』の中で、灰色の男たちにだまされたジジは売れっ子タレントになってお金持ちになる。世間的には大成功をつかむのだけど、自分自身に対する尊敬を失ってしまった。自分自身に対する尊敬を失いながら生きるのが、どれだけむなしいかをこの物語は教えてくれる。何度も読んでいるはずなのに、いま初めてわたしはこの一文に目が留まった。

自分自身に対する尊敬を取り戻したいなと思った。何かを達成したら認めてあげる、という条件付きの尊敬ではなく、日々がんばって生きている自分に対する無条件の尊敬。自分を愛するというのは、たぶん、そういうことなのだろうと思う。

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