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才能や能力を増やす、ただ唯一の方法

本日2つ目のnote。1日に2記事も書くなんて、初めてなのだけど、それくらい1つ目の記事を書いて出てきた結論がわたしの中で衝撃的だった。

才能や能力は自分のためだけに使っていると、ただただ消費されるばかりで、ゆっくりと枯渇する。でも人のために何の見返りも期待せずに使うと持続する。たぶん、それだけじゃなく、育ってパワーアップして増える。

今までやってきたことを振り返ってみると、仕事としてやってきて報酬に見合う分だけ費やした能力はその仕事が終わったらそれっきりあまり使う機会はない気がする。けれど、見合わないくらいに工夫したり苦労したりした分や、そもそも報酬なんてなくて持ち出しでやってきたことが、思わぬ可能性を切り開いてくれて次の道につながっていく。

フリーランスなんて、いくら今だけ安定した仕事があっても、その仕事先がなくなればあっという間に無収入になる。次々と途切れずに仕事があることが大事で、頼りになるのは自分の腕しかない。能力を使うだけじゃなく、増やさなくてはいけない。そのための方法が「見返りを求めず自分の能力を贈与すること」なのではないか。この仮説が正しければ、わたしはずっとうまいことやっていくことができる。

いままで、あれもこれもと手を出して求められるままやってきたのだけど、コロナ禍で引きこもりが続き、ここ数年経験したことがないほどゆっくりすることができて、もうこのまま閉じこもっていたいと思っていた。でも、たぶん、それをしていたら、今までうまくいっていた良い循環が切れて枯れていくのではないか。なぜうまくいかなくなったのかわからないまま、焦って、焦るから「贈与」なんてことからもますます遠ざかり、貧すれば鈍す状態になってしまうのではないか。やだやだ、そんな状態、めちゃくちゃ恐ろしい。

そもそも文章を書くことを生業にできたのも、「まさに見返りを求めず自分の能力を贈与すること」を続けてきたからだと今ならわかる。贈与といっても、最初はもらった人も困るような代物だったかもしれないけれど、読んで喜んでくれる人はいてくれて、講座も友達に誘われて始めて、展示も演劇も朗読劇も、お金にならないことを延々と一生懸命真剣にやってきた。

それでよかったんだと思う。そういうことでしか、才能や能力を増やすことはできなくて、あるときに、それがたまたまお金になったりする。お金になるレベルにまで能力が到達する。お金になったとき、わたしは有頂天になった。たぶん放っておいたらお金にならない文章など書きたくないと金の亡者になっていたかもしれない。でも誰も放っておいてくれなかった(笑)おかげでお金にならないこともいろいろやってきた。本業は何かわからない状態になっている。でもそれでよかった。お金のためだけに書き続けていたら、せっかく増やしてきた才能や能力が消費され続けて、いまはもうすでに枯渇していたかもしれない。

万が一、わたしの能力が枯渇したら、そのときはまた贈与から始めようと思った。見返りを期待しない、誰かの役に立つかもしれない、文章を書き続けよう。たとえばこのnoteのように。

今日は、人生で一番知りたかった「一生、書き続けていられる方法」がわかった。それはとても簡単だった。なぜなら、自分の能力が伸びていくのを見るのは、お金が増えることよりも、わくわくして面白いことだから。いま、わたしの周りにはそういうつながりがたくさんあって、わたしが手を挙げさえすれば何でも挑戦できるから。

生活のための仕事を半分、自分の才能を育てるためのことを半分。そうやって、誰かに喜んでもらえることを、たくさんしよう。今まで通りでよかったのだと思う。さあ、何をしようかな。


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