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サバイブする力を取り入れる

去年、メルカリで10本のローズマリーの枝を買った。ローズマリーは挿し木で増える。10本のうちの1本だけ根が張って生き残った。今は枝が6本くらいに育っている。今年は100均でパキラを買った。鉢を植え替えたら立派な観葉植物になった。

本棚の上を片付けてこの2つの鉢をデスクから見える位置に並べている。仕事しながら、ちらちらと見る。そして「ああ生きてる生きてる」と思って、仕事に戻る。ローズマリーは枝をつんつんして匂いを嗅ぐと、気分転換にもなる。

植物は好きだけど畏敬の念の方が大きい。今こうして部屋の中に可愛らしく収まっているのは、仮の姿だと知っている。ちょっと油断すると、生命力を発揮して手に負えなくなる。植物を、わたしごときが飼い慣らそうなんて、恐れ多い。純粋な生命体として負けている気がする。食べなくても水と光で生きられるとか、体の一部を植えたらまた生えてくるとか、目を離すとものすごく成長するし、なんかもうモンスターじゃないか。パキラは大きな木になるらしい。どこまで付き合い続けられるか、今からちょっと緊張している。

賃貸の一軒家に住んでいるのだけど、ある日、遠くから我が家を見ると、家の裏に、赤い実をいっぱいつけた南天の木が生えているのを見つけた。普段まったく見えない場所だから気が付かなかったし、植えた覚えもない。鳥の糞から種が落ちて、勝手に生えてしまったのだろう。発見したときはすでにわたしの背の高さを超えていた。南天についてちょっと調べてみて、そこまで害はなさそうだったので、とりあえず放置していたけれど、最近あまりにもモサモサしすぎて、手に負えない感じになっているので、思い立って剪定をすることにした。

百均で剪定ばさみを買ってくる(よく切れてよかった)。YouTubeで南天の剪定の仕方の動画を見る。いらない枝を切ればいいんでしょ?って思ってたわたしは、動画のなかで、幹の根元から切っているのに衝撃を受けた。密集した枝をかきわけながら、どんどん枝を切っていくのも驚いた。そして、風の通りぬけるような風情にする=南天の風格が出てくるという説明にも心をつかまれた。そんな目で南天を見たことがなかった。南天の風格!確かに!風格って大事!

以前、臨床心理士の河合俊雄先生を取材したときに、人間は目で見たら真似できるんだよという話をしてくれたのだけど(だから体操の新技はギリギリまで人に見せせない)、YouTubeで実演を見ると、ものすごーくよくわかる。文字で説明されただけでは、こんなに大胆に剪定できなかった。YouTubeは人間の技術のシェアをものすごい速度で促進させるのではないだろうか。脳の外科手術の解説動画とかもあるし。わたしの小説YouTubeも、本当はしゃべるだけでなく、実演しながらのほうがいいんだろうなあ。「はい、ここの文章の塊、もっさりしていますよね。この部分、よい表現があるので惜しいって思うかもしれませんが、また書いたらいいんです。ここ10行分削除します」みたいに。そもそも更新しろって話ですが。締切に追われていない日がない。ほんと技術をシェアしてくれるYouTuberのみなさまには感謝しても、し足りない。いいねボタン、100回押したい。

というわけで、朝から汗まみれになりながら南天の木と戦いました。まさに戦うという言葉がぴったり。ノコギリで高さが出過ぎている幹を間引いて、葉をかきわけて枝を切り落として。我ながらいい感じの南天になったと思うのだけど、そもそも家の裏に勝手に生えて気づかなかった木なので、裏に回りこまないと、いい感じっぷりも確かめられない。まあいいや。これからも家の裏でひっそり難を転じてもらおう。そして冬には鳥たちに赤い実を提供しよう。

アスファルトで地面を覆わないかぎり、植物はすぐどこからでも生えてくる。ものすごくたくましい。人間は植物を何とか押しのけて一時的に住まわせてもらっているだけだ。だから、植物が家にあると、そのことを忘れないでいられる気がする。負けずに生きねば、やるかやられるかだ!という気持ちになって気合が入る。そんな殺伐とした動機で観葉植物を飾る人はあまりいないだろうけど。

貸家の小さな敷地(土の部分は数センチほど)だけでも大変なのに、植物を飼い慣らし、理想の状態に育て上げ、収穫まで他の害虫やほかの植物やケモノから守る農家さんは、モンスター使いでもあり戦士でもあると思う。尊敬する。野菜も果物もたくさん買おう!

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南天の実と枝(窓のとこ)を部屋に飾ってみた。よくよくチェックしたはずなのに、ちっちゃいアリが部屋に!やっぱりついてた!(泣)野生を取り入れるの、やっぱり無理だ!

なぜか無性に狩猟・採集生活に憧れるのだけど、体力的にも精神的にも知識的にも、本当に程遠いな…。

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