見出し画像

【掌編小説】春の雪

 これほど間近で妹の顔を眺めるのは、蘭にとって初めての経験であった。白い顔の下半分を枕にうずめた凛は、姉の視線を一方的に受けてじっとしていた。眠っているふりをしているだけかもしれない、という考えが蘭の脳裏にひらめいたが、それはあっという間に消えてしまった。心ゆくまで観察させてくれるのなら、凛の思惑など関係ない。正妻の子である蘭は、妾腹の妹を理解したいと思わない。美術品をめでるように、ただ観察をしているのだ。

 しかし、そろそろ、蘭は、この腹違いの妹に対する態度を決めなければならなかった。

 一緒に寝ようと提案したのは蘭のほうである。だがそれを承諾した凛の気持ちが蘭にはわからなかった。もし凛が姉に対してわだかまりのようなものを抱えながらも表面上は仲の良い姉妹をよそおっているのなら、この承諾は復讐であろう。そうして、その場合、目の前の寝顔は演技のたまものに違いなかった。一方で、妹が心からの姉を慕う気持ちで一緒に寝ようと思ったのなら、安心しきって無防備に眠っているのだと考えても、少しも不自然ではない寝顔だった。

 気がつけば蘭は、息のかかるほど凛の近くに顔を寄せていた。凛の美しさは、自分とはまるで性質の違ったものだった。自分や末の妹が甘い匂いを発する南国の花だとしたら、凛は雨にあらわれる一本の竹だった。

 日の光のもとでは青ざめて見える陶器のような白い肌は、天蓋のレース越しに差し込む朝の光に包まれると、この世のものではないように美しかった。かすかに色づいたほおや、紅を差す必要もない赤いくちびるが、白い顔に丁寧に配置され、香気を放っている。

 蘭はこの妹がわからなかった。見れば見るほどわからなくなる。はかなさのベールをかけても強さのベールをかけても、どちらでも似合う顔であった。親愛も憎しみも同様だった。どの色にも染まる。しかし蘭にとっての問題は、わからないことではなかった。わかりたいのかわかりたくないのか、自分の気持ちが決まらないことであった。

 正妻贔屓の古い女たちが言うように、妾の子としてさげすめばいいのか、今の心のまま、凛の姿かたちと性質を愛しつくし、古い女たちを笑い飛ばしてやればいいのか。

 今すぐ凛を揺り起こして、どちらにしようかと相談したい衝動がわきおこり、蘭はその通りに行動した。蘭は凛の薄い肩に手をかけた。

「ねえ、起きて」 

 凛がぱっちりと目を開けて、蘭を見た。

「雪よ……」

 と、蘭は言った。なぜ自分がそんなことを口走ったのかわからなかった。凛と目が合ったとたん、言いたいことが何もかもが消えてしまって、真っ白になったのだ。

 凛は微笑んで、いとおしそうに蘭を見、それから言った。

「お姉さま、ねぼけてらっしゃるの? もう外はすっかり春ですわ」   

〈了〉


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?