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これがおもしろい!をすぐ金にかえようとするか否かについて

過去に僕は「これ、結構おもしろいんじゃね?」と思い続けられる対象があった。カタチのないものだったけど、とにかく2年くらいはほぼ毎日そのことについて、考えていた。当時は今よりもっと積極的に情報発信もし、その領域に興味がある人には少し知られる程度くらいにはなった。

しかし、あるときから途端に、その対象について考えるのをやめたのだった。なぜか?正直、「どうにもこれはビジネスにはなりにくいな・・・」と感じてしまったからだ。

先に結論でいうと、ほんとにおもしろい!好き!と思えることは、簡単に換金しようと思わないほうがよいのではないか?と今なら思う。今日はそんなことについて書こう。

心からおもしろいと思えることが、人生の一部にさえなればいいはずだった

自分のリソースを投入し続けるのをためらうようになり、徐々にブログも書かなくなり、露出が減っていった。未だに僕をよく知る人からは「○○の人ですよね!」と声をかけられたりする。しかし、いままで「もう興味なくなっちゃったしな」と距離を置くようになった。

本音の部分では「これじゃ、仕事になんないし、そんなこと続けていても仕方がないよね」と達観した気になっていたのだ。

多分、商売人としては大正解である。儲からないことに時間を投じ続けていても、とくに売り上げは上がらず、自分のコストばかりが出ていく。そんなアホなことはない。

しかし、ひとりの人間の人生としては、どうだろうか?最近考えるのだけど、幸せな人生の部分解は、「心よりおもしろいと思えることを人生の一部にする」ことだと感じる。で、それは別に仕事で、売り上げを立てることに直結していなくたってよい。

例えば、仕事をしながら、土日は釣りを楽しみまくる人がいたってよい。仕事もちゃんと頑張り、一方で休みの日には心から好きな釣りにいそしむ。そんな人生は、たぶんものすごく豊かだ。たとえ、その釣りアクティビティが副業になっておらずとも、だ。

すぐに稼げないことは無価値と断定してしまった悔い

過去に一度そういう過ちを犯したので、ちゃんと振り返って今に活かしたい。

なぜ当時の自分はすぐに自分の「おもしろい」を仕事に繋げようとし、それでいて失望し、興味を失ったのか?「これ、なんかおもしろくね?」という判断軸から、「稼げるか稼げないか」という判断軸にとって代わってしまったからだ。

もちろん、これは「どれだけ大きく稼げるか」を人生の一義としてとらえている方にはあてはまらない。しかし、僕自身はどちらかというと、「自分がどれだけおもしろがれることに出会えるか」で人生の価値を測っている人間である。公私ともに。

もちろん、上図のようにおもしろく、かつ稼げる対象であれば最高だった。しかし、おもしろいかどうかと稼げるかどうかは、別であったりする。それで僕は左上の象限にあった「これ、おもしろいんじゃね?」という対象を、無価値だと判断し、興味も失うようになっていった。

人間の脳みそとはおもしろい。あんだけおもしろがっていたことも、別の軸で測り、なんとなく不安になるとそもそもあった判断軸を捨てられるのだ。すごいな、人間。

おもしろがれることがあれば、それだけでとても楽しい

人生においては、強烈に「これねー、おもしろいんだよー!」と思えるものがひとつでも見つかってしまえば、その人ほど幸せなことはないんじゃないか。

たしかに、僕はその当時とても幸せだった。いまだってたのしく、幸せだが、「おもしろがり度」としては当時に軍配を上げざるを得ない。そんなことを考えて、久々に後悔みたいな感情が心に押し寄せたのだった。

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その対象自体は、未だに、少し触れるたびにちょっとおもしろそうだなーと思えます。改めてその対象領域に関わろうとするのか、どういう形で関わるべきなのか、など考え中です。

人生って、いろいろありますね。もうすぐ30なのに笑

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人と組織、仕事についてよくかんがえています。20代は東京インドネシア、フィリピンといろいろ働きましたが、今はフィリピンの教育ベンチャーで新規事業立ち上げ中。noteは公開日記。写真を変えてみた。

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