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バカの壁に、気づくこと。

神農 亮(Ryo Kanno)

ここ1,2週間、養老孟司氏が書いた「バカの壁」をよく思い出す。

人には誰にもバカの壁がある。自分で壁をつくって「これ以上は別に知らなくてもいいや」とたかをくくる。壁をつくるどころか、「知らないこと」を知らないことさえある。壁の存在にも気づかない。

そして人は、バカの壁の向こう側にいる理解不能なひとたちを一様にバカにするのだ。それがバカの壁だ。

「もうみんな、Facebookで1000人くらい友達つくって、ガンガンいいね!して、飲み会参加して、もうすごいですよ。」

とある広報セミナーの運営スタッフの方と立ち話をしていたときに言われた。衝撃的だった。Facebookでそんな使い方をしている人は、周囲にひとりもいたことがなかった。

たぶん、自分自身が内向的で、内省的な人間だからだろう。人は、自分に近しい人と一緒にいることを好む。

「こういうセミナーにきて、少しでも多くの人と名刺交換して、人脈つくるんです。セミナー講師の名刺交換の列に、長蛇の列を成しているのも、影響力のある人と仲良くなるためですよ。」

そのとき言われたことは、Rollbahnのメモ帳にすべてメモした。なぜなら、そのときの自分にとって、あまりにもあたらしいインプットだったからだ。

ペンを右手に握り、不安定なメモ帳の上でペン先を走らせまくった。汚い字で、ぐらぐらと。

聞き漏らさないようにペンを走らせた、といえばなんだか殊勝な響きがするが、どちらかというと、手を動かしていないとバツの悪い感覚に襲われた。

ものすごおおく正直にいうと、その世界観をぼくはすこしバカにした。

「え?今更Facebook?おっさんの仲間入りかい」

「そこまでして人脈という名の中身のない関係性をつくるの?情報の流通にその労力かけるなら、コンテンツ・ネタの仕込みが先だろう」

※  ※  ※

帰りの山手線外回りで、はたと気づいた。自分が知らない世界、違う価値観のことをバカにしているだけなんだなと。なんで俺は小馬鹿にしているのだ、と。

だってさ、別に相手からはバカにされているわけでも、なんでもない。敵同士なわけでもない、むしろこういった場にくるのは自分ははじめてだ。

なのに、今まで触れてこなかったコミュニティの話を聞かされて(自分から聞きに行ったのにもかかわらず)、内心小馬鹿にしていたのだ。

もちろん、名刺交換して、大したやりとりもせずにFacebookで友達申請して、なんかわかんないけどグループの飲み会に顔を出してみんなでワイワイやることが、人脈作りとは思わない。(というか、人脈ってなにかを問いたくなる・・・)

しかし、違う価値観、まったくちがう人たちを拒絶する、バカにしようとして自己肯定する「バカの壁」があったのは確か。

良い悪いっていうか、これがバカの壁か・・・と思ったのでした。

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ひとつ言えるのは、バカの壁はできる限りないほうがよい、ということです。

どこにいこうが、海外にいこうが、地方にいこうが、バカの壁に囚われているうちは発見も、変化も、自己否定すらもない。

バカの壁は存在していてもいいのだけど、いつも気づいていたいものです。いつもひとは、理解できないものをバカにしますからね。

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