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「心を失った社会」にしてはならない 続・殺人実行者との対話

 やまゆり園事件については、TBS総研発行の雑誌『調査情報』に何度も文章を掲載してもらいました。
 最初は、事件直後の2016年に書いた『「憎悪」は笑顔の形で現れた』、次が2018年、植松聖被告との最初の面会について書いた『殺人実行者との対話 記者として、障害児の父として』の前編と、後編です。
 そして4回目が、2019年の『「心を失った社会」にしてはならない 続・殺人実行者との対話』。その後も植松被告との対話を継続して「見えてきたこと」をまとめています。

私が見た植松聖被告の様子

 家族を福岡に残し、私が東京に単身赴任してすぐの2016年7月26日未明、神奈川県相模原市の障害者施設に元職員の植松聖被告(当時26歳)が押し入り46人を殺傷する事件が起きた。障害者に狙いを定めて多数の命を奪った、「津久井やまゆり園事件」である。

 福岡では、20歳になる長男が暮らしている。知的障害を伴う自閉症を持っていて、コミュニケーションに問題がある。事件は、他人事とは思えなかった。
 障害者の家族として、事件直後に個人的にフェイスブックに長い文章を投稿したところ、TBSテレビ『NEWS23』で全文が朗読された。その放送を見た出版社からの熱いすすめで、『障害を持つ息子へ』(ブックマン社)を執筆し、事件3か月後の10月26日に出版した。
 私の投稿はその後も拡散を続け、翌2017年にフェイスブック上で知り合った歌手「パギやん」が、私の投稿の全文を歌詞として曲を付け、歌ってくれた(この歌に私は画像をつけ、ユーチューブで個人的に公開した)。

 私は、福岡市に本社があるTBS系列のローカル局・RKB毎日放送の記者でもある。
 「8分あまりのこの曲を、地上波で放送できないか」と思ったのがきっかけで、2017年12月に、1時間のラジオ報道ドキュメンタリー『SCRATCH 線を引く人たち』をTBSラジオと共同制作したが、この取材で初めて、私は植松被告と接見することになった。

 この一連の、公私ないまぜの表現が生まれてくる経緯と、植松被告と2回接見した内容は、『殺人実行者との対話 記者として、障害児の父として』と題して、本誌542号(2018年5―6月)と543号(7―8月)に掲載したので、そちらを読まれたい。
 その報告から、さらに1年が経った。植松被告との接見は6回に達している。障害者の父であり記者でもある立場で、彼と交わしてきた対話の内容を報告したい。

 拘置中の被告は、1日に1組、30分間の面会しか許されていない。朝8時半の受付開始に合わせて、私は拘置所に向かう。時間は、30分に制限されている。
 面会にはメモを取る役割の人に同席してもらい、終了後に書き起こした記録に、私がさらに手を加えてメモ化する。
 私が会った植松被告の様子は、こんな感じだ。

・「朝早くお越しいただき、ありがとうございます」と礼儀正しく頭を下げる。
・髪は逮捕後切っておらず、先に金髪の色が残っている長髪を縛っている。
・会話コミュニケーションは、十分とれている。 
・やまゆり園で働いていたにも関わらず、福祉に関する知識は少ない。

 殺害したのは「心失者」だ、と彼は言っていた。彼の造語で、「意思疎通ができない人」のことだという。2017年12月の最初の面会で、私はその定義を聞いてみた。

神戸  心失者とは、具体的にどういう人を指しているのですか。

植松  名前と、年齢と、住所を言えない人です。

神戸  事件の当日は真夜中で、みんな寝ていたでしょう。どうやって心失者かどうかを見分けたのですか?

植松  起こしました。「おはようございます」と答えられた人は、刺していません。

 心失者とは、「名前と、年齢と、住所を言えない人」。何と、いい加減な線引きだろう。
 私の長男は、うまくしゃべれないが、文字は書ける。アイフォーンでLINEを使い、私とコミュニケーションを取ろうとする。正確な日本語はつづれないが、それでもうれしそうだ。
 だが、長男がもし津久井やまゆり園にいたなら、言葉をうまく発せられないので、刺されていたに違いない。いや、私でも、包丁を持った男に深夜起こされたら、恐怖で口がきけないかもしれない。

 彼の話す内容は、彼なりに整然としているのかもしれないが、私が一貫して感じているのは、考え方が薄っぺらくあさはかで、知識もあまりないにもかかわらず、重大な判断をしてしまっている、ということだ。

「植松被告に会わせたい人」をメモ役に

 その後も面会を続けるに当たって、私は「毎回メモ役を変えよう」と思いついた。「植松被告に会わせたい」と私が思う人に声をかけ、メモ役になってもらうのだ。30分間のうち数分はその方に渡し、その間は私がメモ役に回った。

 3回目の面会に同席をお願いしたのは、東洋英和女学院大学大学院の石渡和実(いしわた・かずみ)教授だった。障害者福祉の専門家で、事件後に神奈川県が設置した津久井やまゆり園事件検証委員会で委員長を務めた。2018年3月、横浜市で開かれた集会に向かったのは、この事件に深く関わっている石渡教授とお会いしたかったからだ。

 教授は小柄な女性で、優しい話し方をする。「障害がある人は不幸を作ることしかできないと、彼は障害者否定の言葉を強調しました。彼自身が、津久井やまゆり園で支援者であったにもかかわらずです」と、会場の参加者に語りかけ、苦渋に満ちた表情で続けた。

「津久井の家族会の方と一緒に勉強会をしたりしました。でも、『兄の担当だったんけど、彼はとってもいい職員でした』という言い方をよくなさるんです。彼に対する施設の中での否定的な評価っていうのは、むしろ聞かれなくって……」

 集会の後で私は石渡教授に、「次に植松被告と面会する際、もしよければメモ役になってくれませんか、植松に会えます」とお願いしてみると、先生は「ぜひお願いします!」と、身を乗り出した。

 3回目の面会は2018年6月11日に決まったが、「なぜ?」「どうして?」と質問して答えを引き出そうとしたこれまでの2回とは、違う形のアプローチを試みようと思っていた。
 私自身が植松被告の立場になって、「なぜ大量殺人を犯したのか」を想像し(それはとても不快なことだったが)、思いついた「動機」をぶつけてみた。そして、この面会で私は、植松被告の考え方の根幹に触れたという感じがしたのだ。
 石渡教授のメモから、実際のやりとりを紹介する。

神戸 あなたの行為自体を決して認めることはできないけれど、私なりに想像してみたことを、聞いてもらえますか。

植松 はい。

神戸 あなたは、もしかすると、「障害児を育てていて、苦しんでいる母親を救いたい」と考えたのではないですか?

植松 はい、それはありました。

神戸 困っているお母さんを救うため、あの行動を起こしたのですか?

植松 はい、そうです。

 考えたくなかった想像が、当たってしまった。私は感情を抑えて、努めて冷静に続けた。

神戸 そう思ったきっかけは、何かあったのですか?

植松 入所している知的障害者がずっと走り回っている様子などを見て、「お母さんの負担は大変なものだな」と思ったからです。

神戸 やまゆり園に来たお母さんから直接「この子がいなくなればいい」と聞いたとか、具体的な体験はありますか?

植松 いえ、パニックを起こしている入所者がいて、物陰から見ているお母さんが泣いていました。「大変だなあ」と思いました。

 子供がパニックを起こしているのを見るのは、親としてはつらい。しかし、その悲しみだけが親の思いではない。子供の振る舞いに、喜ぶ時も笑う時もある。それは、障害児でなくても同じではないか。誰でも、時には子供のことで涙する時もある。植松被告は、一面だけを見て、全体を決めつけていた。

2つ目の質問に移ろうと、話題を変えた。

極端な「二分法」思考

神戸 前にあなたは、「自分はブサイクだから、整形した」と言っていました。

植松 はい。

神戸 あなたは、「ブサイクな人」と「イケメン」との間に、線を引いている。同じように、「役に立つ人」と「立たない人」との間にも、線を引いて人間を分けて考えるようですね。

植松 「ブサイクな人」は、ブサイクでなくなる努力をすべきです。 

神戸 何かを2つに分けて考えるのは、植松さんの特徴だと思うんです。もしかするとあなたは、「自分は役に立たない人間だ」と思っていたのではないですか。

植松 大して存在価値がない人間だと思っています。

神戸 事件を起こしたことで、自分は「役に立つ人間」の側になったと考えているのではないですか?

植松 はい、少しは、「役に立つ人間」になったと思います。

 そう言う植松被告は、心なしか微笑んだように見えた。
 困っている親のために殺害したのであり、そうすることで自分は「役に立つ側」に回れた、というのだ。
 私が感じている彼の思考の特徴は、物事をきれいに2つに分けてしまうことだ。
 ブサイクと、イケメン。役に立っているか、立っていないか。現実の世の中には、両極端の間に、多くの人がいる。しかし、彼のものの考え方には、その二つの間が欠落しているように私には感じられる。

 石渡先生も質問に加わった。

石渡 今、植松さんにとって楽しいことはありますか。

植松 楽しいことは、いい考えが浮かんだときです。きれいな文章を思いついたときとか。

石渡 では、辛いこと、しんどいと思うことはありますか。

植松 辛いのは、退屈なことですね。やることはあるけど、息抜きができない。うまいご飯とか、食べられたらいいかもしれません。

石渡 先ほど、お母さんが可哀そうという言葉が出ました。植松さんは、お母さんのことを考えることがありますか。

植松 (表情をいきなり強張らせ)そんなに考えません。

神戸 私が、親御さんに手紙を書いたら、渡してもらえますか。

植松 自分の考えは、親とは関係していないから。両親から影響を受けたから事件を起こしたわけではないです。

 植松被告はいつも、親の話題は「迷惑がかかるから」と徹底して拒絶する。別の角度から、私は質問を続けた。

「殺害すべき対象」は障害者だけではなかった

 神戸 「おはよう」と起こしても、「おはよう」と言えなかった人を「心失者」と判断して刺した、と前に言っていましたね。しかし、あなたが刺した中には、コミュニケーションを取れた人もいたはずだと思います。

植松 いたとは思います。

神戸 あなたが言う心失者以外の人も、何人か刺したことは認めるのですね。

植松 いたかもしれませんが、本当にわずかです。

神戸 うちの子も、言葉はなかなか出ないが、アイフォーンを使って、言いたいことを画面で示すことができます。欲しいものを「買ってくれ」と伝えてきます。だけど、うちの子もいたら刺されていたと思います。

植松 そうかもしれません。

神戸 あなたに、線を引く資格はないと思います。

植松 そういう人が社会に必要ない、と思ったのは、この3年間、施設で働いてからです。事件で刺した人がそういう人たちだということは、今も確信しています。

神戸 そう思ったのは、やまゆり園で働いていて、入所者が走り回ったりしている様子を見たからですか。

植松 奇声を上げている場面などを見ていてです。神戸さんだって、実は線を引いているのではないですか。

神戸 そういう子であっても「一緒にいたい」と思う親は、欺瞞だということですか。

植松 それは、そう思い込んでいるだけです。

神戸 子供を殺された人は幸せだった、ということですか。

植松 「レイプされてるのに気持ちいい」と思うようなものです。障害を持っている子を育てて幸せというのは、間違っていると思います。

 植松被告は、「障害者なんていなくなればいいとは言っていない。いなくなればいいのは、心失者だ」と言い続けてきた。

神戸 あなたは手紙で私に、「糞尿を垂れ流しながらでも生きたいですか」と聞いてきましたね。「心失者」には、認知症になったお年寄りも含まれるのでしょうか。

植松 そうです。

神戸 年を取ってコミュニケーションが取れなくなったら、命を絶つべきだということですか。

植松 その通りです。

 やはり、そうだった。

 事件は、重度の障害者だけを狙ったのではない。年を取って「役に立たない」と見なされたら、私たち全ての人間が、抹殺の対象になりうるのだ。

 30分の面会を終え、拘置所を出た。私は石渡教授に、初めて植松本人に会った感想を聞いた。
 石渡教授は、「まじめな感じで、特別な人という風には思えなかったですけど、『話の中身は納得できないな』と感じることが多かったです。障害がある人の支援をしてきた者として、『今日の彼の話を考え直さなくては』とは思っています。彼は『職員をやっていた3年間で確信を持つに至った』と言っていましたよね。それが何なのか。福祉の仕事をしているほかの人が、みなああいう発想になるわけではないので、なぜ独自の考えを生み出したのか、また別の要素があるのかなと思います」と話した。

 接見が終わって、緊張は解けたが、とても後味の悪い取材だった。
 「もしかしたらこうなのでは?と質問したら、大体当たったようですね」と言うと、石渡教授は「当たっていたようですね。それをわかってもらったということで、彼もなかなかしゃべり切れないところも話してくれたのかな、という気がします」と言った。

 「殺人はいけないが、考え方はわかる」という声は、ネット上では簡単に見付けることができる。社会に格差が広がる中で、障害者や高齢者への福祉、生活保護などに金をかけるくらいなら自分たちに回せ、という風潮が少しずつ広がっている。
「自分たちも事故や病気で障害者になるかもしれない」とか、「リストラに遭って仕事を失うかもしれない」とか想像を巡らせないから、そう思うのだろう。植松的な考え方を突き詰めれば、高齢で寝たきりになったりしたら、私たちの誰もが殺害の対象になるわけだが――。

TBSラジオとTBSテレビでの放送

 長くなってきた拘置生活に、植松被告は少し倦んだ様子を示すようになっている。事件から2年半、2019年2月の面会では、「楽しいことがないんです。食事もうまくない」と愚痴を漏らした。

 報道では、精神鑑定で「自己愛性パーソナリティー障害」という診断が出ている。「自分が重要であるという誇大な感覚」があったり、過剰な賛美を求め、他人の気持ちに気づこうとしない「共感の欠如」が顕著だったり、目的を達成するために他人を利用したりする特徴がある、という。
 植松被告にこの診断のことについて感想を聞くと、「確かにそういう傾向はありますが、私は障害者ではないです」と、語気を強めて不満を現した。

 知人の精神科医に聞くと、自己愛性パーソナリティー障害は、「障害」という言葉は使っていても、私の長男のような「障害者」という意味ではなく、考え方にそういう傾向がある個人の特性や傾向を指していて、裁判で心神耗弱と認められ刑事責任を問われないという性質のものではないという。

 以前は、殺害した人の中には「心失者以外の人もいたかもしれない」と明確に話したのに、今は「そんなことは言っていません」と強く否定する。重刑が下る可能性を意識し、発言を修正しようとしている、と私は感じている。

通算6回の面会内容を踏まえ、前作のラジオ特番を再構成し、再びRKBとTBSラジオで、2019年3月に『SCRATCH 差別と平成』を放送した。今回は、事件を題材に「平成の終わり」の時代風潮を描くことを心がけ、放送文化基金賞のラジオ部門で最優秀賞をいただいた。
 このラジオ特番を映像化したのが、5月6日にTBSテレビ『NEWS23』で放送した15分の長い企画だ。VTRの後のスタジオで、キャスターの雨宮塔子さんと星浩さんに私が述べたコメントを、最後に紹介したい。

 これが今のところ、取材してきた私の抱いている気持ちである。

 (植松被告の言うことは)一見分かりやすく聞こえるかもしれませんけれども、「浅はかで、薄っぺらいな」という印象、僕は全く変わっていません。人間の一生にはいろんなことが起こりうるのに、『人生の深い洞察に欠けている』という印象なんですね。

 私の長男がいろいろできることは増えてきているわけです。家族にとって、いかに大切な存在かは、お分かりになったかと思うんです。
 しかし彼は、「かけた労力と釣り合っていない。だから、幼いころに安楽死させるべきだった」と、僕に言ったんですね。本当に驚きました。

 長男と暮らす中で私は、「すでに障害を持っている人」と、「これから障害を負う人」、その2種類しか世の中にはいないじゃないかなあ、と思うようになったんです。
 誰しも心の中に差別の心、内なる優生思想というものは持っていると思うんですけども、それを全面的に認めてしまうと、社会は人間らしさを失ってしまうんじゃないか、と思います。

 それこそ「心を失った社会」になってしまうんじゃないでしょうか。

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