11月4日(初恋)

 ジャングルジム。

 大人になってしまえば、頂上まではそれ程高いとは思えないものがほとんどである。園児向けのものは2メートルにも満たないし、小学生の登るものは2~3メートルがせいぜいだろう。実際に測ったり調べたことはないが、大人になって、ジャングルジムの横に立ってみれば分かる。大抵において、下から見上げれば頂上は見えるものだ。

 しかし、僕が登っているこのジャングルジムは頂上が見えない。「いつから登り始めたか」と問われると、「僕が5歳のある日のことである」と答えるしかない。


「里子ちゃんは、君のことがすきなんだってー」

 誰が言ったかは知らないが、その言葉は僕に向けて放たれた。それを聞いた5歳の僕は、目の前にあったジャングルジムに飛びついた。そして、一心不乱に登った。何も聞いていないフリをして登った。無駄な蛇行ルートを辿りながら必死に登った。頂上まで2mもないであろう園児用のジャングルジムが、僕には東京タワーだった。5歳の僕は東京タワーなんて実際に見たことはなかったが、その時の僕は雲の上までもぐんぐん登っていけそうな気分だったのだ。

「里子ちゃん。里子ちゃん。里子ちゃん。」

 ジャングルジムを必死で登りながら、僕は呪文のようにその名前を唱えた。もちろん頭の中で。里子ちゃんの名前を口走っているなんて、友達にバレたら、もっとえらいことになる。

 2メートルもないジャングルジムの頂上まで到達する。園児の僕にはぴったりの大きさのジャングルジムだ。ただ、5歳の僕には密かな目標があった。

 『ジャングルジムの頂上で、手を離して、2本の足だけで立つのだ。』

 今日まで、僕はそれができた試しがなかった。単純に怖かったのだ。でも、今日の僕は違う。あの里子ちゃんから、好きだと思われているかもしれないのだ。これは天にも昇る心地だ。今日の僕はどこまでだって行ける。

「里子ちゃんは僕のことが好きだ。里子ちゃんは僕のことが好きだ。里子ちゃんは僕のことが好きだ。」

 ジャングルジムの頂上に立ち、2本の足で、頂上の組棒を踏みつける。もちろん両手は、目の前にある組棒をしっかりと掴んだままだ。体重を徐々に足だけに移していく。足の裏に棒状の負荷がかかる。バランスを取り始めなければならない。僕は2本の足だけでバランスを取らなけらばならない。

 少しふらつく。まだ手は離していない。生まれたての小鹿のように、足が少し震える。でも今日の僕は違う。この手が離せる。もっと高いところに行くんだ。

「里子ちゃん!里子ちゃん!里子ちゃん!」

 足にほとんどの体重が乗っている。バランスもとれている。今しかない。組棒を握りしめていた手を、そっとほどき始める。僕の手は、僕の目の前で開く。僕の意思と、里子ちゃんの意思によって。

 そこからは簡単だ。離した手の力をそのまま抜いていく。膝を曲げながらバランスをとっている足を、ゆっくりと仁王立ちの姿勢にシフトさせる。前かがみになっていた身体も、少しずつ起こしていく。スローモーションでいい。でも確実に、僕の手と足と胴体はバランスをとり、2本の足だけで、たった2本の組棒の上に立つことができる。

 そのまま、両の拳を天につき上げる。

「里子ちゃん好きだ!里子ちゃん好きだ!里子ちゃん大好きだ!」

 天につき上げた拳の先に何かが触れた。見上げると、そこには数本の組棒があった。ジャングルジムにはまだ続きがあったのだ。


 里子ちゃんは設計士になった。

 彼女が初めて設計したのが、この僕だけのためのジャングルジムだ。彼女とは、中学1年生の時に少しだけ交際し、その関係は自然消滅した。中学を卒業してからは、地元の毎年恒例のお祭りで彼女を見かけた。彼女は東京に住んでいる。


僕の書いた文章を少しでも追っていただけたのなら、僕は嬉しいです。