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お坊様とみんなと考えた、SDGs=倫理説

こんにちは。最近、あのカラフルなバッジをつけて「やった気」になっているSDGsパーリーピーポーの多さにうんざりして、「SDGsってSexy Dynamite Girlsですよね?」とか言っている湯川です。

なんだかとっても大事な気がするSDGs。やってみたいのに、本質がわからない。そんななか開催したイベント『自由人博覧会』&『革命スナック』(ゲスト:須磨寺副住職・小池陽人さん)で出てきた「SDGs=倫理」説がすごく腑落ちしたので、まとめてみます。


▶「信じる」って、何なのさ。

「自由人博覧会」は、従来の枠を飛び出して活動する人に直接触れてみよう!という企画。今回は、お坊様ながら、法話H-1グランプリを企画したり、元THE BLUE HEARTS のドラマーとコラボの音楽法要祭をしたり、法話Youtuberとして活動する、仏教界の異端児・小池陽人さん(大本山須磨寺副住職)。

テーマは「信じる、からの自由」。ちょうどブッダが亡くなった日のイベントは、こんな法話からスタートしました。


・ブッダが亡くなる直前に修行僧に伝えたのは、「お前たちは私を頼りにしてはいけない。私の亡き後は、闇夜における灯明のように、お前たち自身を頼りにしなければいけない。同時に、私が説いてきた真理、つまり法を灯明として頼りにしなければならない」ということでした(自灯明法灯明)。

・ヘルマン・ヘッセ『シッダールタ』にも、「知識のみでは何の意味もない、言語では伝えきれないことがある。実際に行わないと知恵にならない」というエピソードがります。

・盲目的に外部の誰かや何かを信じるのではなく、まずは自分がどう生きたいかを考え、そう生きることが大切。『よりよく生きたい』と思えば、どうにでもなるんですね。

・ブッダは此岸の先にある欲望の濁流を渡る筏の作り方は教えても、その向こうの彼岸に何があるかはお教えになりませんでした。つまり、答えは示されていないのです。


そんな法話の余韻を胸に、般若湯(要するに日本酒)を飲みながら参加者みんなで話す『革命スナック』に突入。「『信じるとは何か?』を、多様すぎる参加者それぞれの立場から語り合ったのでした。そう、私たちがそれぞれの答えを求めるために。

(※参考「お釈迦様の最後の教え:自灯明と法灯明/法話Youtuber=youtu坊・小池陽人さん」)



▶信用と信頼、AIと文化ミーム。

革命スナックでは、こんな話がでました。

・同じ「信」だが、「信頼」と「信用」は、どう違うか。おそらく「信用」は過去(実績)へのもの、「信頼」は未来(その人、対象そのもの)へのものではないか。(大学教授、社会心理学・経営情報学)。

・なるほど、いままでは財務諸表内で数値化される金銭的な「過去の実績」への「信用」でしか融資されなかったものを、これからは金銭的に換算されない「いいことやってる」も重視して未来への「信頼」にも投資しよう、というのが、「ESG(環境・社会・ガバナンス)投資」なのね。(革命スナックのママ=私)


・AIは、大量の情報を高速で処理して判断するけれども、頭脳としてはウィルス程度。もともとの情報に偏りがあった場合、そのままの判断をしてしまう。(行政、ITや情報の専門職)

・情報のバイアスでいうと、文化ミームの問題がある。言語はその中に文化的な偏見を含んでいる。それを基礎データにする時点で、公平な判断はできない。(LA在住の音楽家、ちなみにゲイであることを公表)。

・だから、AIが大きな存在となってくるこれからの時代、同時に、より重要になってくるのが、倫理である。(行政、同じ人)
 
 
ん? ESG投資の「いいことやってる」も、いわば「倫理」だよね。両方に同じキーワードが出てきた。お坊様、倫理とは、どういうことですか。



▶ともに生きる、ことわり。

そのとき、蓮の葉の上にお座りになられたかのように清らかなお姿で、陽人さんは言われたのでした。
「倫理とは、漢字にもありますように、『ともに生きる、ことわり』ですね。自分だけがよければいい、今だけ良ければいい、というのは違う、と。つまり、他人のことも考える、未来のことも考える。それが倫理ということではないでしょうか」

ハッ、それって、SDGsじゃーん!(革命スナックのママ=私)
2030年という未来からの、バックキャスティング。「“誰一人取り残さない”世界」を実現する全人類課題。

そして、それをドライブするのは、「よりよく生きたい」という個人の思い、願い。教えを知るだけではなく、自分で考え実践していくことで、自らの知恵とし、よりよく生きる。


……なんか、こんなこと書いてると、武者小路実篤の『ますます賢く』みたいなんだけども、我々は、それぞれ、よりよく生きたいと願い、欲望の激流をすぐ解けそうな頼んない筏にしがみつき、それぞれの彼岸を目指して日常をこそ修行の場として、生き抜こうと、そのときのキーワードがSDGsなのだろう、と思ったのであるよ。

自灯明と法灯明。自らを拠り所とし、真理をいまひとつの拠り所とする。その「真理」を考えるキーワードとしての、SDGs。自らが、持続可能に、自分を高めていくための、ひとつの指標としての目標設定。

そう考えたら、なんとかストンと腑落ちしたのでした。イベントが行われた2月15日は、そう、涅槃会。お釈迦様からのギフトかもしれないな♪



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