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なんとか屋さん

あそこのうちは○○屋さん

昔は、クラスの友達のうちの職業をよく知っていたように思うのです。
例えば、しんちゃんのウチはラーメン屋さん。たっちゃんところは雑貨屋さん。みっちゃんとこは床屋さんとか。
最近は、あんまりそういうことがないんですよね。
そもそも、よそのお宅のお父さんやお母さんの職業を知らないなんてことも多いのではないですか?個人情報大事だし。電話番号非公開だしね。
例えば、会社にお勤めとか、公務員とか・・・くらいしかわかんないです。

高度経済成長の労働者

昭和30年代の高度経済成長によって、地方の多くの若者が都会に流失しました。
最初は単純労働者として、いわゆる、高度経済成長期の「金の卵」として、中学校卒業と同時に都会に集団就職しました。
ちょうど、固定為替相場制(1ドル=360円)の安い円相場も相まって、日本で生産して、海外に輸出することで多くの外貨が日本に流れ込んできたのです。
彼らが日本が経済大国になってゆく基盤を作ったのです。
その後、日本も2000年前後にかけて、安い労働力を求めて、中国やアジアに生産を移したことについては、また別の機会でお話しします。

日本の教育制度

実は、日本の教育制度って、明治以来あまり変わってないように思うのです。変化があっても小手先だけ。
明治政府は、植民地化されていくアジアにおいて、独立する方法を必死に模索します。
その方法として、中央集権を維持するための人材作りとして、教育に産業革命の手法を取り入れたのです。
当時の産業革命で行われたのは、家内制手工業手から機械作業へ、そして製品の規格化、標準化です。
有名なのは、活版印刷術における標準化され、互換(取り外し)可能な部品としての「活字」ですね。
つまり、規格化されて、標準化された取り替え可能な人材をたくさん作ることで富国強兵を遂げようとしたのです。

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いつまでこんなことを続けるのか

そんな訳で、いまだに日本の学校は、明治の香りが漂う制服を標準服として採用しているのですが、もういい加減に終わらせてものではないかと思うのです。
先日、中学校の授業を見せてもらう機会がありました。社会の授業でしたが、「契約」についてでした。
なかなかいい内容だと思います。そうやって社会のことを知るのは大切です。
できれば、もう一歩踏み込んで、生き抜く方法を学ぶ機会を与えてあげないといけないのだろうと。

ボチボチ次の時代へ

いい学校に行ったり、いい会社に行っても、あるいは公務員になっても、今の時代、何が起こるかわかりません。というか、人生一生安泰などは幻想でなのです。
いつも何かに頼らなくてはいけないとか、誰かの顔色を伺わなくてはいけないとか、そんなのはつまらないでしょ。
個人の生きる力を開放してあげる教育が必要なのです。
とりあえず、制服と校則を廃止してみませんか。かなり面白いと思いますよ。
それで、冒頭の、「なんとか屋さんがあった時代」には、そんなモデルが身近にたくさんあったのだろうなぁ。
というか、これから、一周回って、そんな時代になるように思うのです。


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