見出し画像

ばっちゃん(中本忠子さん)について

ばっちゃんみたいになりたい

広島・基町の「ばっちゃん」こと中本忠子(ちかこ)さんは、元保護司です。
中本さんは毎日、市営基町住宅の自宅で多い時には3 升のお米を炊いて、小学生から21歳までの少年たち3〜10人に無償で食事を提供しています。
私も一時期、同じようなことをしようとしました。が、やはり中本さんのようにはいきません。
いいカッコをしたかったり、欲がでたり、思うようにならなくてイライラしたり・・・
特に中本さんがよく言っている
「人間の優しさって言うのは見返りを求めたらいけない。見返りを求めるのは優しさじゃない」
という言葉には頭が下がります。とてもできません。

中本さんは「ばっちゃん」になった

1934年、広島県・江田島で生まれ中本さんは、3人の息子を授かりましたが3男が生まれたすぐ後に夫が他界、呉市で子どもたちを育てていましたが、広島に引っ越して市営基町住宅に移り住みました。
1980年、中学校のPTA役員をしていた中本さんは、「保護司」をしてみないかと勧められます。
保護司とは、犯罪や非行をした少年に生活上の助言や就労の援助・指導などを行い、その立ち直りを助ける地域ボランティアです。
中本さんは、シンナー事犯で少年院に入って、仮退院した1人の少年を担当することになりました。
中本さんは少年に「なんでそんなにシンナーばっか吸うの?」と尋ねたそうです。
「お腹が減ったのを忘れられるから」
中本さんは、この日から毎日少年に食事を出すようになります。
やがてお腹が満たされるようになった少年はシンナーをやめました。

私心のない人の元に人は集まる

中本さんの自宅は、彼女を「ばっちゃん」呼ぶ子供たちのたまり場となっていきます。
ご飯を食べに来るのは、さまざまな境遇にいる子供たちでした。貧困家庭の子や親が刑務所にいる子、虐待やネグレクトと向き合ってる子など、いずれも家で食事が満足に取れずにお腹を空かせ、愛情に飢えている子供たちばかりでした。
中本さんは、生活費と貯金を切り崩して食事を与え続けました。
やがて活動の輪は広がっていき、近所の人々が手伝ってくれるようになります。

画像1

活動の和は広がったが・・

2015年には、NPO法人「食べて語ろう会」が設立されます。
少年たちを支える活動を地域の人々に引き継いでもらうために設立したものです。
NPOのメンバーには、中本さんの料理を食べて育った元少年もいます。
今、子どもたちのためと「食べて語ろう会」で作った居場所「基町の家」ですが、最近は、支援をうける人の年齢が上がってきています。
「大人でも行ってええですか?」
と言って連絡があるとのこと。
「社会のどこにも受け皿がない人たち」の居場所になっているのです。
特に薬物依存から立ち直ろうとしても、元犯罪者という目でみられ、社会からはじき出されて孤独感を深めている人が多くいるのです。
中本さんは自分の活動をこう言います。

「なぜクズみたいな奴らに金を使うて飯をくわせんにゃあいけんのんか、とか、あいつらホームレスになるか、刑務所にいくかなのに何の得にもならん。とか、差別的な言い方をされることは多いよ。保護司の中にもおるよ。排除するのが一番早いけんね。でもそういう批判があることで、これは私しかできん、というエネルギーになった」
それに続けて、こう言い切った。
「差別のない社会を作っていきたいのが私じゃけん」

スキ!♥️押してもらえたら感謝!感謝!支援していただけると超嬉しいです☺️