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地元

 先週、三ヶ月ぶりに実家に帰ってきた。

 ついでに、というわけじゃないんだけど、まだ電車に乗って出かけることはほとんどしていない今、せっかくそちら方面まで行く貴重な機会だったので、用事をすませたり、馴染みの場所にも足を運んできた。

 鎌倉の美容院に行って、タイに行く前から半年以上放置していた髪にパーマをかけ直して(というかかけ足して)もらい、小町通りと御成通りをぶらぶらして服を見たり、CHOCOLATE BANKのクロワッサンを食べたり、お母さんのキャラが好きでいつも立ち寄るとつい買ってしまうレンバイヨリドコロでさつま揚げを買ったり、御成通りの奥にある植木屋さんでジャカランダを買ったり、若宮陶器で器とグラスを見繕ったり。
 
 ずっと行きたかったSunset Healingにも、やっぱり半年以上ぶりに行けた。ほとんど人とふれあうことのない数ヶ月の後だけに、信頼できる手にふれてもらうのはとてもほっとした。そして、6月に入ってから、周りがどんどん動き出していく中でどう心身の折り合いをつけていくかが結構ストレスになっていたことを感じた。
 かおりさんに施術をしてもらう時は、たいてい最初から最後までずっとしゃべりっぱなしだ。今回は時間が空いた分、逆に話すこともまとまらないし、いま悩んでいることも特にないし、静かにしていようかな、寝ちゃうかも…なんて思っていたのだけれど、結局はやっぱりずーっとしゃべっていた。よくもこんなにしゃべれるなあ、と、自分でもびっくりするほど。かおりさんの前では、学校から帰った子どもみたいに、次から次へと話したいことが出てくる。
 いろいろな施術やセッションを受けていても、こんなふうに感じることはあんまりない。かおりさんがジャッジメントのないほんとうにひらかれたスペースをつくってくれているからなのだと思う。
 体も心も、こんなふうに聴いて寄り添ってもらうことを恋しがっていたんだなあと思った。

 応援も兼ねて、実家にいる間に一度は行こうと思っていた大好きなへっころ谷にも行くことができた。なんと、流れで五日間のうち四日連続。新記録だ。メニューが豊富で美味しいし、ほんとうに体がよろこぶご飯なので、それだけ続けて食べても全然飽きないのがすごい。数ヶ月分のブランクを埋めるべく、思いきり食べた。とてもしあわせだった。
 私は店主のケンゴさんがSNSに書く文章が好きなのだけれど、これからの営業方針についてのインスタの投稿に書かれていた「正しいよりも楽しいを選ぶ」が、すごくいいなあと思った。
 「正しい」は答えがわからないことも多いけど、「楽しい」はいつでも自分の中に答えを見つけられる。これからきっとますます一人ひとりが自分で選択をし続けながら生きていく時代になる中で、ひとつの確かな判断基準になる。
 飲食店として勇気のいる発信だったと思うけれど、それで力づけられた人もたくさんいると思う。
 入口に置かれている発酵液が、頻繁な消毒でくたびれ気味の手にものすごく心地よくてほんとうに肌もすべすべになるので、何度も吹きつけてしまった。よろこんでいたら、ケンゴさんが「ワークショップやろうかな…」とつぶやいていた。やってくれないかしら。
 
 そして、ランチで会った地元の友だちは、田植えのデトックス&アーシング効果に感動して田植え親善大使みたいになっていて、「今日もこれからあるんだけど、行かない?着替えなら貸すよ!」と誘ってくれたので、ランチとコーヒーの後に田植えに行き、そうしたらたしかにこれがものすごくよかったので、その二日後にも参加させてもらってきた。
 友だちの友だちも一緒に田植えをしてご飯を食べた帰り道、駅まで車で送ってくれながら、友だちが「別の土地の人と話したりすると、自分は湘南の人間だなって思うよね」と、言った。

 たしかに、湘南あたりの人独特の感じってあるなあと思った。
 海が近いからなのか、基本的に、何でもどこかゆるい。
 人と人のつながりもゆるっとしていて、一緒の場にいればみんなフレンドリーですぐに仲良くなれるけど、だからといって、次に会う予定をしっかり決めるでもなく「また会えたら会おうね」みたいなところがある。
 時間の感覚もゆるくて、タイミングと流れまかせな時も多い。
 (タイミングが合えば、ランチから田植えにもなだれこめる。)
 暮らしやファッションが確立している人も多いけど、服装もゆるい人も多いし、いろんなスタイルの間の垣根も流動的な気がする。
 そして、お金がある人もない人も楽しくやっている感じがある。
 何はなくても、海は大きいし空も広いからいいか、みたいな。

 何となく、私がしばらく住んでいたアメリカのカリフォルニアも似た感じがある。
 都会のロサンゼルスよりも、北の方のサンフランシスコとかの辺り。

 私が生まれ育った町自体は海にそんなに近くもなく、サザンの歌に出てくるような感じでもないし、私自身、サーフィンとかマリンスポーツをするわけでもないので、自分ではあまり湘南出身だと思ったことはなかった。
 でも、こうやって改めて考えてみると、自分の中にもこのゆるさはしっかりあるし、やっぱり湘南の人間なんだなと思う。
 生まれ育った土地は、知らず知らず自分の一部になっている。
 そして久しぶりに帰ってくれば、好きなお店や行きたい場所がいくつもあるし、見慣れた景色や人の感じにほっとする。

 でも、そのほとんどが、大人になってから見つけたものなのだ。
 好きなお店や場所も、好きな人たちも。
 田植えに連れて行ってくれた友だちも、同い年で地元も近いのに知り合ったのは三十代も半ばを過ぎてからだし、その時にご飯を一緒に食べていた子も、実は高校の後輩で隣駅に住んでいたのに全然知らなかった。ほかにも、育った町が一緒だったり、同じ中学や高校だったりするのに当時はお互い存在すら知らなかった人たちと、今になって地元で出会うことが結構ある。
 子どもの頃や、自分のことで精いっぱいだった十代の頃は、生まれ育った場所の良さを味わうよりも、外にばかり意識が向いていた。
 大人になっていろんなところもある程度見てきたいまになって、やっぱり地元っていいな、ここが地元でよかったなと心から感じることができるようになった。
 生きている時間が長くなるほど知っているものに出会いなおすよろこびもあるから、歳を重ねるのも悪くないなと思う。

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