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数字におさまらない力

 暑い時期になると、いつもミャンマーのヤンゴンのことを思い出す。

 数年前の三月、ボディーワークの勉強のためにタイにしばらく滞在した後、日本に帰国するタイミングでバンコクからヤンゴンの航空券がセールになっていて、「ミャンマーもどんどん観光地化されてるから、行くなら今だよ!」と、友だちに熱く勧められたこともあり、ミャンマーのことをほとんど知らないまま一週間くらい行ってみることにしたのだ。

 到着してみると、ヤンゴンは思ったよりもずっと都会で、中心部には高い建物がひしめき合い、人も車も多くて、それまでの数ヶ月間、のどかなチェンマイやその北にある自然に囲まれたパーイという街に滞在していた私は、いきなりのギャップにだいぶくらくらしていた。
 そして、タイもそうだけれど、東南アジアの三月ってちょうど雨季の手前でかなり暑くなる時期なのだ。

 その日は風もほとんどなくて、熱のこもった空気が毛布みたいに体を重く包み込んで、水分をいくらとっても喉が渇くし、歩くだけで体力を消耗していく感じがした。げっそりしつつ、たくさんの人に混ざって大きな交差点で信号待ちをしていた時、信号の隣の電光掲示板らしきものに数字が表示されているのに気がついた。

 最初は、通り過ぎる車の速度を計測しているのかな?と思ったのだけれど、よく見ると「41℃」と表示されている。

 あ、これ、気温なんだ!しかも、41℃!

 インフルエンザの高熱並みとは、そりゃ暑いはずだ…と、衝撃を受けて、私は信号が変わるまで呆然とその数字を眺めていた。アスファルトの熱で空気に陽炎がゆらゆらとできていて、それがまた暑い感じを増していたのを覚えている。

 これが、私の中の「一番暑かった体験」として残っている記憶なのだけれど、よくよく考えてみると、実際はそうでもないような気もするのだ。

 私は基本的に寒さが苦手なので、旅をするとなるとだいたい気温の高いところばかりで、だから暑い体験は結構あちこちでしている。
 ジンバブエとか夏の台湾とかカンボジアとかでも、じりじりと照りつける太陽の下で歩いているだけで倒れそうになったことがあるし、バリで水を持たずに炎天下のフェリーに乗ってしまって脱水症状になりかけて、近くにいたヨーロッパ人らしいカップルに瀕死の形相で水を分けてもらったこともある。

 ヤンゴンも、もちろん確かにすごーく暑かったけど、いろんな場所で体験したいろんな暑い日の記憶のひとつであって、一番暑かった体験ではないような気がする。
 それでも抜きんでて記憶に残っているのは、ひとえに「41℃」という数字を見てしまったインパクトじゃないかと思うのだ。
 記憶って、そういうことをするからだ。

 そして、数字にはそういう力がある。
 輪郭をはっきりさせて、曖昧さを排除する。
 それほど寸分の狂いもないからこそ、宇宙の仕組みを数字で表せたりするのだろう。
 でも一方で、普段の生活の中で数字をどう使うか、どう受け取るかは、いつも気をつけていた方がいいのだと思う。家具の寸法とか、お菓子のレシピとか、設計図とか、正確な値を共有することが必要な時はとても便利だけど、何かを数字にすることが私たちの認識や思考に与える影響も、切り捨ててしまうものも大きいような気がするから。

 数字になると、いろいろなことが「厳然とした事実」という感じで重みを持ち始める。でも、私たちの日々の営みとか関係性の中で、数字におさめないといけないこと、厳然とした事実として決めないといけないことってほんとうはそんなにないのではないかしら。
 なんとなく感じることを大切にしたり、決めずにふわっとさせておくこと、あそびやスペースを残しておくほうが、自然に近いような気がする。

 数字の力をひしひしと感じたのは、十五年前に母が病気をした時だった。

 今の日本では、病気になって西洋医学の病院にかかると、「ステージ」とか「生存率」とか、いろんな数字が出てくる。「生存率」にも、何年間とか、期間が決められていたりする。
 病気がわかった当初、私はアメリカで学生をしていてすぐには帰れず、電話やメールで状況を教えてもらっていたのだけれど、そういう数字が出てくるたびに、すごく違和感があった。でも、聞かなくていいです、というほどの覚悟なんてまったくなく、逆に気になって仕方なくて、自分でもネットでリサーチをしては、出てくる数字に気持ちを振り回されていた。

 手術当日にも帰れなかったのだけれど、帰国してすぐ、術後の検査結果を聞きに母と一緒に病院に行った。その時も、一番こわかったのは、お医者さんから何を言われるのか、だった。「悪い結果」とみなされる数字を告げられたら、今の自分はその影響力に負けてしまうだろうとわかっていたし、きっと母も他の家族もそうだと思った。だから、どうか、「悪いこと」を言われませんように…と願いながら病院に向かった。

 その時に告げられた数字は、「良い結果」とみなされるもので、お医者さんも「よかったですね」と言ってくれたし、母もほっとした顔をして、私も涙が出そうなくらい喜んだ。

 喜びながらも、やっぱりどこかに違和感があった。

 「良い結果」の数字をもらったからって、すっかり安心して何事もなかったように暮らしていけるわけじゃない。体は大きな病気をして、内臓の一部をとるという一大事まで経ている。現に母は術後、まだ食事が普通にできなくてすっかり痩せていたし、体はこれから時間をかけて回復していかないといけないのだ。
 (実際、結果を聞きに行った次の日に、それまで術後の割に元気だった母が初めて寝こんだ。結果をもらって、もうそんなに病院に来なくていいですよ、と言われて、突き放された気がしてとても不安になったらしい。)

 それに、順当に生きて歳をとっていったら、いつかは自分か家族が「悪い結果」を告げられる時が必ずくる。その時はどうするんだろう、と思った。自分や大切な人の体や命を、誰かに提示された数字に明け渡してしまうのかな、そんなのはいやだな、と思った。

 検査結果を聞きに行く日も、その前も、目の前に生きている母がいるのに、私も周りの家族もおそらく母本人も、ずっとお医者さんに何を言われるかを一番に気にしてそれに左右されていたことも、すごく違う感じがした。
 自分で見たことや感じたことを、一番に信じられるようでいたかった。有無をいわせぬような数字の力に負けないでいられる感じる力と自信が欲しい、と思った。

 体や健康についてしっかり学び始めたのは、それからまた数年経ってからだったけれど、そもそものきっかけはこれだったのかも、と、今になって思う。

 今でも、もし自分や家族が病気をして、お医者さんから決定的な響きを持つ数字を告げられたとして、どこまでそれに影響を受けないでいられるかはわからない。いまだに今日の気温に37℃とか出てくると、「暑っ」と思うし。これは数字とは関係ないけど、人に言われたことに影響を受けやすい性格だし。

 ただ、今は、ひとつはっきりと言えることがある。
 私たちの体や生命(いのち)は予測不可能で、驚きに満ちていて、その本質も可能性もどうしたって数字におさまりきるものではないということだ。

 十五年前も感じていたけれど、ちゃんと言葉にできなかったし、言い切る自信も持てなかったこと。それを、今こうしてはっきりと言えるようになったのは、体について学び、いろいろな人にふれさせてもらってきて、そして自分自身が体を通じた変化のプロセスを体験して、体といのち、人間そのものの可能性を体感させてもらってきたからだと思う。

 本質的な変化はいつも、頭で予想や意図をしていないところで起こる。
 起こる可能性がある。
 私たちが思考でそれを閉ざしてしまわなければ。

 施術でそういう瞬間を共有させてもらえる時、自分の体でそういう変化を体験した時、私は、いつもすごく有難いような、畏怖の念に近い感覚を抱く。自分の理解には及ばない、はかりしれない大きな流れや力がはたらいているように感じるのだ。
 それを数字に収めて結論づけてしまうことは、できない。

 だから、たとえ言われた数字にある程度の影響を受けたとしても、今なら最後の最後には体の感覚で選択することができるんじゃないかなと思っている。

 施術を仕事にしているとはいえ、常にどこかで自分がちゃんとしたボディーワーカーなのかは100%自信が持ち切れないところがあるのだけれど(解剖学の知識とかもあんまりないし)、自分や大切な人が数字の力に負けそうになった時、それでもぐっと自分で立っていられるような、そのための自信のようなものがちょっと身についただけでも、体について学んできてよかったなあと思う。

 そして、病気に関することだけじゃなくて、何においても、数字を手渡された時に力を全部そこに預けてしまわないで、ほんとうにほんとうかな?でも自分はどう感じるかな?と立ち止まって感じてみることを、みんながちょっとずつ練習していったら、世界がもう少し呼吸しやすく、ほっとできる場所になるんじゃないかなという気もしている。

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