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月面ラジオ { 14: "月美の青春(3)" }

あらすじ:30代のおばさんが、宇宙飛行士になった初恋の人を追いかけて月までストーカーに行きます。(2) 中学生の月美は、彦丸という男の子のことを好きになりましたが、その彦丸は逮捕された上、停学になりました。

{ 第1章, 前回: 第13章 }

彦丸の停学があける前の日

月美は子安くんと彦丸の家をおとずれた。
ここしばらく彦丸に連絡しても返事がないからだ。
「風邪かもしれないので、お見舞いに行こう」と月美が言い出しての訪問だった。
けれどふたりを出迎えたのは彦丸じゃなかった。
玄関を開けたのは、割烹着の上にエプロンをつけた彦丸のおじいさんだった。

「朝っぱらなんだ、このガキどもは」と言わんばかりの苦渋に満ちた表情でお出迎えだ。
コーヒー豆をすりつぶしてそのまま飲んだとしてもこうはならない。
いつもそんな顔をしているので、月美たちは慣れたものだけど。

朝はとくに機嫌が悪い。
毎晩遅くまで仕事をしているからだ。
御年七十を超えて、現役で旅館の板前をしているそうだ。
趣味は洋菓子作りで、将来はパティスリーになるつもりだと月美はにらんでいる。

「彦丸はいますか?」
 子安くんがたずねた。

「おらん。」
 おじいさんが答えた。
「家出してもうた。」

月美たちにそれだけ伝えると、おじいさんはブツクサと言いながら家の中に戻ってしまった。

「まったく、この忙しい時に……今からタルトの生地を仕込まにゃならんのに……」

どういうことだろう、とふたりは顔を見合わせた。
考えたところで何がわかるわけでもない。
月美たちは、彦丸の部屋に上がらせてもらった。

果たして彦丸は部屋にいなかった。
いつもなら、月美に気づいているのかもよくわからない様子で、本を読みながら出迎えてくれるのに。

机に目をやると、本が置きっぱなしだった。
外国語の本だったけど、それが何かすぐにわかった。

「世界一周だ!」

「世界一周?」
 子安くんはキョトンとした。

「八十日間世界一周。」
 月美は本を指した。
「ジュール・ベルヌの小説。彦丸が読んでたの。」

「へえ。ジュール・ベルヌ……ってことは、イタリア語だな。」

「フランス語だと思う。」

「なるほど。そうだと思ったよ。」
 子安くんは本を手に取り、パラパラとめくりながら言った。
「でも、これは……うん……あれだね。」

「どうしたの?」
 月美はキョトンとした。

「だって、ほら、この本……『本は本棚に』がモットーのあの神経質が置きっぱなしで出て行ったんだ。それって、僕たちに何か伝えたいことがあったんじゃないかな?」

月美は子安くんが何を言いたいかピンときた。

「八十日間……」
 月美はもう一度本の名前を読み上げた。

「世界……」
 子安くんが引き継いだ。

「一周!」
 月美は声をあげた。
「ウソでしょ? だって、どうやって? パスポートやお金は?」

「持ってるってことだろうね。二年前まで外国にいたわけだし。お金だって、親の遺産があるかもしれない。言葉も彦丸なら問題にならないし……」

「そんな……」

月美は顔から血の気が引くのを感じた。
だって八十日間も彦丸と会えないだなんて。

「落ち着いて、月美さん。」
 子安くんがなだめた。
「とにかく下に降りて、おじいさんから話をきこう。朝っぱらから機嫌が悪そうだけど、ベルギーワッフルとダム・ブランシュのティーセットくらいなら出てくるかもしれない。」

「うん、そうしよう。」
 月美はすぐに元気になった。

月美と子安くんのアテははずれてしまった。

彦丸の行方を聞き出そうにも、おじいさんもどこに居るのかはわからないそうだ。
彦丸は「しばらく出かける」と宣言して出て行ったので、まったく心配していないらしい。
青野一族にたまに見られるその神経の図太さがいったいどこからやってくるのか月美はいつも疑問を禁じ得ない。

それから彦丸と会えない日々が続いた。
彦丸はほんとうに家出してしまったらしい。

月美はそれが寂しい一方で、内心ホッとしている自分にも気がついた。
なんだかんだで、受験勉強に集中できたからだ。
気になる人がいなくなっただけでこうも違うものかと舌を巻いたものだ。

この調子ならいけるんじゃないか? 
そう思った矢先のことだった。
「順調」をすべてうちくだくようなできごとが起こった。
彦丸から連絡があったのだ。

なんてことだ。

その夜、子安くんから電話があった。

「月美さん、もしかして彦丸からメールが届いてないかい?」

「もしかして子安くんも?」

「うん、写真だけだけど。文章はなし。」

「私もそう。夜空の写真が一枚だけ。なんだろうこれ?」

「わからない。彦丸は僕たちとゲームがしたいのかも。」

「ゲーム?」

「何か隠されたメッセージがあるってことさ。とにかく、明日いっしょに考えてみよう。」

「うん、それがいいかも。」

「勉強は大丈夫かい?」

「大丈夫じゃないけど、このままじゃ集中できないし……」

「場所はどこにする?」

「せっかくだし、彦丸の部屋にしよう。」
 月美は言った。
「最近、おじいさんがシュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテづくりにハマってるから。」

次の日

ふたりは彦丸の部屋にあがりこみ、彦丸の送ってきた写真(子安くんが印刷してきてくれたのだ)を机に置いた。
改めてじっくり見たけれど、ただの夜空の写真だった。

長い時間露出して撮影したのだろう。
星星が光の川となって現れている。
そして星以外は何も映ってはいない。

「やっぱり自分の居場所を当ててほしんじゃないかな、彦丸は?」
 月美が切り出した。
「子安くん、星座から場所ってわからないの?」

「ムリだね、星座だけじゃ。」
 子安くんはきっぱりと言った。
「そりゃ北半球か南半球かくらいの区別はつくかもだけど……星って世界中のどこからでも見られるんだよ?」

「そうなの? 昔の旅人は、星を見て自分のいる場所を特定したって訊いたことがあるけど……」

「北極星だね。」
 子安くんが答えた。
「北極星は絶対に真北にあるから、雲さえなければまず方角がわかるんだ。北極星の高さを測れば自分たちのいる場所の緯度が計算できるし、正確な時刻がわかれば経度もわかる。」

「つまり?」

「何でもいいから星の高度と時刻さえがわかれば、正確に場所を特定できるってこと。でも問題はそこさ。僕たちはそのどちらもわからないんだ。」
 子安くんは悩ましげに続けた。
「せめて地平線が写っていればなぁ。星の高度くらい推定できたと思うんだけど……」

「そう……いい線いってたと思うんだけどな。」

「一筋縄じゃいかないってことさ。」

「ならさ……」
 月美は続けた。
「やっぱり星座とかかな。この写真に映った星座に隠されたメッセージがあるのかも。」

「ご冗談。占いじゃあるまいし。」
 子安くんは首をふった。
「例えばだよ、この写真に『蛇使い座』が写っていたとするよ。そこにどんな隠されたメッセージがあるっていうんだい?」

「彦丸がインドに居るってことじゃないかな?」

「ああ、なるほど……」
 子安くんはうなった。
「その線は……うん、まぁアリだな。よし、ふたりで手分けしてここにある星座をすべて知らべよう。」

そういうわけで二人して星座を調べることにした。
ふと思いついたように子安くんが「写真をスキャンして星座を判定する素晴らしいプログラムを作りたい」と言いはじめたけど、「今は時間がないから、まずは星座早見盤でなんとかしよう」と月美は押しとどめた。

月美たちは彦丸の机から星座早見盤を取り出すと、さっそく夜空の写真と照合した。

「真ん中にあるのが獅子座だね。うん、きれいに写っている。ってことはこっちが、こいぬ座、うみへび座か……」

「これなら私もわかる。オリオン座。」
 月美は得意になっていった。
「今の時期よく見るやつ。」

「獅子座を挟んでその反対にあるのは乙女座……端っこに写ってりるのが、牛飼い座に北斗七星……獅子に子犬、ウミヘビ、オリオンに乙女か……これは、あれだ……あぁ……さっぱりだね。月美さん、なにかわかったことはあるかい?」

「ぜんぜん、わからない。」
 月美もブンブンと首をふるばかりだった。
「全天八十八星以外の星座とか?」

「むちゃ言わないでよ。」
 子安くんがドッと疲れた声を出した。
「世界中にいったいどれだけ星座があるのやら、だよ。調べるだけで八十八日経っちゃうね。」

「だめか……」
 月美は肩を落とした。

「他に思いつくことはない?」
 子安くんは言った。
「ないならお手上げだね。こんな写真一枚からいったいなにがわかるっていうんだよ、まったく。だんだんイライラしてきたよ。今日はもう解散だ。」

「待って! もう少し考えてみよう。まだ思いついていないことがあるはずだから。」

月美は子安くんをなだめた。
この写真の謎を解き明かそうと提案したのは子安くんじゃないかという指摘は心に留めておいた。

「まぁ、月美さんがそう言うなら……」
 子安くんは、よっこらしょと立ち上がった。
「もう少し考えてみよう。せっかくだし、部屋を探ってみるよ。なにかヒントが残されているかもしれない。まあ、この部屋にあるものと言えば、布団と本棚くらいだけど。」

そう言うと子安くんは本棚の前に立ち、無遠慮に片っ端から本を調べはじめた。
月美はプライバシーについて子安くんに抗議したくなったけれど、自分も勝手に彦丸の部屋に入り込んでいるわけだから、何も言うことはできなかった。

月美はもう少し写真を眺めてみることにした。
なにか見落としているものはないだろうか? 
とはいえ、どんな角度から写真を眺めてみても、写っているのは星と夜空だけで、それが変わることはない。
星座早見盤と見比べるくらいのことしかできなかった。

星以外に何か隠された要素はないか? 
月美はうなりながら写真を見つめ、答えを探しだそうとした。
そういえば、数学の問題を解く時もいつもこんな感じになる。
そう思うと月美はだんだん気が滅入ってきた。

苦しんだところで、なにも思いつきそうになかった。
いっそのこと彦丸に訊いてしまおうか? 
「あなたはいま、どこにいるのですか?」と。
そんな考えが月美の脳裏によぎった。
けれど、月美は首をふった。

だめ。
そんなの許されるはずがない。
それじゃ彦丸の気を引けないことは月美も重々承知していた。

あきらめて星座早見盤のほうに目をやった。
星座早見盤……星座の名を教えてくれる古くからある道具だ。

「あれ、おかしいな……」

月美はふとあることに気がつき、「宇宙からやってくる恐怖」という本を読みふけっている子安くんに声をかけた。

「ねえ子安くん? この写真、星座の形がヘンじゃない? 獅子座は星座早見盤と同じ形だけど、オリオン座とかはそうじゃない。なんていうか、星座が歪んでいるような……」

「広角レンズを使っているからだよ。」
 「宇宙からやってくる恐怖」に目を落としたまま子安くんは言った。
「広角レンズを使うとたくさんの星を映すことができる。でも映る面積が広くなると、端っこの形が歪んじゃうんだ。メルカトルの地図みたいなものだよ。グリーンランドはあんなにでかくない。」

「彦丸は、ほとんど百八十度うつるようなとんでもないレンズを持っていたから、きっとそれを使ったんだ。」
 子安くんは、本をカメラに見立てて、天井を仰ぎながらシャッターを押すマネをした。
「レンズをカメラにとりつけて、こんな風に真上に向けてパシャリといくわけだ。」

「真上?」
 月美は言った。

「そう、真上だね。まあ、実際は三脚か何かを使うわけだけ……ど……あっ……」

「どうしたの?」
 子安くんが急に止まったので、月美は心配した。

子安くんは天啓を受けたような顔をして、本を元の場所に戻した。
それから机にもどって写真を眺めた。

「真上……あぁ……なるほどそういうことか……」

「ひとりで納得しないんでほしいのだけど?」

「月美さんの言ったとおりだったってこと。これは思ったよりも簡単なクイズで、僕が複雑に考えすぎていたみたいだ。」

「つまり?」

「この写真だけで、星の高度も時刻もわかるんだよ。」

「ほんと?」
 月美は期待して耳をかたむけた。

「ほら見て。」
 子安くんは円を描くように指で写真をなぞった。
「しし座のアダフェラを中心にして、おなじ高度の星が円周上に並んでいるんだ。しし座が自分の頭上にきた時にレンズを向けないとこんな写真はとれない。低高度の星まで写っているから間違いないと思う。」

「この写真の真ん中にある星が最高度、つまり一八〇度ってわけね。」

「その通り。まぁもう少し正確に言うなら九〇度だけど、まあ、うん、ほとんど正解だね。」

「時間は? 写真だけじゃ時間なんてわからないと思う。」

「写真データの中に撮影時刻も記録されているはずだ。彦丸が持っていたのはデジタルの機種だし……」

「撮影時刻ってすぐにわかる?」

「もちろん。コンピュータがあれば、だけど。」

「私の家にあるヤツを使う?」

「いや、じいさんから借りよう。ラズベリー・パイ用の木苺をネットで注文しているのを見かけたことがある。」

おじいさんからコンピュータを借りて撮影時刻を調べ、ついでに焼いたばかりのエッグタルトをもらって子安くんが戻ってきた。

「時間がわかったよ。」
 エッグタルトをほおばりながら子安くんが言った。
「おととい……アツっ……おとといの夕方五時だった。」

「夕方なの? この写真は夜だけど?」

「グリニッジ時刻で五時ってことさ。ヨーロッパとアフリカは夕方だけど、アジアは夜だしアメリカならお昼くらいだ。この時間にしし座が真上にくる場所は世界でたったの一箇所だ。これで彦丸がどこにいるかわかった。」

「さすが、子安くん。」

月美が褒めると、子安くんは顔を赤らめた。

「まあね。北緯二十六度、東経七十五度がクイズの答えだよ。その座標が指し示す場所は……これも月美さんの言ったとおりだったわけだけど……彦丸はインドにいる。インドのジャイプルって街だね。」

「インド?」
 予想外の答えに月美は声を上げた。
「まさかほんとうに外国にいるだなんて。どうしてそんなところに?」

「さあ。想像だにできないね。」
 子安くんは肩をすくめた。

「でも、ジャイプルって地名……最近、どこかで訊いたことがあるような気がするの。」

「ほんと? 思い出せるかい?」

「ピンとこないな。すぐには思い出せないかも……」

「うーん……」
 子安くんはうなりながら、椅子の背もたれに寄りかかった。
「僕もジャイプルってのを調べてみるよ。辞書や地理の本はあるかな?」

「あ……」

今度は月美に天啓が訪れる番だった。
月美はあわてて本棚にかけよった。

「どうしたの月美さん。」
 子安くんが背中から声をかけた。

「思い出した。」
 本の背表紙を読みながら月美は言った。
「彦丸が前に読んでいた本……それにジャイプルって地名があったかもしれない。」

「ほんと? 本の名前は?」

「忘れちゃった。ちょっとまって……雑誌か何かだはず……あった、これだ!」

月美はかがみこんで、本棚の一番下にしまわれていた古い雑誌を取り出した。
遺跡や古い街を特集した紀行誌だった。
月美たちの生まれるよりも前に刊行されたもので、街の古本屋さんで買ってきたらしい。
彦丸は宇宙を題材にした小説と、科学・工学・建築の専門書以外に興味を示さないけど、この雑誌だけは別だと月美は知っていた。
天文学にまつわる世界中の遺跡について特集されているからだ。
後古典期マヤの「チェチェン・イッツア」、元朝の「北京天文台」、それにムガル帝国の「ジャンタール・マンタール」だ。
どの遺跡も偉業そのものだと彦丸はたたえていた。

目次に羅列された王朝の名を眺めているうちにピンと来た。
ムガル帝国……インドにあった昔の帝国だ。
世界史の教科書にも書いてあることじゃないか。
月美は興奮しながらページをめくった。

「ジャンタール・マンタール……あった、これだ!」

一見して天文台とは思えない不可思議な建築群の写真を見つけた。
カラッカラに乾いた青空の下に、四角や三角、お椀型の大きな石の建物が置いてある。
なんというか、下手な建築家が設計した変なモニュメントだらけの公園のように見えた。
それが遺跡に対する月美の正直な感想だ。

「ジャイプルって、この『ジャンタール・マンタール』のあるとこだよ。」

「大きな滑り台みたいな建物だね。」
 子安くんは月美の肩越しに記事を眺めた。
「へぇ、星の高度をはかるためのものなんだ。察するに、彦丸はこの遺跡を見学しにいってるってことかい?」

「きっとそう。ここで紹介されている遺跡をぜんぶ見たいって言ってた。」
 月美は二百ページもの特集記事をパラパラとめくりながら言った。

「おお……」
 子安くんは感嘆の声をあげた。
「遺跡巡りの旅ってか。なんとも壮大な家出だ。それで八十日間世界一周なのか。」

壮大な家出。
ほんとうにそのとおりだと月美は思った。
だれに相談することもなく、許可をとることもなく、「思い立ったから出かけた」と言わんばかりだ。
気がつけば、あいつは地球の裏側にだっているんだ。

「私、いまからメールを送ってみる。」
 月美は言った。

「どうぞ。」
 と子安くんがうなずいだ。

月美はしばらく文面を悩んだ。
けれど、結局それほど凝ったものではなく単純な質問にした。

ジャンタール・マンタールはもう見ましたか? 

すると、すぐに返事が返ってきた。

いの一番に見た。

これには月美も子安くんも殊の外おどろいた。
筆不精(これは月美が受験勉強中に覚えた言葉のひとつだ)の代表格のような彦丸が、時差もある遥かかなたの海外から即返事をよこすなんて異例の事態だった。

「いの一番に見たんだって。ジャンタール・マンタール。」
 月美は言った。

「へぇ。」
 子安くんは小さくため息をついた。
「彦丸のやつ、ほんとにインドにいるんだ……インドに……ねぇ……」

そして、月美をじっと見つめながら言った。

「マジで?」

それからしばらく月美と彦丸の秘密のやり取りは続いた。

彦丸は、新たな土地へおもむくたびに写真をとって月美に送りつけてきた。
ある時は街角を映したり、ある時はおみやげ屋さんを映したり、ある時は山岳地帯を映したり、ある時は夜空を映したりした。

その写真はいったいどこで撮影されたのか? 
それを特定するのが月美の日課となった。

さりげなく隠されたヒントから彦丸の意図を読みとり、その居場所を探しだす作業はとても楽しかった。
月美もいっしょに旅している気分になるからだ。
答えが合っていた時はなおさらうれしい。

彦丸から次の連絡が来るまでは勉強に勤しんだ。
月美にとって、彦丸の謎解きこそが本番で、受験勉強なんてその間の暇つぶしくらいのものだ。
まるであべこべだけど、月美は気にならなかった。

彦丸は、たったひとりの肉親にすら連絡をとってはいなかった。
けれど月美だけは別だ。
自分の旅の証跡を教えてくれる。
自分だけがその特権をあずかっていることに月美は誇りさえ感じていた。
(子安くんも同様のメールを受け取っていることを月美は都合よく忘れることにした)

でも、これから何度だって経験することだけど、楽しい時ほどあっという間に過ぎてしまう。
彦丸との文通はとつぜん終わった。
「このごろ彦丸をとんと見かけない」と他の人たちが気づきだし、まもなくして大問題になったからだ。


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