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月面ラジオ { 31: ルナ・エスケープ(2) }

あらすじ:(1) 30代のおばさんが、宇宙飛行士になった初恋の人を追いかけて月までストーカーに行きます。(2) 月美は、新しい就職先の会社にやってきたはずなのに、なぜか月面都市の外の施設に連れてこられました。

{ 第1章, 前回: 第30章 }

自動ドアが開いた。

月美たちはバスケットコートくらいの広い部屋に入った。

「ここがルナスケープの開発室だ。」
 ホークショットが言った。

青白い灯りが隅々まで行き渡ってはいたけれど、どことなく寂しい部屋だった。
かつては卵の殻のような白い部屋だったのだろう。
けれど、いまは全体的にくすんで、牡蠣を煮たあとのベシャメルソースのような色になっていた。

開発室には、白い円形のワークベンチが三つ備えつけられていた。
それぞれが車を乗せられそうな大きな作業台だった。
三つのワークベンチのうち二つは誰かが使っているようで、精密作業用の工具、モニター、計測装置、ペン、紙やスナック菓子が散らかっていた。

「月美、すでに仕事の内容は知っているな?」
 ホークショットはたずねた。

「いいえ。まったく。」

つい先ほどまで逃亡を企てていたなんて、まるでおくびにも出さず月美は首をふった。
月面都市に帰れない今となっては、腹をくくり、ホークショットに従うしかなかった。

「そういえば話していなかったな。なら実物を見るのが手っ取り早いだろう。」

ホークショットは空いているワークベンチに月美を案内した。
ワークベンチの上を見ると、車の組立工場にあるようなロボットアームが天井にぶら下がっていた。

「あれがルナ・エスケープの開発しているシロモノだ。」
 ホークショットはロボットアームにぶら下がっているものを指した。

「あれは……タイツですか?」

タイツとシャツを合わせた肌着のようなものがアームにぶら下がっていた。

「あんたを驚かせるために昨日の夜ぶらさげたんだ。」

ホークショットが手を叩くと、ロボットアームが動き出した。
こちらに向かってゆっくりと降りてきた。

「どうだ、触ってみたいだろ? おっと、触るな! まだ試作品だ!」

「なんですか、これは?」
 月美は伸ばした手を引っ込めながら言った。

ただの肌着ではないみたいだ。
全体が筋張っていて色が赤黒い。
それを構成する繊維は、布というよりも筋繊維のようだった。

「何かのインナースーツですか?」

「そのとおりだ。宇宙服のような特殊な装備の下に着るためのスーツだ。ん、どうした?」

ホークショットは、月美の怪訝そうな顔に気づいた。

「不満タラタラって顔だね。月に呼ばれてレオタードを作るとは思ってもみなかったか?」

「いえ、そういうわけでは……」
 月美は言った。
「ただ、なんで私が呼ばれたのかがわからなくて。自分の研究分野からかけ離れています。」

「それを今から説明する。」
 ホークショットは続けた。
「インナースーツとは言ったが、私らはこれをパワードスーツと呼んでいる。体の動きをセンサーで感知し、人工筋肉を収縮させることで、使用者の活動をサポートする。このスーツには、無重力生活で筋肉がおとろえた『宇宙帰り』にも悠々と登山させるほどの力がある。ただ……」

「ただ?」

「これにちょっとした目玉機能をつけたくってな。」

「目玉ですか……」

「どれ、ちょっくら実演してみようかね。そのほうがあんたもわかりやすいだろう。」

いかにも今しがた思い立ったかのような言い草だけど、それから一連の催しを見れば、ホークショットが前から構想を練りあげていたのは明らかだった。

ホークショットはワークベンチのそばに立ち、手を二回パンパンと叩いた。
とたんにトランペットやドラムロールの楽しげな演奏が流れた。

月美はワークベンチにふりかえり、半ば唖然としながら台の中央に見入った。
なんとなれば、タキシードでめかしこんだ粗茶二号が現れ、月美に向かって手をふっていたからだ。

スイングするスポットライトの中で三日月のような弧を描いて移動し、粗茶二号は月美の前までやってきた。
そらから深々とお辞儀をした。
もちろん曲げるような腰は持ち合わせていない……というより下半身そのものがないので、シーソーを縦にしたようにボディ全体が傾いただけだった。

「何やってるんだ?」
 月美は拍手をしながら尋ねた。

「お手伝いだよ。」
 粗茶二号は答えた。

それからホークショットの正面まで移動して、彼女とはいくらか距離を置いて位置についた。
粗茶の手には、白い手袋がはめられていた。

「さて、ここに取りだしたのは……」
 今度はホークショットが月美の注意をひく番だった。
「なんの変哲もないチェスの駒だ。」

見ると、確かにホークショットの手の平に黒のポーンが立っていた。
どこから取り出したというわけでもなく、急にパッと現れたのだった。
いいかげん月美も仮想空間に慣れたころなので、それが実在しないコマだというのはすぐにわかった。

ポーンを高々と掲げて月美に見せつけると、ホークショットはそのままふりかぶって投げつけた。
粗茶二号にむかけて、まっすぐと。

ポーンはまったく見当違いの軌道をとって、はるか後方の壁に向かって飛んでいった。
それは粗茶二号のはるか頭上を行くかと思えたけれど、その暴投を予見していたかのように、すばやく上昇してなんなくポーンをキャッチしてみせた。

いや、キャッチしたというのもあまり正確ではない。
ポーンは粗茶二号の手に触れるか触れないうちにピタリと静止して空宙に留まった。

粗茶二号もポーンを掲げてみせた。
ただし手の平に直接立っているわけではなく、その少し上に浮かんでいた。
粗茶は、手袋とポーンの隙間に反対の手を滑らせて入れてみたけれど、ポーンは落ちることなくそのまま静止し続けた。

どこからともなく観衆のおどろきと拍手が鳴り響き、楽団の演奏の中にシンバルの音も混じった。

「そうれ、もういっちょ!」

ホークショットがまたチェスの駒を投げつけた。
今度は白のポーンだった。
さっきよりもいくらかマシのようだけど、それでもチェスの駒は逸れた。

粗茶は急いで黒のポーンを左手に移し、右手をさっと横に伸ばした。
白のポーンはちょうど腕が伸び切った先で、宙に浮いたまま固まった。
もう少しで取りそこねるところだった。
姿なき観衆から息を呑む声が聞こえた。

「まだまだあるよ!」

自分のコントロールに対してどうしてそんなに自信を持てるのかは心底ナゾだけど、ホークショットはためらわず駒を投げきった。
キング、ビショップ、ナイト、ルーク、それからクイーン……
白、黒、あわせて三十二個の駒が宙を舞った。
ひとつとして取りやすい位置には飛ばなかった。
駒が放り出されるたびに、粗茶はあっちに行ったりこっちに行ったりで大忙しだった。
そんな様子を月美は、姿なき観衆といっしょにハラハラ見守るのだった。

最後に黒のクイーンを受け取ると、粗茶二号は得意げな表情で左手へと収めた。
駒はいつのまにか整然と並べられていて、黒の陣営と白の陣営にわかれ、おのおの隊列を維持しながら左手の上でゆっくりと回転していた。
チェス盤の配置が完成していた。
フィナーレだ。
楽団の演奏は大いに盛り上がり、観衆も拍手喝采だった。
月美も手を叩いてかわいい電脳秘書に賛辞をおくった。

粗茶二号は最後にもう一度お辞儀をすると、お役目御免! とばかりにチェスの駒とともに仮想空間から消え去った。

「月美、あんた、上野の博物館でこんな風に公演をしていたよな。」
 ホークショットが言った。

「はい。とても好評でした。でもなんで知ってるんですか?」

「じつは私もその公演を見ていたんだ。」

「はあ……まったく気づきませんでした。なんでその時声をかけてくれなかったんですか?」

「かけたけど、あんた二日酔いで朦朧としてたじゃないか。」

「そうでした。」
 月美は照れながら頭をかいた。
 なるほど、記憶がまるごと吹き飛んでいたわけか。

「月美、あんたの専門はなんだ?」

「超伝導体と磁場コントロールシステムの応用研究です。」

「そのナンチャラってのをこいつにも応用してほしい。今のと同じことをパワードスーツでも実際にできるようにするんだ。」

「なにを言っているんですか?」
 月美はおどろいた。
「あれは机のように大きなものを磁場の発生装置に改造しただけです。それを、こんな小さなスーツの……しかもグローブに仕込むだなんて……」

「月美。あたしは、あんたならできると思ったから、あんたを呼んだんだ。それにあんたにしかできないとも思っている。やるか地球に降りるかのどちらかだ。無理だなんてのたまうヤツに月にいる資格はないよ。」

「私にしかできない……」

「そうだ。」
 ホークショットはうなずいた。

その言葉は月美に響いた。
ここにいてはダメだという予感はまだ大きいけれど、それでもうれしく思えた。
そんなことを言われたのは生まれて始めてだったからだ。

「」
 わかりました。
「月美は静かに言った。」

「よし!」
 ホークショットが声を張りあげた。
 それから両手をあわせパンと一回だけ拍手した。
「仕事の説明もすんだところで仲間の紹介といこうか。」

ホークショットの合図に合わせ、部屋の反対から人影があらわれた。
どうやらワークベンチの向こうに隠れていたらしい。
男女ひとりづつ、合わせてふたつの人影が、うんざりした様子でこちらに歩いてきた。
背の低い女と体の大きな男だった。

女の方は肌が浅黒く、東南アジア系のようだった。
大きなメガネをかけていて、目が痛くなるほどの金色で根本から髪を染めている。
月美よりもいくらか若そうだ。

男の方は巨漢で色白だった。
月美よりも年上のようだ。
おなじくアジア系のようだけど、見た目だけでは出身地がよくわからない。

ふたりともホークショットと同じく研究所の備えつけの白衣を着ている。

「話、終わった?」
 女の方が言った。

「もしかしてずっとあそこに隠れていたのか?」
 月美はおどろいて言った。

「そうだよ。あんたの目の前にいる人の命令でね。」

「なにごとも演出が大事なんだ。」
 ホークショットは言った。
「さあ互いの紹介といこう。あたしが副社長のホークショットだ。社長はアルジャーノン。もう会ってるよな? そしてこっちのふたりがルナ・エスケープの誇る優秀な社員だ。」

「パワードスーツ開発統括部長のブッサバー・バンチョンマニーだよ。」
 女の方が言った。
「呼びやすいという理由だけで、みんなからはマニーって呼ばれてる。」

「駆動装置開発主任のハッパリアスだ。」
 男が言った。

「今日入社した西大寺月美です。」
 月美はふたりと握手した。
「私にも役職ある?」

「どうせ五人しかいない会社だ。」
 ホークショットが言った。
「好きに名乗ればいい。『使いっ走り』とか、『役立たず』とか。」

月美が月面ラボにやってきて一ヶ月が経った。

月美は、朝起きて月面マグレブの発着場の地下車庫へと向かった。
今日は週に一度の食料配達だ。
ほとんどが缶詰や旧式の宇宙食、栄養補給用のサプリメントだけど、貴重な生野菜や卵、肉類もいっしょに配達される日だ。

夜遅くまで仕事をしていたのでまだ眠かった。
でもこの作業を遅らせるわけにはいかない。
こんな僻地にあっては、いかなる補給物資も月美たちの命綱だ。
早めに回収して足りないものがないか確認するのがルールだった。

「ピッキングロボットはないのかな?」
 重力が軽いので重労働というほどではないけれど、山盛りの積荷を載せた台車を押しながら月美はグチをこぼした。
「ほら、倉庫から荷物を運んでくれるロボットだよ。」

「そんな予算はないよ!」
 粗茶二号がホークショットのマネをしながら言った。
「少しでも多く運動するんだ。宇宙ではみんな運動不足になるんだから。」

「運動ならしているよ。」
 月美はブツクサ言い返した。
「重たいブーツを履いて研究所の廊下を五〇周したり、一二〇キロのバーベルを持ち上げたり。最初は楽しかったけど、もう飽きちゃった。せめて月面都市のジムに行きたいな。最新の仮想空間でランニングができるらしいんだ。異世界で竜に追われながら走るってもっぱらの評判だ。きっとすごいんだろうな。」

カフェテリア中央の調理台で月美が卵を割っていると、犬さながらの欠伸をしながらハッパリアスがやってきた。
白衣を着たままでひげもそってもいない。
たぶん徹夜明けなのだろう。

「他のねぼすけも起こしてくるように」と月美は指示をした。

「俺に指図するのか?」
 ハッパリアスはイライラしながら言った。

「あんたの分だけベーコンエッグを黒焦げにするよ。」
 月美は言った。

ハッパリアスは引き返してまだ半分寝ているマニーを引きずってきた。

朝食は月美がつくっていた。
ほんとうは順番交代の当番制なのだけど、月美はいつも率先して引き受けている。
とくに食料配給の日は、必ず月美が朝食を用意した。

なにしろここの連中ときたら、料理をするという習慣がそもそもない。
雑にカットしたハムと完璧に乾いたレタスをパンに挟めば立派なサンドイッチだと思っているし、煮豆の缶詰を皿にあければこれがスープだと言い張った。
こんな連中に新鮮な食材をまかせることはできない。
卵を焦がさず焼けるというだけで、月美は宮廷のおかかえ料理番にでもなった気分だった。

「今日は茹でたエビとアボガドのサラダに特性のドレッシングがつくんだね。朝から手が混んでるじゃないか。」
 粗茶二号が調理台の横で感心した。

「このレシピはホークショット教授のお気に入りさ。」
 月美は切り分けたばかりのアボガドにレモンを絞りながら言った。

「やけに気を使うんだね?」

「仕事があまりうまくいってなくてね。」
 月美はレモン果汁の残りを力の限り絞り出した。
「教授にはできるだけごきげんでいてほしいんだ。」

「昨日は怒られたもんね。」
 粗茶二号が気の毒そうな表情をしてみせた。

昨日怒られたばかりなのに、また今日も怒られるかもしれないと思うとほんとにうんざりだった。
月美は、パワードスーツ用のグローブの開発をしていた。
超伝導体を浮遊させ操るための機能をつくるのが月美の任務だった。

最近やっと試作の段階になった。
それは、つくったものをテストして、失敗して、怒られるを繰り返す日々の始まりでもあった。

昨日のテストはとくにひどかった。
なにしろ一昨日と結果がまったく同じなのだ。
一昨日の結果というのは、つまりこういうことだ。
超伝導体を仕込んだバッグを試作品のグローブで浮遊させてみた。
けれどホークショットがその中にリンゴを一個いれるだけで、バッグはストンと落ちてしまった。
床に転がったリンゴをひろうと、月美のせいで貴重な食材がいたんだとホークショットは言ってのけた。

思えば大学生だったころもよくホークショットに怒られたものだ。
あの頃は毎日吐きそうな気分だったし、事実吐き出すこともよくあった。
まったく懐かしくない学生生活がまさかこんなところで再来するだなんてと、月美はうなだれるばかりだ。

ちょうどそのとき、水の流れる音がしたと思ったら、トイレからホークショットが出てきた。
全員がそろうと、月美は四人分の食事とコーヒーを月の砂漠が見える窓際のテーブルに並べた。

「新鮮な食べ物がこんなにもありがたいものだなんて。」
 ベーコンエッグとトースト、色とりどりのベリー・ジャムとピーナツバター、エビとアボガドのサラダとフルーツ、牛乳とコーヒー、熱いスープの並んだ食卓を眺めて月美はしみじみと言った。

「月面都市なら卵くらい毎日食えるけどな。」
 ベーコンエッグの上に大量のケチャップをかけながらハッパリアスが言った。

「だったらこんなところにこもるのやめて街に行きましょうよ?」
 月美はホークショットに目配せをした。

「月面都市の賃料はここの二千倍だ。」
 ホークショットがブドウを皮と種ごと食べながら言った。

「せめてタバコすいたい。」

「タバコは月面都市でだって吸えないよ。あきらめな。」

「月美、あんたは疲れてるんだ。」
 マニーがサラダとマヨネーズを混ぜながら哀れっぽく言った。
「ムリないね。こんな辺鄙なところじゃ。」

「このままだと、タバコを買いに無意識のまま外に出ちまうな。」
 ハッパリアスが言った。
「夢遊病患者みたいに。」

月美は冗談を笑う元気もなかった。

「やめろやめろ。中年のわがままなんて聞きたかないね。」
 ホークショットが言った。

同感だと月美も思った。

「おい、おもしろいニュースをやってるぞ。こいつを見てみろよ。」

ハッパリアスがとつぜん言ったので、全員そちらを見た。
月美が粗茶二号に合図をすると、仮想空間にニュース映像が流れた。

宇宙の貨物船がラグランジュの港から発進するのが映った。
貨物船にはルナスケープ社のロゴ……黄金の大地に青い星の浮かぶ絵が映しだされていた。

まるで目の前から船が出港するようだった。
仮想空間ではただのニュースでも映画のように迫力がある。
おどろきのあまり、ピーナツバターのトーストを落とすことさえしばしばだ。

月のローカル局の報道番組「月面ニュース・アンド・ウェザー」だった。

月の輸送船の交信が途絶えてから丸一日が経ちました。
輸送船は完全に消息をたち、いまだ発見されていません。
コズミックライン七十三便、ルナスケープ三〇七型機は昨日未明に地球衛星軌道のラグランジュ城を出発したのち、宇宙標準時の午前五時より交信が途絶えました。
交信の途絶えた付近およびその航路を軌道警察や無人探査機が捜索を行っておりますが、いまだ行方不明機を捉えてはいません。
輸送船は建築資材を運搬する自動輸送機で、人は搭乗していていませんでした。
いまのところ地球および月に墜落する可能性はないとのことです。

インタビューに答えるスーツの黒人の男が映し出された。
ルナスケープの関係者だろうか? 
不思議とどこかで会ったような気がした。

自動運行システムの誤作動が疑われている三〇七型機ですが、ルナスケープ社は原因の特定に至っていません。
ネルソン社長は、本日中に社外の専門家も混じえた調査委員会を発足すると声明を出し……

男が南アフリカ国旗のネクタイをしているのを見て、月美は「あっ」と声をあげた。

「どうした?」
 ハッパリアスが尋ねた。

「このおっさん、会ったことがある。飛行機で隣の席に座ってた人だ。ルナスケープの社長だったんだ。」

「おいおい……」
 ホークショットが呆れながら言った。
「あんた、ルナスケープ社に就職するつもりで月に来たんだろ? その勤め先の社長の顔も知らなかったのか?」

「事故といっても人死にが出たわけじゃないだろ。」
 月美はホークショットを無視して続けた。
「わざわざこんなお偉いさんが出張ってくるようなことなのか?」

「まあ、船がまるごと行方不明になったわけだからね。」
 マニーが言った。
「そんなの宇宙開拓史始まって以来だ。とくにルナスケープの自動運行システムは何十年もアップデートを重ねてつくりあげた安全、安心、安定の自信作さね。それだけに神経過敏になってるんだろうさ。信用の失墜は、ルナスケープに限らず全宇宙産業にとって命取りだ。」

「自動運行の舵取りは、ハルル型の人工知能がやってるんだろ?」
 ホークショットが言った。
「誤作動ならログをあらえば記録が見つかるんじゃないか? 原因もすぐわかるはずだ。」

「人工知能がログを消したって可能性もあるぜ。自分がバグっていると認めたくないがためにな。」
 ハッパリアスが言った。

「あんた、映画の見すぎだよ。」
 マニーが言った。
「人工知能といっても命令されたこと以外のことはできないだ。」

「故障じゃなくて、乗っ取られたってうわさだぜ。」

「それじゃどっちにしろ人工知能の欠陥とも言える。」
 ホークショットが言った。
「ユエのやつも今頃てんやわんやだろう。いい気味だ。」

「なんでユエが出てくるんですか?」
 月美はたずねた。

「ユエが現行の人工知能の生みの親だからだよ。」
 マニーが答えた。

「ホントですか?」
 月美は驚いた。

「本当だ。」
 ホークショットはうなずいた。
「あいつがハルルってのと話しているのをあんたも見ただろう。ハルルはすべての人工知能の祖と言われる人工知能で、ユエとその師匠が開発したものだ。我々が電脳秘書と呼んでいるものはすべてそいつの亜種にすぎない。」

「すごい。」
 月美は感心して言った。
「あんなに若いのに……」

「ああ、すごい。月でも一流の有名人だ。ひがむなよ。」

「ひがんでなんかいません。」

「自分より若い人間が自分よりはるかに成功しているの見て焦る気持ちはわかる。その上あいつはあんたが入社を希望していた会社の人間だ。だけど比較したってしかたないだろう?」

「はっきり言わないでください。」

「やっぱり気にしてるじゃないか。」
 ホークショットは笑った。
「事件の原因がハルルかどうかわからんが、いずれにしろルナスケープの天下は変わらないだろう。無人有人とわず、毎年何千もの宇宙船を迅速かつ格安で運行してきたんだ。まったく事故を起こすことなく。少なくとも昨日までは……」

ホークショットがまとめあげた。
それが毎朝恒例のニュース談義の終わりの合図だった。

「全員さっさと朝食をかっこみな。片付けたらすぐにでもミーティングを始めるよ。月美、今日はちったぁマシな報告がきけるんだろうね。」

月美はぎくりとなって口からトマトをこぼした。

「あ、いや……」

「『あ、いや』? ずいぶん変わった報告だね。あとで詳しく聞くのが楽しみだ。」
 ホークショットはエビにフォークを刺しながら月美を睨んだ。
「朝食を作ったくらいであたしが優しくなると思うなよ。」

月美は本当に「あ、いや」以上に報告できることがなかった。
できたことと言えば、ミーティングを少しでも先伸しにできるようにゆっくりと食べることくらいだった。


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