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月面ラジオ { 11: "手作り望遠鏡(3)" }

あらすじ: (1) 30代のおばさんが、宇宙飛行士になった初恋の人を追いかけて月までストーカーに行きます。 (2) 変な男の子ふたりと出会った月美は、望遠鏡を作ることになりました。

{ 第1章, 前回: 第10章 }

こんな夏休み、月美にとって最初で最後だったけれど、その年の夏休みはすべて「望遠鏡の制作」に捧げられた。

最初の二日間は設計作業だ。
担当の子安くんは、徹夜で考えた図面を机の上に拡げ、彦丸とああだこうだと話しあった。
その間、月美は図書館や工場の資料室で必要な資料をかき集めていた。

その設計を元に、彦丸が詳細なスケジュールをたてた。
詳細なのはいいけれど、予定がギチギチで子安くんから文句が噴出した。

「一日十八時間働けってか?」

ガレージの壁をたたきつけるような声で子安くんがきれた。
徹夜明けで機嫌も良くないようだ。

「もし……もしもだよ?」
 彦丸は注意深く切りだした。
「望遠鏡の制作をしていなかったとしよう。一日のうち十八時間を僕たちはどんな風に使っていたと思う?」

「毎日ヘトヘトになるまで遊び倒すかな。」
 子安くんは答えた。

「だったら毎日ヘトヘトになるまで働けるはずだ。つべこべ言わず、まずはやるんだ。僕たちならできる。」

それから毎日ほんとうにヘトヘトになるまで望遠鏡づくりに勤しんだ。
朝食を済ませたら工場のガレージに集合。
掃除をしたら、作業開始だ。
町工場から調達した材料と工具をとりだし、設計図通りに切り出し、ヤスリをかけるという工程からはじまった。
最初のうち月美は、延々とヤスリがけをさせられた。

つまらなかった。
遊ぶ時間さえなく、自分の夏休みは本当にこれでいいのかと、児童相談所に電話したいくらいだった。
けれど、友だちからの誘いを泣きながら断っているうちに声もかけられなくなり、頭の中で描いた「楽しきかな、夏休み」なんてものはいつしかあきらめていた。

そのうち楽しみは昼食だけになった。
老舗旅館の板前である彦丸じいさん特性の「クラブハウスサンドとキッシュ、夏野菜ピクルス添えランチボックス」がそれだ。
このランチボックスがなければ、月美の心は早晩折れていたかもしれない。

お昼は工場の食堂におじゃまして、お父さんや工員たちと食事をした。
子安くんは工員たちに積極的に話しかけて研磨の作業について聞き出していた。
そのうち工員たちが面白がってガレージに集まるようになり、いろいろアドバイスをくれた。
工作好きの子安くんにとって、この世の春のようなひと時だったろう。

もちろんずっとガレージに引きこもっていたわけじゃない。
横浜の天体望遠鏡の専門店へ出かけ、そこに居座って有名メーカーの望遠鏡を観察することが一度だけあった。
彦丸たちとの初の遠出で、その日は息抜きに遊ぶ時間もあると期待していた。
でも、「用事をすませたら遊ぶ」という発想が彦丸にはなかった。

「スケジュールが詰まっているんだ。」

「元町中華街まで足を伸ばそう」という月美の提案は一蹴された。
ハタ迷惑な望遠鏡見学会が終ったら、そのままトンボ返りだった。
そして、午後から望遠鏡の制作を再開するのだった。

製造も本格的になると、自分たちだけでは作れない部品が出てきた。
だからお父さんに頼んで加工を手伝ってもらったり、近所の町工場を紹介してもらい、そこで専用の器具を借りることもあった。

月美は、小さな鏡を任せてもらえた。
主鏡ではないけれど、星の像を反射させる大切な部品だ。
大切な仕事を彦丸がまかせてくれて、素直にうれしかった。
退屈だったヤスリがけの作業だって、やっているうちに夢中になっていることに気づいた。

一方で苦労したのは子安くんだった。
子安くんは、「主鏡の表面加工」をしていた。
なめらかな鏡に見えても、ナノメートルの単位で計測すれば、表面にかなりザラつきがあるようだ。
鏡面の凸凹が少ないほどたくさんの星の光を集められるようになる。

手作りだと思えば、それは十分に合格点だった。
けれど、彦丸も子安くんも決して満足せず、何度でも磨き直した。
そして丸々一ヶ月かけて、満足のいく主鏡をつくりあげた。

工場で磨いたガラスにアルミニウム・メッキのコーティングしてもらった。
このコーティング工程を経て鏡は完成する。

コーティング用の水槽からピカピカの主鏡を取り出した時、三人は涙がこぼれそうだった。
そんな三人を影から見守っていたお父さんは普通に泣いていた。

そんなこんなで望遠鏡が完成した。
夏休みの終わる一日前だった。

望遠鏡が完成したその日のうちに、月美たちはお礼参りをした。

彦丸のお爺さんが趣味で作っているバタークッキーとチョコレートクッキーを袋づめにして、関係者全員に配ったのだ。
もちろん、材料と工具を貸してくれた町工場にも配りに行った。

お礼が終わったら、いよいよ観測だ。

彦丸は、天文台へ運ぶために望遠鏡を解体した。
月美が写真をとろうとしていたのに、望遠鏡はいつの間にかバラバラになっていた。
完成品の前で記念撮影だなんて、彦丸にとって何の意味もない儀式らしい。
ひと夏かけて彦丸の性格を把握した月美は、とくに文句を言うこともなかった。

山で天体観測をするということは、夜にキャンプをすることでもある。
前に両親の逆鱗にふれたのを思い出しながら、月美は父さんに許可を求めた。

おどろくことに許可はあっさり出た。
彦丸と子安くんのことを気に入ったお父さん(養子にすると言ってはばからないほどだ)は、無条件で許可してくれた。
一方で、月美より驚いたのはお母さんだった。
お母さんは、外泊についてどうこう言うことはなかった。
けれど、お父さんが娘を男の子と外泊させることに驚き、神経内科を勧めたほどだ。

心苦しいことがひとつあるとすれば、廃虚にあがりこんで寝泊まりすることを伝えなかったことだ。
心苦しかったけど、やっぱり言えなかった。

夏休み最後の日がやってきた。

ひさしぶりの天文台だった。
彦丸と子安くんと出会ってからもう一ヶ月が経ったのだ。

濃密な夏休みだった。
だからなのかもしれない。
頂のドームを山腹から見上げると、懐かしさが込みあがってきた。
前はお化け屋敷のように見えた天文台も、今では長い旅から戻った時の家のようだ。

最後の斜面を一気に登り、月美たちは天文台に入った。
まだ朝の七時だった。
持参したおむすびを食べると、さっそく作業に取り掛かった。

まずは新しい望遠鏡を地下室にしまった。
次に掃除をして、夕食の下ごしらえを済ませた。
最後に、講義室でこれからのことを話し合った。

彦丸は「天文台再生計画」について本格的な案をぶちあげた。
私たちが生まれる前に廃墟となったドームを修繕し、天体観測を再びできるようにするのだ。
彦丸は、秋からこの計画に着手するつもりらしい。

夕方になれば、空っぽの駐車場でバーベキューだ。
彦丸じいさんのタレと季節のハーブで漬けこんだ「羊のリブ」が、メニューの中に加わっていた。

「冬休みになったら観測旅行に出かけよう。」

あらかた食料を食べつくし、山積みになった鉄串や骨を満足そうに見下ろしながら子安くんが提案した。

「山や森でキャンプをして、星を観測するんだ。船で南の島にも出かけたいな。ここからじゃ観測できない星を見たいんだ。」

「いいね、楽しそうだ。」
 彦丸が賛同した。

月美は、その旅行が楽しみでしかたなかった。

あたりが群青の帳に包まれた。
太陽が山の向こうに沈み、天体観測の時間がやってきた。
勇み足で望遠鏡を組立てると、月美たちはその出来を堪能した。
子安くんの言葉を借りればそれは「上出来」だったし、彦丸のを借りれば「予定通りの性能」だった。

月美にとっては、「感動そのもの」だった。
土星の輪の間隙まで観測できて、月美はしばらく望遠鏡から離れられなかった。

「土星の輪は氷の塊なんだ。」
 と、子安くんが教えてくれた。

今夜は満月が少し欠けた頃で、星の観測には不向きだった。
それでも惑星ははっきり見えたし、肉眼では見えない星も観測できた。

「これならいけそうだな。」
 彦丸が言った。
「あとはソニア彗星だけだ。それが観測できれば目標達成だ。一週間もすれば姿をあらわすだろう。せっかくだし、彗星の軌道を計算してみたいな。彗星がどこを流れていくか予測するんだ。」

「いいね、楽しそうだ。」
 子安くんが言った。

ほんとうに楽しい時間だった。
楽しい時間ほど早く過ぎると知った瞬間でもあった。
夜は走り去るように更けていく。

気がつくと真夜中だった。

月美はソファーの上で突然目ざめた。
あたりは暗く、子安くんの寝息が聞こえるまで月美はここがどこだか思い出せなかった。

「そっか……天文台に戻ってきたんだ……それからおしゃべりして……お菓子を食べて……」

月美は眠気まなこだったけど、立ち込める蚊取り線香が意識を覚醒させていった。

「いつの間に寝たんだろう……楽しかったのに……」

ふと、部屋に光がさした。
それは綿のように仄かな色だった。
見上げると、天井ドームの隙間から月が姿を見せていた。

月は世界でもっとも大きな宝物だと月美は思った。
大きすぎて、見上げることはできても、誰も手にできない。
表面の模様を覚えてしまうくらい望遠鏡で拝み倒したはずなのに、月美は天文台から見る月に心を奪われた。

「あれ……彦丸は?」

彦丸がいなくなっていた。
天文台には、寝袋に身を包んだ子安くんだけだった。

ソファーから起きあがり、月美はカバンの中を探った。
懐中電灯を取りだすと、床を照らして靴を履きなおした。
それから恐る恐る歩きはじめた。

屋上のドームから出て、階下のフロアまでおりた。
ひとりになると、ここは廃虚だと思い出す。
階段は、奈落の石段のようだった。
闇はまぶたを閉じたときよりも暗く、無音の静寂に耳を塞ぎたくなる。
ホラー映画に出てくる夜の病院の方がまだ楽しげだ。
病院ならせめて非常灯くらいはあるだろうし、何かしら「動くもの」だってあるはずだ。
でもここには命を感じさせるものはない。
月美は、死んだ建物の中にいるのだ。

月美は急いで一階まで下りた。
吹き抜けの玄関ホールは、ガラス戸から光がさしこんで、明るかった。

月美はガラス戸に駆けよった。
屋外に見えるのは、月に照らされた駐車場、それと小さな人影だ。

「いた……彦丸だ。」

ひとりで夜空を見上げている。

「ねえ。何をしているの?」

駐車場の真ん中にいた彦丸に月美は駆けよった。
さっきまでバーベキューと天体観測をしていた場所だった。

欠け始めの月は天頂にのぼり、その周りで幾つもの星がまたたいていた。
昼は夏の虫だらけだったのに、夜は秋の虫の音が響いている。

「夜空を見上げているだけだ。」
 彦丸は言った。
「用を足しに来たついでにね。」

「月、大きいね。」

「そりゃそうさ。衛星なんだから。」

「ロマンチックって言葉知ってる?」
 月美は言った。

「調べとく。」
 彦丸は答えた。

沈黙が訪れた。
そういえば、はじめて彦丸と話した時もこんな風だった。
ふたりとも、何を話せばいいのか分からず黙っていた。
月美はそのことを思い出した。

あのときは彦丸から口を開いた。
けれど今夜は月美から口を開くことにした。

「どうしていつも星ばかり見ているの?」

「足元に興味がない。宇宙だけをみつめていたい。」

「彦丸のほしいモノって、星と関係があるの?」

「なんのこと?」
 彦丸は首をもたげた。

「言ってたよね? 『欲しいものがある。でもそれはこの世にないから自分で作るんだ』って。望遠鏡作りはそのための練習なんだって。」

「船と港だよ。遠くへ行くための船。それと船を停めておくための港だ。」

「ただの船や港じゃないってこと?」

「『遠く』ってのは、宇宙の彼方って意味だ。僕は誰よりも遠くにいくんだ。だからそのための船を手に入れる。」

「どうして『遠く』なの? 星はここからでも見えるのに。」

「いや、見えないよ……ここからじゃどうしてもアレは見つからないんだ。」

「見つからないって? 何を言っているの?」

「ああ、ごめん……何を言っているかわからないよね。まあ……」
 彦丸は肩をすくめた。
「わからなくてもいいんだけど……」

「聞かせてよ。」
 月美は間髪おかず言った。
 彦丸のことならなんでも聞きたい。

「そうだな……」

彦丸は月美を見つめながら言った。
見つめるというよりも、瞳の奥をの覗きこむかのようだった。
月美は顔が真っ赤になったけれど、夜なのできっとわからかったはずだ。

「きかっけは、両親が交通事故で死んだ時なんだ。」

彦丸が月美から視線を外した。
それから淡々と……両親との死別は何でもないことと言わんばかりに……話しを続けた。

「ふたりは外国で死んだ。もう一年前のことだ。僕と両親は、そのころ北米に住んでいた。父さんの仕事の都合で、カナダやアメリカを点々としていたんだ。おんなじ街に一年以上滞在することはなかったな。僕はいつも旅をしている気分だった。」

「へぇ……」

「事故が起きたのは、国立公園からの帰り道だった。休暇をとって、家族で旅行をしていたんだ。国立公園は大きかったな。世界にこんなに広い場所があるんだなと思ったよ。車の中からバッファローの群れを見れてとても楽しかった。問題は、公園が広すぎることだった。一番近くの街に帰るにしても、車で十三時間くらいかかるんだ。だから父さんは、夜も運転をしなくちゃならなかった。帰り道は荒野の国道をひたすらまっすぐ突きぬけていた。すると、父さんが『星が見える』って言ったんだ。」

「車の窓から顔を出すと、確かにたくさんの星が輝いていたよ。月のない夜で、街の光もないから、写真や絵で見るような夜空だった。ふたりとも都会育ちで、星をまともに見たことがなかった。『きれいだ』ってとても興奮していた。バッファローの群れを見つけた時よりもね。詳しくないくせに、父さんは星座や惑星について語っていたよ。その時、父さんと母さんが『あの星を見てごらん』って僕に言ったんだ。ふたりはフロントウィンドウから夜空を見上げていたよ。」

「その頃の僕は、星なんて興味なかった。正直、迷惑だったよ。疲れていたし、眠たかった。僕はふたりのことを無視した。そのとき、事故が起きたんだ。何が起こったのかわからなかった。目覚めたら病院にいたからね。あとから聞いた話だと、別の車に衝突したらしい。」

「父さんも母さんも同じ病院にいたけど、もう死んでいたよ。」

「あの日、ふたりが何を見ていたのかを知りたい。父さんと母さんはにいったいどの星を見ていたんだろう。」

彦丸は静かな声だった。
月美はひと言もはさむことなく、彦丸の話に聞きいった。

「でもここからじゃ見えそうにない。答えは永久にわからないままだ。」
 静かな、それでいて芯のある声だった。
「僕は、ここより星がきれいな場所に行きたいんだ。」

「星がきれいな場所?」
 月美は首をかしげた。

「いちばん星が見える場所は宇宙だ。山でも、海でも、砂漠でもない。僕は将来、宇宙で暮らすつもりだ。知ってるかい? いま、月面で大きな開発がはじまっている。たくさんの人が月に移住して、そこに街を作るんだ。僕も開拓者のひとりになって、月の海にタワー・ビルを建てるつもりだ。」

「暮らすだけじゃない。」
 彦丸は続けた。
「月で宇宙船を作って、いつか銀河中を旅をしてみせる。ふたりの命を奪った星をこの目で見るために。」

彦丸は、月と星々に取り憑かれていた。
宇宙よりも魅力的なものはこの世にないと言い切るほどに。

そんな彦丸に月美は心から惹かれるようになる。
月美の人生が泥沼にはまった瞬間だった。
宇宙を見つめる変わり者をこちらにふり向かせる。
たったそれだけのためだけに、月美は青春のすべてを捧げることになる。


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