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「答え合わせ、からの自由」/2.15自由人博覧会vol.7レポート


◎私の密かな裏テーマ「答え合わせ、からの自由」

『かなみんの呼びたい人を呼ぼう』

リベルタ学舎でのイベント広報のお仕事は、そんなスタートだったような気がする。
私は、去年の秋ごろから湯川カナさんが代表を務める一般社団法人リベルタ学舎で広報支援の仕事をしている。
《自分の名前でなりわいをつくろう》そんなコンセプトのリベルタ学舎が運営する<未来なりわいカンパニー>というみんなで未来のなりわいをつくるためのトライアルエラーをするコミュニティで、イベント運営や広報関係を学びながら実験している。
実際には湯川さんがゲストを決めて、素敵な告知文を書いてくださるのだけど、
“このゲストにイベントをしてもらうなら、どんなタイトルとテーマでお話をしてもらおう?”
と、ゲストの記事を見たり調べながら、密かにそんなことに胸を膨らます時間は最高に悩ましくワクワクする。

はっぴーの家の首藤さんには、<コミュニティ、からの自由>
度直球の聞きたかったテーマ。
そして今回のゲストは小池陽人さん。大本山須磨寺副住職。噂に聞くイケメン僧侶…

「自由人博覧会」というお坊さんとは一見、縁遠いようなイベントでどんなテーマでお話をしてもらおう。
実は、宗教との関わりにはちょっとトラウマがあった。
大学時代の元カレは宗教家の一族だった。
THE恋愛依存な私には優しくて頼りになる彼が“私のためを想って言う”もっともらしいアドバイスが心の支えだった。
でも、どんなに頑張っても私は同じように彼が信じるものが信じられなかった。
『みんな違って、みんな良い』そんなメッセージを謳いながら、自分達と違う意見や主張、宗派を痛烈に批判する姿勢も。
私の気持ちよりも家族を優先する生き方も。

そんな彼と別れたタイミングで、無事‟仕事が人生“のような社畜生活が始まったおかげで、私は随分自立ができるようになったと思う。
(そして今は‟俺のことなんて期待しないで~“”勝ち負けにこだわるなんて無駄なエネルギーだよ〜。“っていう旦那さんと平和で穏やかに暮らしている)

話しを戻すと、そんな過去から、宗教への理解について人一倍努力をしようとして、でも「‟(宗教的な)信じる“とは、絶対的で己の正しさに揺るがない心=正義を持っている」なのかもしれない、と、私にはちょっとした超えられない壁を感じるようになった。
だったら・・・

<正しさ、からの自由>

しっくりこない。
だって、小池さんのどの記事や動画を見ても、絶対的な善悪について問うようなことや、正義を振りかざして他者を攻撃するような姿は一度もなかったから。
むしろ、とても辛い経験をされた方に対して、「こんな辛い思いをされた方にかける言葉が思いうかばなくて一緒に〜」という場面が何度もでてくる。どんな人にも寄り添い、マザーテレサのように仁愛を捧げ、決して何かを押し付けることはなく、説き伏せるようなことは一切感じられない。
時にはユーモアを混ぜながら、血塗れで太鼓を叩いていた話しや、よく耳にする親しみのある著名人に話題に触れながら、最後は仏教の教えに繋がり、”あ〜、私の悩みって何千年前から何も変わっていない。小さな頃からおばあちゃんが言ってた「仏さんの言うことを聞くんやで〜」“ってこういうことなのかと頷くばかり。
家にある自己啓発書の山なんて、この動画があればいらないんじゃないか、と思うくらい小池さんのお話しは私の心のおしぼりになっている。

「あ・・・そうか。私、ずーっと答え探しをしてきた」

悩んだら答えが欲しくって、記事を読む。本屋に行く。もっともらしいインフルエンサーと呼ばれる人達の言葉や生き方を、あたかもこれからの時代のスタンダードかのように尊重する。(まだ自分はなにも成し遂げてないのに。)

<答え合わせ、からの自由>

これが私が心の中で密にもっていた自由人博覧会のテーマ。

程なくして小池さんから”イベント に寄せて“、と告知文の中にもある紹介文を送っていただき、これを読むや否や「そう。これこれ!!」と首をぶんぶんしてた。

◎そして、イベント当日。小池陽人さんの「信じる、からの自由。」とは?

仏様の教えより先に、ドラッカーから始まる導入(Youtubeでみた感じ…!)
住職とは、十の職をする十職(じゅうしょく)だったという歴史から小池さんが大学でまちづくりを学び今のお仕事につくまでのストーリー。
『もう1度会いたい』と思う人に投票をするという今の時代のトレンドを反映しているような応援の形を作る「H-1」グランプリというユニークな取り組みに対しての仏教界からの反響に一同爆笑。
公務員や主婦、学生、フリーランス…多種多様なバックグラウンドを持つ個性豊かな参加者がどんどん引き込まれていく一体感。

この日、2月15日は、お釈迦様がお亡くなりになった日にちで「涅槃会(ねはんえ)」だそう。
お釈迦さまは最後に自灯明・法灯明という言葉を残されたそうです。

「私の亡きあとは、私ではなく自分自身をより所として、また私が伝えた教えを、闇を照らすともしびとして、歩んでゆきなさい」

自灯明は、自らを灯として信じ、法灯明とは、お釈迦様の教えのことを灯として信じるということ。
法だけじゃなく、法が先ではなく、自から始まるこの2つの言葉に、<信じる、からの自由>が見えてきた感じがした。

さらに小池さんは、ヘルマン・ヘッセ『シッダールタ』から2つのことをお話してくれました。

「知識は伝えることができるが、知恵は伝えることができない。
知恵を語り教えることはできない。」
「探り求めるために見いだすに至らないのだ。
探り求めると、その人の目が探り求めるものだけを見る、ということになりやすい。探り求めるとは、目標を持つことである。
これに反し、見いだすとは、自由であること、心を開いていること、目標を持たぬことである。」

‟知恵”とは自分で経験したことからわかる、「胃でわかる」ことなんです。
と、小池さん。

「自分を信じて、今の現実を見なさい」というお釈迦さまからのメッセージには、仏法の教えだけを真実として頼りに生きるのではなく、どろどろとした完璧でも理想にも近くないありのままの自分を受け止めて、欲望の濁流を漕ぎながら得た経験を自分の知恵として、生きていきなさいという、

だって、どんなに素晴らしい教えも、誰かが教えてくれる正解をどれだけインプットして答え合わせを続けていても、自分のしんどさは変わらない。自分で経験して、アウトプットした胃でわかる真理こそが、自分の足元を灯してくれる生きる知恵なんだと思う。

誰かが言ってる何か正しい答えみたいなものを信じるのではなく、自らの経験から得た知恵を信じることが、「信じる、からの自由」なのかもしれない。

「信じる、からの自由」に湯川さんが込めた思いを感じ取った気がした。

そして、小池さんは、人生を深く生きるには"思いのまま”
生きる欲望を捨てなければ、いくらでも這い上がれる。
と教えてくださった。

なんだかぶわっと涙が溢れてきて、1人でこっそり泣いていた。
小池さんにの言葉と、自分がこれまでの人生の違和感からリベルタに辿り着いて、ここにいる不思議な奇跡のような軌跡が込み上げて、涙がほろっと落ちた。

正しいとか、間違ってるとか、そんなんじゃなくって、
欲望の濁流を渡るのは、自分自身でしかないのだ。

◎これからの時代を生き延びる知恵を高める、学びの場。それがリベルタ学舎

1年前の今頃、私は知り合いのライターさんが書かれたNewspicksこちらの記事を握りしめ、湯川さんにいつか会える日を楽しみにしていた。
そう、答えが欲しくって。。。

勝たなくても幸せになるなる方法・・・・
今なら笑っちゃうけど、あの時は「勝たなくても幸せになるHow-to」を心底求めていた。
そして、答えを求めて訪れた一般社団法人リベルタ学舎が運営する<未来のなりわい=自分の名前で生きていく仕事をつくろう>というコンセプトのコミュニティ、未来なりわいカンパニーの募集説明会で、湯川さんはこう言った。

リベルタ学舎は、これからの時代を生き延びる知恵を高める、「学び」「実験」「協働」の場です。
未来なりわいカンパニーでは、まるごとの自分で生きていきたい、自分の名前で仕事をつくりたいひとの、実験をします。
お手伝いやボランティア要りません。

知識が欲しかった私は、"どうしよう・・・”と焦りに近いドキドキが止まらなかった。
でも、やっぱり湯川さんが言うこれからの時代を生きる、「自分のの名前で仕事をする、自分丸ごとでなりわう」ための知恵とは何かを知りたくて未来なりわいカンパニーに通い続けることにした。

数ヶ月経ち、ご縁があってコ・スタディ神戸のコーディネーター、そしてリベルタ学舎の広報支援などアライアンスを組み仕事をするようになった。

リベルタの仕事は、「楽(らく)」ではないけど、「楽しい」。
まさに知恵を求められる環境。

私は、つい、楽ではないとき、「頑張ります・・・!」と言ってしまう。
「すみません」と口癖のように言ってしまう。

「頑張る」も「すみません」で終わる時は、思考停止モードになっている。(=知恵じゃない)
チームでのコミュニケーションも学生さんとの関りも、正解が見えなくてわからないことがいっぱいある。

でも、1つ1つの経験が楽しくて、この葛藤と苦難を越えることが生きる知恵と力が身につくのだと思う。

自由人博覧会や協働アカデミー、行政職員さん、企業勤めの人、学生、主婦、フリーランスが混じるカオスな場で生まれるエネルギー。
哲学カフェのような革命スナック。
ちょっと先輩の経験談に学生の心が動く座談会。
‟こういう場が欲しかった”
‟やっててよかった・・・”
そんな場面がいくつもある。

去年の2月から正社員を退職し、色んなことをパラレルコミュニティコーディネーターという誰も聞いたことがない道を選んでみた。

見たくない自分に追いかけられるような日もある。
欲望の濁流の濁流に流されっぱなし。
でも小池さんのお話を聞いてから、そんな自分でも大丈夫なんだと自分を大切にする気持ちが増えたように思う。
そうやって自分の経験から得た知恵とありのままの自分で「答え合わせ、からの自由」歩んでいくんだ。

(参考に・・・)
★湯川カナさんによるイベントレポート

★一般社団法人リベルタ学舎とは?


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