【2-0729】おでかけ

昨日のnoteには「変わらぬ日常」と書いたけれど、本番のためにとっていた有給休暇を取り消すのも気が進まず、今日は予定通りお休みさせてもらっておでかけをする日にした。硬貨の入金もしなければならなかったので(ATMの硬貨の預け入れが平日だけなのとても不便)、よしとした。

おでかけ先は、大阪に住み始めてからずいぶん経つのに、まだ一度も行ったことのなかった大阪市立美術館だ。私は、美術館の快適な温度、静寂を守ろうとする人々の佇まい、明暗のコントラストのはっきりとした照明がとても好きだ。だから、美術館に行くことは私にとって癒しになる。大阪市立美術館は、建物としても見て回るのが面白かった。

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「フェルメールと17世紀オランダ絵画展」へ。

大学では哲学芸術コースで、専門的には学ばなかったけれど、美術史などの講義も履修していて、私はこの時期の西洋美術が好きだ。フェルメールも好きだし、「好きな画家は?」と問われれば、レンブラントと答えるかなと思う。重ねて言うが、美術史の専門には進まなかったので、詳しくはなく、本当に好きか嫌いかでしか語れない。

件の『窓辺で手紙を読む女』は背景の壁の部分に塗り込められた天使の絵が見つかり、何年もかけて修復作業がなされたそうだ。(詳しくは↑公式サイトへ)

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↑グッズのクリアファイル。左が修復前、右が修復後。展示には修復過程の映像もあって、上塗りされたニスや絵の具を小さなナイフでこそぎとっていくのを見るのはとても興奮した。馬鹿な言い方だけれど、これは本当に絵の具を重ねて描かれたものなのだということを、改めて実感して、その凄まじさを思った。

私はやっぱり“しつらえられたもの”が好きなのだと思う。展示の中には、当時の風景画もあって、山や海をメインにした絵画の前に立つと、本当にその描かれた場所に立つときのことを想像したりもする。そして、実際にこの目で見たり、あるいは写真で見たりする感動は、もちろん想像できるのだけれど、それとはまた別のところで、それが人の手によって、自分を含めた誰かに見せるために一筆一筆絵の具が置かれたものということに、とても興奮する。それが私が「芸術」と呼ばれるものに惹かれる理由だ。

好きか嫌いかでしか語れない、と言ったが、『窓辺で手紙を読む女』の絵は天使の絵が画中画があることによって、作品に込められる意味合いが変わった。そのようにしてモチーフに宗教的、慣習的な意味合いを持たせて描かれる当時の西洋美術のあり方は、とても興味深いし、好きなのだけれど、絵画としては私は修復前のほうが好きだ。思いを巡らす余白が、この絵画に少しだけ寂しさのようなものを与えていて、私はそれが好きだった。

こんなことを、ただただひたすらに考える休日にした。今日という日が、特別に何かを私にもたらしてくれるように。

とは言え、夜は遊気舎稽古で、私にとっての大事な日常はまた一つ前へ進んだのだけれど。一緒に笑うことができる人がいるって幸せなことだ。

いつも見守ってくださってありがとうございます! これからも表現活動、創作活動に勤しんでまいります。 要🍬 小飴