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己の都合

こんばんは、要小飴と申します。

今日は一つ私のややこしいところを。

短所は何かと面接なんかで聞かれたりしますと、私は「せっかちなところ」と答えます。端的な言葉を探すのでそうなってしまうのですが、自分自身の行動はそんなに早くなく、むしろのんびりしたところがあるので、正確な言葉でないなと思ったりもします。

その実、どんなところなのか。

これは、この歳になってやっと自覚したところなのですが、私は予定が狂うのがとても嫌いなようなのです。予定を立てるのも下手くそなのに、何を言うてるんや、と思ったりもしますが。でも、予定は調和していてほしいし、調和できるような予定を立てたいのです。事前に準備したほうがしてないときよりも確実に何かの質が向上する、と思っている節があるので、やれるならやっておきたいでしょうとなりますし、そうやって前段階があっての今というところに真摯さを過度に感じてしまっているのです。

だから、予定が崩れそうになると語気が強くなったり、先に自分でやってしまったりしますし、予定が狂うと落ち込んだりします。大人なのに。この語気が強くなったり、自分でやってしまうあたりを捉えて「せっかち」と言っているのです。

なので、仕事でも何でも「それなら先に言っておいてほしかった」とか、「だから、〇〇って聞いたのに」みたいなことを思うと、とても疲れます。まあ、でも、世の中そう何でも親切に、懇切丁寧にとはいきません。私が思う優先事項と他人が思う優先事項が違うというだけなのです。

そして、今日私は、ある予定について自分の伝え方が曖昧なまま、相手の解釈を自分の都合に良いほうに曲解していたことが発覚する出来事があり、少ししょんぼりしています。こういう責める対象が自分でしかないことは本当に辛いですね。でも、自分が悪い。そこでしょんぼりするのは、やっぱり予定が崩れたからであって、そこはもう自分の都合でしかないからな、改めるべし私。

いちいち目くじらを立てずに柔軟に対応出来るようになりたい。それには、心の余裕とある程度の余白を敢えてとることが必要です。わかってはいるのですけれど、なかなか難しいですね。

もうちょっと大人になったら、周りを見渡して、フムフムそういう感じね、って良い距離感で行動出来るようになるでしょうか。どうでしょうか。まだまだ修行が足りませぬ。

それでは、今日はこのへんで。

要小飴

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いつも見守ってくださってありがとうございます! これからも表現活動、創作活動に勤しんでまいります。 要🍬 小飴