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5月1日は「鯉の日」

はぁはぁはぁ、びちっ、はぁはぁはぁ、ばちっ、パクパク、はぁはぁはぁ……

「ただいマンゴー」

そのマンゴーの声でアパートの扉はオープンし、昨日買ったばかりの小さく折りたためるエコバックをなで肩からさげた人物が玄関に仁王立つ。

昨日みたエコバックはとても小さく折りたためることが売りで、広げたサイズも大きく、ペットボトル数本、キャベツ、林檎2個、納豆1パック、クリームパン、食後のアイスなどが余裕をもって入るサイズであり、大変に頼もしいエコバックだった。

「おかえリスボン」とパンパンになったエコバックを注視しながらいつもの挨拶。いついかなる時でも平常心を保ち、おかえりのあいさつをすることが大事。大事だけど、昨日広げてみたエコバックの大げさにいうと2倍くらいのサイズ感になっていることに驚いている自分です。

「そんなに何を買ってきたの?」

なぜかなで肩から降ろそうとしないエコバックのなで肩に食い込んが紐をもう一回しっかりとなで肩に背負い直して、真剣なまなざしでこちらを向く彼は靴も脱がないで、近年の彼の声の音量としてはかなりマックスに近い音量をもってこうしゃべった。

「鯉泥棒」

日本語の同音異義語がこのよく分からない空間でも正常に働くことに関心した。どの「こい」だろう。「どろぼう」は「泥棒」でいいとして、肝心の「こい」だ。「恋」だとなんだかロマンティック。「恋泥棒」なんてフランスの白黒映画にありそうじゃん。「濃い泥棒」だと濃い顔の泥棒だ。阿部寛が主演の映画だな。てかみんな映画じゃん。

一番やだなと思っていた「鯉泥棒」について少しだけ考えた時に、2倍になったエコバックがびちびちっと漫画の効果音のように動いた。跳ね回るエコバックを抑える彼。元気なエコバックで良かったね。そんなに元気なのは今時珍しいよとは言えない。

「その中に鯉がいるなら、今すぐ川へ捨ててらっしゃい」と代表的な日本人成人の言葉として申した。私が日本人成人の代表です。どうも。

小説の中でこれだけ時間が経過したのだから、少しは玄関から動けばいい「鯉泥棒」は微動だにせず、なで肩からずれるエコバック(鯉)を必死になで肩にかけ直す作業のみを行い、この狭いアパートで元気に動くのはエコバック(鯉)のみで、かくゆう僕も「おかえリスボン」から一歩たりとも動いていなかった。

突然の「鯉泥棒」の出現に、僕はエコバックはやはり淡水魚の生臭さがつくのかなと銀河で一番どうでもいいことを考えて、現実を逃避した。

その現実のなかで一番元気なのは、びちっ、ばちっ、パクパク。パクパク。

5月1日は「鯉の日」


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