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コレクティブハウスに住んでみた

2020年の夏、わたしはコレクティブハウスに引っ越した。

コレクティブハウスというのは、北欧ではじまった、住民どうしがゆるく繋がりあう暮らし方のこと。
管理人はいなくて、住民自ら、共用部の掃除や庭の手入れをしたり、月に一度の定例会で暮らしの様々なことを話し合ったりする。

シェアハウスと似ているが、コレクティブハウスには各戸にキッチンやお手洗い、お風呂があるので、単独で暮らすことも可能な点が違う。各部屋を見れば、普通の賃貸マンションとおんなじで、それにプラスして共有の広いリビングや業務用並のキッチンや家庭菜園などがある。

2020年といえば、コロナが今よりずっと深刻で、公共施設は閉まっていたし、電車に乗るのも怖かった頃だ。そんな時期にどうして、と聞かれるけれど、「そんな時期だからこそ」わたしにはこの暮らしがどうしても必要だった。

緊急事態宣言が出て、それまでの生活が一変し、在宅勤務になった。
一人暮らしで友達にも会えず、ずっとひとりで誰とも喋らないでいたら、わたしは声が出なくなった。
全く喋れなくなったわけではないけれど、ふとした瞬間に喉がつまって息苦しくなり、言葉が出なくなる。

地方出身のわたしは、近所に知り合いもおらず、孤独だった。

人恋しくて、家の近くを散歩すれば、行き交うひとの姿は見えるけれど、その中のひとりも、わたしのことを知っているひとはいない。
世の中にわたしを知ってくれてるひとが誰もいないような気がして、生きているのに、自分が消されたような気持ちになって、とても苦しかった。

誰かがいる暮らしがしたかった。
特に仲良くしたいわけでも、四六時中誰かにそばにいてほしいわけでもない。
ただ、わたしのことを知っている誰かにわたしの姿をみてもらいたかった。ちょっと道ばたで挨拶したり、会釈ができればそれで充分。

シェアハウスでいいんじゃないかとも思ったが、シェアハウスだと水回りをシェアしないと暮らせない。コロナがあるから、それは避けたい。それに、シェアハウスは年齢層が若すぎてついていけない気がした。

それでコレクティブハウスが候補に上がったわけだが、コレクティブハウスにも難点があった。

それは、料理当番。
コレクティブハウスには月に一度、全員分の食事を作る当番が回ってくるらしい。全員とは、20人なのか30人なのかわからないが、せいぜい4人か5人分の食事しか作ったことのない自分には、とてもじゃないが不可能だ。

加えて、いくら孤独がつらいと言っても、わたしは人づきあいが得意な方では決してない。自分以外の生き物と住むのは、たとえ家族でも、動物でも植物でさえも苦手なのだ。

けれども。

誰かがいてくれないと自分が消えてしまいそうで、不安でたまらないのも事実。

きっとコロナが収束するまで何年もかかるだろう。今の暮らしを続けるのはどうしたって無理だ。

コレクティブハウスに住もう。

わたしは決めた。

しかし、コレクティブハウスは普通の物件と違って、こちらが決めたからといって、すぐには住めない。

コレクティブハウスについてのレクチャーを受け、現地を訪問した上で、住民の皆さんと話し、定例会に参加して承認を頂いてからでないと、居住は認められないのだ。

そうして、住むと決めてから約2ヶ月後、わたしは今の部屋に引っ越すことができた。

引っ越し当日の夜、共有のダイニングで、先輩住民の方が作ってくれた夕食を食べ、こっそり泣いた。
コロナなので、みんなで夕食をとることはさけ、それぞれの部屋に持って帰って食べるのだが、数人のひとがソーシャルディスタンスを充分に取ったテーブルで一緒にごはんを食べてくれたのが嬉しくて。

助かったと思った。


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