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思考する主体にできること

早瀬輪

思考する主体が自らの努力によって可能なこととは、思考すべき問いを見い出し、その下に留まることである。
出会う事柄に対して何の問いも持つことがなければ、全ては目の前を流れ過ぎていく。
だがその中に自分にとって問うべき謎を見出し、問いを立て、そこから流れていくことなく留まることで、思考という活動が始まる。
思考活動自体はオートマチックなものである。思考する主体にとって可能なことは、思考を自らの意志によって紡いでいくことではなく、問いの内に留まることによって自然と訪れる閃きを逃さずに、それを更に問う(留まる)ことによって次々と到来する閃きの連なりを見届けることである。
「わからない」ということに気づくこと。ソクラテスが持っていたこの能力を磨いていくことが、思考する者においてまず大切である。わかっていないということの気付きによって、問うべき事柄のある場所が浮かび上がる。
そして、そのわからなさを自らにとって問うべき意味を持つ事柄として、手放すことなく留まり続けること。この立ち止まる努力によって、わからない何かが問いとして形造られていく。問いの絶え間ない形成という、オートマチックな思考の働きがそこに生まれてくる。
思考とは能動的な創造行為のようなものではなく、むしろ立ち止まるという消極的な努力によって自らに訪れる閃きを待つような受け身の態度である。


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