離れてみると見えてくるモノとの関係
私は3年前にワーキングホリデーから帰ってきました。約1年半オーストラリアに滞在していたのですが、その間日本で住んでいた実家が引っ越しました。
まさかオーストラリアに発ったその日が今まで住んできた家との最後になるとは思いませんでしたが、家族みんなが良いと思って至った決断だと思ったので喜んで賛成しました。
私不在の中、私の部屋の荷造りも全て家族がやってくれて本当に大変だっただろうなと思います…。
帰国して新しい家に帰ると、私の部屋には見上げるほどのダンボールが積み上がっていました。
一軒家からマンションへの引っ越しだったので広さも違うし確かにモノは多かったと思いますが、それにしてもこの圧迫感はすごい。もう部屋の中にもう一つのマンションが立っちゃったかのよう。
そこからコツコツ荷ほどきをしていきながらモノと向き合う日々が始まりました。
旅先で持ち物に対する考え方が変わった
長期間家を空けていたことは、モノと向き合う上でとても良かったです。
特に海外で、結構頻繁に移動していたので最低限のものしか持てず、どんどんシンプルになっていたところでした。
家であれば重さもサイズもあまり気にせずに入られますが、旅の最中はキャリーバッグに全てを詰め込み、かつ移動するので何を優先してどれが本当に必要なものなのか吟味する必要があります。
バスタオルのように一つの役割しか果たさないものではなく複数の用途で使える手ぬぐいや撥水効果のあるパーカーなど、機能性や実用性があることをより重視してもの選びをすることが当たり前になっていました。
その感覚で自分の部屋のものを見たとき、ほとんどのものがいらないと思ったのです。
心の整理がつくとモノは手放せる
オーストラリアでは「あ〜、あれ持ってくればよかった」と思うものもありましたが、大抵は持ってきたものでなんとかなったり現地調達をしたりして問題なく過ごせました。
部屋に積み上がっているダンボールの中身はオーストラリア生活で思い出しもしなかったものばかり。そして、それらがなくても私は変わらず生活ができているという事実。
「…ということは、このモノがなくなっても私には全く影響がないということ…だよね?」
それに気づいたときモノと心の距離が離れることを感じました。
これが手放すときなんだと。
昔から取っておいたけど全く使わなかった文房具や小物、気に入っているデザインだけどもう着ない服など、「今使うかどうか」を基準にして持ち物を絞りました。
20個近くあったダンボールは最終的に無印のポリプロピレンの引き出し4つ分と、100均の紙製のボックス2個だけで済みました。
執着を手放すと身も心も身軽に
服も10年くらいの好みが変わっていないことに気付き、「じゃあもう同じ服でいいじゃん」ってことでだいぶ処分しました。
これからガラッと服の好みが変わることもなさそうなので、気に入ったら季節外れでも買おうかなと思っています。
そして服を買った時には1枚買ったら1枚手放す。これはものを増やさない為にもマストですね。
ものを持つということは、それと同時に手放す時が来るということ。
たくさん物があればあるほどものに縛られている状態になってしまうと感じます。
執着を手放すこと=ものを手放すことだと思います。
執着を手放せば自由になって、余裕が生まれ、必要な情報やものが入って来るようになります。いつでも心にも空間にも余裕を持っていたいですね。
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