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ノートを始めた理由と、実現したい世界観。

こんにちは。

かなえです。

投稿2回目のノート、ご覧いただきありがとうございます。フォローしてくださった方や、応援してくれる知り合いもたくさんいらっしゃってとても嬉しいです!

今日は、私が将来実現したい世界観、そしてノートを始めるに至った理由について、お話しようと思います。


私の性格と成長環境。

前回のノートでは、私自身の「あらゆる成果や結果は、自分の行動・考え方次第である」という価値観について、お伝えしたと思います。
(まだご覧になられていない方は是非こちらから読んでいただけますと嬉しいです↓)

また、そうした価値観が形成されたのは、成長期における私の家庭環境と母の教育方針、そして私が長女であったためだと考えている、ということもお伝えしたと思います。実は高校1年生の時アメリカに在住していたことも大きく関係していると思うのですが…これはまた後日、書こうと思います。

実は私、こうした自分の性格・自分自身のことを、就活を始めるまでは中々受け入れることができませんでした。3年生の3月頃に就活を始め、同年5月頃に自分のこの性格に改めて気が付いた時に早速就活をストップしてしまったくらい、本当に向き合うことができませんでした。

その理由としては、こうした性格であるがゆえの短所も当然存在するからです。

そして何より、こうした性格であるからこそ、その「短所」を自分自身の存在価値における大きなマイナス点としてとらえていたためです。


私の短所。

私の短所はずばり、

・何かと人と比較してしまうことが、他の人よりも多い。それがモチベーションに対してプラスにもマイナスにも作用する。そもそもこのように他人軸で自分を判断してしまう、といった自分自身のことがあまり好きになることができず、かと言ってこの思考を中々やめることができない。

・マイナスな出来事が続くと、他の人と比べて必要以上に自己嫌悪してしまい、負のループに入ってしまうことがある。失敗が人一倍自分自身の感情に響く。

もちろん、第三者からの意見を素直に受け止めること、自分の出した結果や成果にこだわるのはいい面もあります。そうじゃないと私の自己統制感は高いとは言えないだろうな、とも思っています。

しかし私の場合、これが行きすぎてしまって、「結果や成果、人からの反対」を「自分の存在価値」と直結させてしまうことがある。「失敗した自分=存在価値のない自分」というロジックが頭の中で成立してしまうことがある。自分のとった行動的や過程そのものをマイナスに見てしまう。プラスの面に中々目が向かない。

総じてまとめると、自己肯定感があまり高くないのでは、と思っています。

特に私の場合、高い目標を目指すこと、自分が立てた目標に向かって一生懸命取り組むこと自体は好きなんです。したがって、失敗してしまう回数や周囲からの批判の数は必然的に増えることとなり、今までの人生において短所が大きく現れてしまうことが多々あったのではないかと思っています。


自己肯定感の低さ、仮説思考との出会い。

自己肯定感って、ここ最近色んな場面で耳にすることが多いのではないかと思います。自己肯定感が低いと、何かと上手くいかないことや壁にぶつかることが増えてしまうということも、きっとこれを読んでくださっている方々ならご存じなのではないかと思います。

自己肯定感を高めよう、自分のこの性格に気が付いて以来、私は様々な試行錯誤をしてきました。どんな人と一緒にいるとよさそうか、どんなことをしてみるといいのか。

現時点では、私の中でこうすればいいのでは、といった仮説を立てています。


「失敗や人からの反対意見=自分の存在価値の低下、になりやすい私」をまず私自身が受け入れてあげる。そして、そんな私に私がうまく対応しながら生きていく。具体的には、仮説思考をベースに生きてみる。


無理に自己肯定感をあげようとするのではなく、まず今の私を私らしさとして、私自身が受け入れて生きてみる。

それに加え、思考や考え方の部分に「仮説思考」というメスを入れることで、知らないうちに自己肯定感もやや高まっていくのではないか?という仮説です。

仮説思考とは、昨年~今年の就職活動を通して様々な社会人や本、価値観に出会うことができ、その中で出会った思考法です。

もう少しかみ砕いて具体的に説明すると、

「思った通り・想像していた通りにならなかったなぁ…考えてみた結果〇〇が原因っぽいな、じゃあ次ここを変えてみよう!今回の失敗のおかげでわかったけど、これじゃ上手くいかないんだなぁ」

「思った通りに上手くできた!なんで成功したんだろう…多分〇〇したのがよかったのかもしれない、今度の目標に向けても〇〇してみよう!」

というような思考を繰り返す、人生そのものをゲームとして生きていくような思考法です。いわゆる「PDCAサイクル」というものと言い換えることもできると思います。

現時点では、この思考をベースに生きていけば、自己肯定感があまり高くない私でもきっと幸せに生き続けられるのではないかと思っています。就職活動を1年間以上継続できたのも、この思考があるがゆえの微々たる改善・伸長を何度も繰り返すことができたからだと思っています。


本題:「自己肯定感が低い原因」と、「自己肯定感が低いがゆえの生きづらさ解決」

…と、ここまでお話したとおり、「こうすれば私は幸せに生きられそうかも…!」という解決案は私自身見つけているのですが、ここからが本題です。前置きが少々長くなってしまいました。

ここまでの話を一旦まとめると、

・私は自己統制感が高く、「自分が出したあらゆる結果は、すべて自分の行動・考え方・捉え方次第である」という感覚が強い。逆に、この感覚が強いからこそ、自分が求める結果が出せなかった時(=失敗)の落ち込みや自己嫌悪、さらには他者が出している成果や他者の行動との比較をする傾向が強い。

・こうした私の一長一短な性格/特徴は、おそらく「私自身の幼少期の成長環境(特に母と私との関係性)」、そして「私の家族内での立ち位置(=4人兄弟の長女)」、に起因していると考えられる。

・この性格には根気強く目標を追い続けられる・主体的に「やらなきゃ」で生きられるというメリットもあるが、他者との比較や「失敗=自分の価値のなさ」につなげてしまうが故の生きづらさというデメリットもある。このデメリットを解決(解決、というよりも認めながら幸せに生きていくために)、現在私は「現状の自分を受け入れること/仮説思考をベースに生きること」を試している段階である。

こんな感じになるかと思います。


ここで注目していただきたいのが、「人の人格形成のもととなるもの(根拠・原因)」と、「人格によるデメリットは誰が解決するのか」という点です。

まず、「人の人格形成のもととなるもの(根拠・原因)」についてです。

もちろん生まれながらにして持っている先天的なものも多くありますが、ここまでの私の分析からもお分かりいただける通り、人の性格や価値観は、幼少期・成長期にどんな性格/価値観を持つ人と接してきたか、どんな環境で生きてきたかなどといった、外的要因に大きく影響を受けます。

特に、自己肯定感などといったいわゆる心の健康・成熟度は、子供の頃(特に0~7歳の価値観形成期)における外的要因による影響が大きいと言われています。


そして次に、「人格によるデメリットは誰が解決するのか」ということについて。

子供が成長し大人になり、自身が何か生きづらさを感じた場合、この「生きづらさ」という現象・課題は、当然ながら「生きづらさを抱えている当人たちが解決していく現象・課題」となります。「お腹がすいたからご飯を買いに行く」「けがをしたから病院に行く」「留学に興味があるから先輩に相談する」、といったことと同じです。

つまり、現代の資本主義社会において、大人は基本的に何かしら解決したい課題や悩みを持っている場合、基本的に自らが主体的に問題へ対応していく、あるいは問題を解決していく、というのがベースになってきます。

だから、心が安定せず困っている人たちも同様、「自ら助けを求めて病院に行く」「自ら助けを求めて大切な人に頼る」というような行動をとる必要がでてきます。



心の健康問題に対する、違和感と理不尽さ。


ここまで話してきたことから、私はこの「心の健康」「自己肯定感」がゆえの「生きづらさ」という課題に対して、少し違和感を感じています。

なぜなら、

①心の不健康さ(例えば自己肯定感が低い、鬱になりやすいなど)は、当人ではなく、主に幼少期の環境などの外的要因に起因している。であるのにも関わらず、当人が大人になり、それがゆえの生きづらさを解決したいと感じた時、解決のために動かなければならないのは彼らの親などではなく、当事者であるため。

心の不健康という問題の特性上、この課題を解決するために本人が主体的・自主的に行動を起こすということは中々難しいため。


まず①についてです。

生まれてきた環境がたまたま「心が不健康になる」環境だったがゆえに、そこで育ち大人になった人たちはなぜその問題に苦しまければならないのか。

なぜ彼ら自身が大人になってから、この苦しさに向き合わなければいけないんだろう、と思うんです。ただでさえ、小さい時から苦しくて悲しい経験をたくさんしてきただろうに…。決して彼らのせいで、この課題を抱えているわけではないのに。

でも、このようないわゆる「運命」による理不尽さみたいな問題って、他にも色々あると思います。例えば、経済格差、教育格差。子は自分の親や生まれてくる環境を選ぶことはできないので、言ってしまえば当然のことです。


でも、だからこそ②の「本人たちが中々これを解決できない」という点が、この問題特有ではないかと思っています。②について説明します。

「心が不健康」である状態で、「生きづらさを解決したいから何か行動を起こす」ということは中々難しいと思うんです。

生きづらさに苦しんでいる人たちの多くは、「自分なんかが鬱なわけない」「精神科なんて甘えだ」「人に迷惑をかけたくない」という風に考えがちです。したがって、「精神科へ行く」「カウンセラーを利用する」「身近な人に相談する」という手段を切り捨ててしまい、結果的に自ら孤独を選んでしまうことが多くあります。これは私の実体験でもあります。

心の不健康って、教育格差や経済格差と違って、大人になったからといって、自立したからといって、そう簡単に解決できるものではないと思うんです(注:決して教育格差や経済格差を軽視している訳ではないです!)。


就職活動を通して、何とかこの理不尽な課題を解決したい、というように感じ始めました。


私が「心の健康」という社会課題を解決したい、もうひとつの理由―今の日本人の「心の元気度」。

ここまでお話してきた通り、私がこの「心の不健康がゆえの生きづらさ」という課題を解決したいと思ったきっかけは、私自身の原体験です。そして、解決したいと思った理由は、①外的要因によるものだから②この課題で苦しむ人たち自身で解決することは中々難しそうだから、です。

ですが、私がこの課題を解決したいと思っている理由はもうひとつあります。

それは、

③今の日本社会における「心の不健康と生きづらさ」の課題の重大さを感じるため

です。


日本社会全体におけるこの問題について調べてみて、その課題の重大さに気づかされたんです。

具体的には、

・物質的には豊かなのに、幸福度があまり高くない国である(最近では幸福度調査の結果などが、SNSで話題になっていたと思います)。

・国別で見た自己肯定感の高さは、韓国と並んでワーストクラス。

・日本における20~30代の死因ナンバーワンは自殺。

…という風に、日本において心の健康が社会課題のひとつであることは明らかです。つまり、どうやら日本には、精神的な生きづらさを感じながら生きている人がたくさん存在しているみたいだ、ということになります。

また、これは長期的に改善されていない課題であることから、解決することの難しさも感じられます。


私が実現したい世界と、ノートを始めた理由。


自己肯定感が低くなる主な原因は、子供の頃の環境にある。

自己肯定感が低い人たちは生きづらさを感じる場合があっても、現代社会において自分の課題を解決するためには、主体的な行動が必要になってくる。でも中々それが難しい。

日本にはこうした「心の不健康」で苦しむ人がたくさんいそうである。


こうしたことから、私は、


心が健康な人であふれる世の中をつくりたい。


と、考えています。

そして、この目指す世界観こそが、私がノートを始めた理由でもあります。


日本に生まれ日本で育つと、自己肯定感が低くなる人が多くいそうだということは、世界と比較して見た時に明らかです。きっと私も、そのうちの1人だと思っています。

でも、私はあくまで自分の生まれ育ってきた家庭、触れてきた環境しか知りません。

だから、このノートを通してもっとたくさんの人と繋がることで、もっといろんなことを知りたい。

今の日本のお父さんお母さんたちが、どんな想いで、どんなことを感じながら、どんな風に子育てをしているのか。今の日本の教育って、今のメンタルヘルス支援って、家族・育児支援ってどんな感じなのか。自己肯定感が低い人や鬱になったことのある人たちは、どんな環境でどんな人生を歩まれてきたのか。逆に、今心から人生を幸せに生きている人たちって、どんな風に育ってきたのか。

そして、色々知るだけでなく、私の考えや想いをいろんな人に知ってほしい。同じようなことを考えている、感じている方と出会えたら、すごく素敵で最高じゃない…?って、思ったんです。


このノートが、数多くの素敵な方との出会いのきっかけになりますように。


【おわりに】

今回は、私が将来実現したい世界観、そしてノートを始めるに至った理由についてお話しました。少々長くなってしまってすみません…。最後まで読んでくださって、本当にありがとうございます!

次回は…まだ決めていませんが、アメリカでの挫折経験か、就活での挫折経験について書こうかな、と思います。素敵な本の紹介もしたいです。

是非また読んでくださると嬉しいです!

それでは。

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