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Kさんがくれた時間


先日、大切な利用者さんとのお別れがありました。
訪問看護ステーションlifeを開業してまだ間もない頃からご利用いただいていたKさんです。
今回の文章は長くなる予感がします。

現役時代は管理職で、家庭では亭主関白。
お話できていた頃、訪問した時に「JAFの解約の手続きがしたいから手伝ってほしい」と言われたことがありました。
連絡先をメモして、ベッドからでも電話ができるようにお手伝いしたことが思い出されます。とてもしっかりされた方でした。
ちなみに私の夫も作業療法士としてKさんに訪問していました。
「田代君」と呼んでいたそうで。
管理職時代の名残なのかな?と、奥さんと話したことがありました。


申し遅れましたが、わたしは郡山市久留米にある訪問看護ステーションlifeで看護師をしている田代さとみと申します!
海か山かと聞かれたら山が好きで、パンかご飯かと聞かれたらご飯が好きですが、夏はもっぱら麺ですね。

Kさんの話に戻ります。

療養期間が長くなり、夜間せん妄が悪化した時期がありました。
夜になると人が変わったように大声を出します。
ご本人もご家族も一睡もできない日が続き、家族は疲弊し、1ヶ月ほど入院したことがありました。
入院中、Kさんの自宅近くを通りかかった時、散歩されている奥さんを見かけたことがありました。
うつむき歩く奥さんを見て、Kさんのことが気がかかりなのだろうとなんとなく思いました。
入院を決断するまでにもたくさんの葛藤があったと思うけど、実際に入院して離れてみて、また感じるものがあるのかもしれないな…と想像しました。

退院して自宅療養が再開になり、訪問看護も再開。
「またお世話になるね。」
入院中に溜まった全身の汚れを、丁寧に丁寧にケアされていました。
「こうやって家にいるのがいいんだね。わたしもその方が安心だもの。」

わたしはこの奥さんの言葉を何度も何度も思い出します。
奥さんにとっての安心が、病と共に生きるKさんにとっても安心になる。
この安心を守るために、私たちは存在しているんだ。


もしも自分が病気になって、生きていくために誰かの助けが必要になったとしたら。
負担をかけるだけの存在になってしまったと思うかもしれない。
でも、実は、存在そのものが誰かに安心感を与える。
そんな存在に私たちはなり得るんだと思います。
だから、もしも病と共に生きることになったとしても、1人よがりにならないでほしい。
一体誰に向かって言っているのかわかりませんが、そう思っています。



退院後のKさんとご家族とわたし

Kさん、退院後もなかなか夜は眠ってくれませんでした。
奥さんと娘さんで足をマッサージして過ごした夜は数え切れないほど。
どんなに尽くしても、Kさんはなかなか満足してくれません。
自分から片時も離れないように、呼んだらすぐ来るように、痛いから足を揉んで、と訴え続けていました。

24時間、休みがない介護生活。
なぜ頑張れるのかを奥さんに聞いたことがありました。
「すごく良くしてくれたの、私の家族に。だから、恩返しだよ。」と、教えて下さいました。
Kさんご自身は幼い頃に母親と死別されており、さみしい幼少時代を過ごしたと聞きました。
そのKさんが自分の家族に対して選んできた行動。
しっかり奥さんに伝わっていたんですね。
そして壮絶な介護生活の日々を支えるものが「感謝」なのだと教えられ、じんとしたことを覚えています。

だんだん体が思うように動かせなくなり、痛みの訴えも多くなりました。
看護が提供するケアにも痛みが伴います。
着替えや体位交換の度に「痛ーい!」となる。
ある日のケア中、
「痛いなこの看護婦は!やめろって!
おーい!誰かー!かーんごーふさーん!」

わたしの目の前で、他の看護師を呼んでいる…
ちょっと面白いな…(不謹慎)

「すみません。本日の担当は私になっております」と説明。(真面目)
訪問看護は基本的にソロ活動だし…(心の声)
心地よいケアを提供できず申し訳ないと思いつつ、
「嫌なものは嫌。痛いものは痛いんだ!」と主張するKさんの在り方に人間味を感じ、飾らない言葉ってまっすぐ届くなぁと怒られながらしみじみ思ったのです。(しみじみしながらもケアをする手は止めませんでした。もたもたすると「早くしろー!」となるので笑)


亡くなる1週間前くらいだったでしょうか。
いつものように「おーい」と呼ばれて、奥さんが台所からKさんの元へいくと、「1、2、3…」と数を数えていたことがあったそうです。
「何数えてるの?」と聞いたら
「呼んでから何秒で来るか数えてる」と答えられたそうです。
「かわいくないでしょー!数えてんだから!」と奥さん。

ちょっと面白いな…(不謹慎な思考癖)

「確かにかわいくはないかも」と、2人で笑い合いました。


このようなエピソードが暮らしの中にたくさん、数えきれないほどある。


たくさんついでにもうひとつ。
Kさんには、娘に悪態をつくという厄介な癖がありました。
美味しいものを食べても「美味しい」とは言わない複雑な性格の持ち主。
奥さんの作る料理はどれも美味しいし、娘さんの作るパンやお菓子は絶品なのに。(いつもお裾分けしてくださる。Kさん宅のお惣菜に何度も助けられた田代家の食卓)
娘さん、Kさんに本当によく尽くしていました。
私は父を亡くしていますが、同じように父の介護ができるかと問われたら、多分できない。
娘さんがKさんを大切にされている様子を奥さんから聞いていたので、
「Kさん、Kさんの娘さんって、どんな娘さんですか?」と聞いてみたことがありました。
こちらからの問いには答えてくれないことも多くなっていた頃でしたが、
「世界一」
はっきりと、そうおっしゃいました。
決定的瞬間に私は立ち会った!すぐに奥さんに報告。
奥さんは泣いていました。私も泣いちゃいました。
世界一の娘。本当にその通りだ。


お別れの3週間前くらい前からは、訪問するたびに
「もう今日でお別れかもしれない」と思いました。
そのくらい、全身が衰弱していました。
眠っていると息をしているかどうか確認しないと不安になる、そんな様子でした。
奥さんも「毎日『これで最後かも』と思うんだ。でも夜になるとおーいと始まるから『まだ大丈夫だ』と思う。どこにこんな力があるんだろうって思っちゃう」とおっしゃっていました。
ケアが終わると静かに眠るKさん。「消耗させちゃったかな」と思いながら玄関を出ると、「おーい」と奥さんを呼ぶ声が聞こえる。その声を聞いて私は「あ、まだ大丈夫。きっとまた会える」と思って次のお宅に向かう。そんな日々でした。


わたしがしていたことは、おしゃべりと褥瘡処置と髭剃りと口腔ケア。
決して特別なケアではありません。今まで通りのケアです。
全て、暮らしの中にあるケア。
Kさんはいつも清潔で、療養環境が整っていました。
関わる全てのサービス提供者が、Kさんの暮らしを最適化するためにそれぞれの分野で最善のサービスを提供していたと思います。
見えないところでつながりを感じていました。
だからこそ、わたしは最後まで「今まで通りの、特別ではないケア」を提供することができました。
サービスをマネジメントしていたケアマネさん、すごいと思います。

お別れの時

「また来ますね」と声をかけて、こっくりうなずく。
私がみた最期のKさんです。
その日の夜中ふと目が覚めて、「Kさん?」と思いました。
お別れが近いと感じていた数日間はそんな夜が続いていたので、また眠りました。
その1時間後に電話が来て、
「呼吸が止まったみたい」と、奥さんに告げられました。


そうか…今日だったのか…
そんなふうに思って、準備をしてKさんとKさんの家族の元へ向かいました。
夫も起きてきて、「よろしくね」と、まだ暗い中見送ってくれました。
夫もKさんに会いたいんだろうなと思いました。



いつものように静かに目を閉じているKさん。
いつもと違うのは、息をしていないこと。
「おーい」と言わないこと。
でも、こういう日が来ることはわかってた。
自然な姿に見えました。
そばには、奥さん、娘さん、息子さん、お嫁さん、お孫さんがいる。
みんなに囲まれてその時を迎えたKさん。

あぁ、Kさんはこんなふうに過ごしたかったんだ。
なんだかとっても納得できた。


死を迎えるその時まで、Kさんは家族と共に生きていた。
死ぬまで、しっかりと生きていた。
私たちにその姿を見せてくれた。
人が死に向かって変化していく姿を、ありのままに見せてくれた。

たくさんお話させてくれた。
たくさん触れさせてくれた。
そばにいさせてくれた。

そんな日々の中で、家族の間に深いつながりができた。
私たちとご家族も、Kさんを通して深くつながりました。
Kさんに関わる全てのサービス提供者が団結していました。

これら全てを通して、お別れの準備をさせてくれた。
そういう時間を、Kさんは私たちに与えてくれたのだと思います。
最期の数日間は、そのために生きてくれていたのかもしれない。

奥さんが準備していた浴衣を着て、最期のケアを終えました。
とても似合っていました。
「また来ますね」
「ありがとう。また来てね」
いつも通りのあいさつをして、Kさんのお宅を出ました。
外は明るくなっていて、雨が降っていました。

自宅に戻る車の中で、不思議な気持ちになりました。
さみしいけれど、さみしくない。
こういう日が来ることはわかってた。
ケアを通して、わたしはKさんとKさんの家族にすでにお別れのさみしさを癒されていた。
もしかしたら、お互いに癒し合っていたのかもしれない。

そんな気がしたのです。

そう思った時、

なんてありがたいことなんだろう。

感謝の気持ちが溢れました。

ありがとう 
ありがとう
ありがとう…


Kさんの衰弱が進み始めた頃、わたしは悩みの真っ只中にいました。
自分は何のために働くのか、わからなくなっていました。
でも、全身全霊で生きるKさんとそのKさんを支えるご家族を目の前にした時、「この方たちのために、できることを一所懸命やる」
わたしにできることはそれしかありません。

わたしの看護はこれでいいんだろうか。
こんなわたしで、会社を支えていけるんだろうか。
わたしはなりたい自分に近づくことができているんだろうか…
混乱の中にいるわたしを、KさんとKさんの家族が何度も救ってくれました。
一生懸命生きる人の姿を目の前にすると、わたしの悩みやこだわりなんて、本当にちっぽけです。

わたしが好きな本のあとがきに、こんな一節があります。

自分の生き方だけが、自分を救ってくれる。
そして、人は何も付け加えなくても、すばらしい生き方をすることができる、そう気づかせてくれるのです。
『覚悟の磨き方 超訳吉田松陰』 編訳池田貴将


Kさんは病によって確かに苦しんだかもしれない。
けれど、日々を思い返した時、「苦しい人生だった」とはならないと思います。
家族に尽くし、自分も尽くしてもらうことができた。
そして最期まで家族と共に生き抜いた。
それは他の誰でもない、Kさんの選んだ生き方なのだろうと思います。
なんてすばらしい人生なんだろう。

だからわたしも、どんなに苦しくても、笑えない日があっても、自分に誇りを持って生きていこう。
自分の生き方が自分を救うなら、やってやれないことはない!
そんなふうに思います。


生きる勇気を与えてくれた。
Kさん、ありがとう。
また会いましょう。

おわりに
え?まだ続くの?と、ここまで読んでくださった優しいあなたへ。
ありがとうございました。(とにかくお礼が言いたい)
あなたに幸あれ!(せめて祈らせてください)



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