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みんながみんなあなたに関心があるわけではない

おはようございます。
朝から辛辣なノートを書こうとしています。

アメリカから帰国し自然に早起きができるようになりました。
時差ぼけという概念がからだから消えてしまっています。

さて、今回のテーマは「他人への関心」についてです。
これはしばしば考えていることですが、自分が思っている以上に他人は我々に興味がないということです。そもそも私がそういう人間だからかもしれません。正直言って他人への関心はありません。誰かが他の誰かの愚痴を言っているのを聞いても賛同できないし、それを言う暇があるのならもっと自分に集中してはどうかと思うのです。また誰かに褒められたという自慢話もわざわざ言う必要があるのかと思ってしまいます。そのようなことは秘めておけばいいのです。自慢話に対してそうなんだすごいねと言ってもらいたいのは承認欲求の強さと自意識過剰の二つを大っぴらに晒しているようで恥ずかしくないのかと思ってしまいます。全ての行動は自分に他者は関心を抱いてくれているだろうという強い自信から来ているのだと思うと私にはそのような考え方がないので逆に尊敬してしまいます。私は他人の話を聞くのが苦手です。それでも友達の話はときにとても面白いので聞いています。それでもずっと人の時間を奪い自分の話をしている人をみると時々嫌気がさします。ついにはほとんどきかずに相槌だけ打っていることもあります。本当に愛想のない人間ですね。私も昔はそう思っていました。サイコパスなのか、と。多分サイコパスの要素は入っていると思います。しかしこのような考えは人間誰しもがする標準の思考なのだと気づいてからはあまり気にしなくなりました。みんないい人を演じようとして他者に関心があるように振る舞ってはいるものの本来は自分のことにしか関心がないのかもしれない、と。そしてまたあなたの話を聞く誰かもまたあなたに関心がないかもしれないためそこをよく考えて話す必要があると考えます。考えすぎでしょうか。

私は割と自己主張が強いタイプなので自分の意見を言えないという環境が本当に苦痛でたまりません。長時間他者の話を聞くだけというのは本当に耐え難いのです。授業ならまだしも(得られることが多いので)日常生活においてどうして聞くことばかりしなければいけないのかと苛立ちすら覚えてしまいます。自意識過剰で自分の話ばかりする人とはやはり距離を置きたくなってしまいます。

そんな私もやはり自分のことが大好きで、自分の話をしたくなるときがあります。彼氏というか元彼ですが彼は本当に聞き上手です。私は聞き上手な人に強い憧れと尊敬を抱いています。聞き上手ほど能力を必要とするものはありません。先ほど述べたようにほとんど全ての人間は本来自分にしか関心がない利己的な生き物ですから、「聞く」ことをうまくできる人は辛抱強さ、寛大さがある素晴らしい人だと思うのです。これをもし元彼が読んだらそんな難しいことではなく、私に関心があったからだと言われそうですが、その「関心を持つ」ということも素晴らしいです。私は気にしすぎる性格故か自分のはなしばかりすると申し訳ないと感じてしまいます。多分自分がそこまで気を回しているのに他者が自らの話を何時間もするというのが許せないのかもしれません。Win-Winでありたい。私に「聞く」の比重を多く与えるのは許せないのです。話は戻りますが、元彼のように「聞く」の比重が多めでも許してくれる存在が近くにいるだけで本当に気が楽です。一応「聞く」ことが辛くないか、彼にも平等に「話す」機会を与えてあげたいという気配りはしますが大抵「もっと聞きたい」と言ってくれるのでガンガン話します。本当に気が楽でした。我慢してたなら申しわけないです。

まとめです。
他者はあなたが思っているほどあなたに関心はありません。例え友達だろうと恋人だろうと。また周りに私のようなサイコパス気質の人間がいるかもしれません。他者と話すときは相手に「聞く」比重が多くなっていないか自分が一方的に話し続けていないかということをもう少し意識してほしいです。相手が素晴らしい「聞き上手」だったら本当にラッキーなことですね。

おしまい。
バーイ。

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