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里山の暮らしと芸術

「農民芸術概論」という宮沢賢治の書いた短い文章があります。青空文庫で読めるので、興味がある方はぜひ読んでみてください。

かつて現代美術を学んだという経緯もあって、芸術家とは何かということをよく考えます。

結論としては、芸術家の役割とは新しい価値観を生み出し広めることであって、そのための手法がいわゆる芸術作品に限定される必然性は無い、というところに辿り着いたため、今では有形の作品をつくることにはこだわらず、里山の生活文化に価値を見出し、これを受け継ぎ、そして発展させることを、自分なりの芸術活動と捉えるようになりました。

僕の考えていることとは少し意味合いが違うし、自分と比べるのもおこがましいところですが、宮沢賢治もかつて、農民の生活と芸術を結びつけようとしていたようです。示唆に富む文章なので、自分なりの現代語訳とともに紹介したいと思います。

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いまやわれらは新たに正しき道を行き われらの美をば創らねばならぬ 芸術をもてあの灰色の労働を燃せ ここにはわれら不断の潔く楽しい創造がある

現代語訳:今こそ私たちは新しく進むべき道を行き、私たち独自の美意識を創らなければならない。灰色の労働を芸術の力で燃やそう。ここには、絶え間なく、潔く、楽しい創造がある。

もとより農民芸術も美を本質とするであらう われらは新たな美を創る 美学は絶えず移動する 「美」の語さへ滅するまでに それは果なく拡がるであらう

現代語訳:誰もがみな芸術家だという感性を持て。自分が優れている方向でそれぞれ表現すればいい。一人一人がその時々の芸術家である。

永久の未完成これ完成である

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この「農民芸術概論」を賢治が1926年に自らの私塾で講義し始めた時、周りの農民たちは冷ややかな目で見ていたそうです。いわゆる「芸術」と呼ばれるものは西欧からやって来た概念で、当時の日本には根付いていなかったでしょうから無理もないでしょう。ましてや、農民と芸術という異質な概念を融合させようとしたのですから。

とは言え、農村の生活を表現の場として捉え直し、自分たちの美意識をもって芸術として昇華させようとした宮沢賢治の思想は、今でも全く色褪せていないと僕は思います。

むしろ現代こそ、山に暮らす僕たちのような若い世代が自分たちの手で里山の価値観を言語化(可視化)し、積極的に文化として表現していくことが求められているのかも知れません。

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読んでいただきありがとうございます!
高知の里山で山の仕事をする傍ら、Kamino Wallet というブランドで、シンプルな紙の道具を製作しています。興味のある方は、こちらも併せてご覧いただければ嬉しいです。


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