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「仕様です」にイライラしないために


「それは仕様です」

日常的に仕事でソフトウェアやサービスを使っていると必ず巡り合い、そしていらつくフレーズではないでしょうか。仕事に使いたい機能がない/不足している/振る舞いが間違っている利用者が認識し提供者に問い合わせると、提供者から出てくる魔法の言葉です。私も含めて、このフレーズが出てくるとまじめにベンダーにレポートしようとか真摯に話し合おうとかそういった気力が当社比90%減ぐらいになります。いらいら。

なぜこのフレーズは苛立ちを産むのでしょうか?思うに、利用者側から見れば「なぜこの仕事に使うためのこの機能がないのか/正しく動かないのか」

「これだけやってくれれば仕事が楽になるのになぜ実装されないのか」

「そもそもそういった機能が必要という認識があるのか、素人じゃあるまいし」

という思いを止めることができず、提供者側の

「当社(私)としては最善を尽くしてよい機能を提供している」

「提供している機能で便利になるし何か問題でもあるのでしょうか」

「ソフトウェアも万能ではないのでできないものはできませんよ」

という視点が利用者からほの見えるからなのかもと。(あくまで想像ですよ)

提供者側の論理も理解はできるわけです。それまでなかった便利な機能を提供することでユーザーに付加価値を提供し、仕事の利便性を上げることができる。ただしそれを作るのに投じるリソースは限られていて、すべてを実装することはできないのでおのずと優先度をつけざるをえないということです。

一方で利用者側のある意味わがままな視点を斟酌するならば、仕事を楽にしてくれる機能やサービスはいくらでも(コストに見合った形で)利用したいわけで、そこに支障が出てくることは無用のストレスを産む。提供された機能の便利さという付加価値はストレスの前には無力であるということ。利用者は「業務」への期待値があり、提供者は「機能」の付加価値がある。そのギャップのおかげで提供者も利用者もお互いに不幸になっている気がします。

ではどうすればよいのか。

利用者側のサービスへの高すぎる期待値を少し補正して、「これだけ使えれば便利じゃないの」というレベルで満足する割り切りが大事な気がします。

利用者側としては

「機能やサービスに対する期待値を過剰に持たない」

「機能やサービスの付加価値を正しく評価する(よいところを見る)」

「仕様に対しては早めにあきらめて期待せずに待つ」

といった寛大(?)な態度も求められそうです。一方の提供者側としても「それは仕様です」のマジックワードに依存しきるのでなく、自らの提供する価値をしっかりアピールするとともに利用者の視点を理解して機能向上に努める視点は必要になりましょう。業務システムであれば「機能提供」だけが役割ではなく、機能提供を通じた「業務支援」が求められる役割である、という視点を持つことで、より利用者に寄り添うことができると思われます。

「仕様です」にイライラしないためには、提供者側も利用者側も歩み寄りが必要なのかもしれません。

※本エントリは特定の製品やサービスにまつわる経験談ではなく、事実をもとにした私見です。以下「利用者」はユーザー企業や個人、「提供者」は製品やサービスのベンダーをおおまかに指します。

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